太田うさぎ句集『また明日』

 太田さんは、結社「豆の木」(こしのゆみこ代表)と「なんぢや」(榎本亨代表)の同人で、二〇一九年には「街」(今井聖主宰)にも入っている。「豆の木」賞を二回受けている。該句集は株式会社左右社が二〇二〇年五月三十一日に刊行。
 跋文は、太田さんと句会を一緒している俳句評論家の仁平勝さんが書いている。


太田うさぎ句集.jpg


 自選句の提示がないので、仁平さんが跋文に引いた句を掲げておく。

  誰からも遠く夜濯してゐたる
  苗売の前髪が目に入りさう
  フラダンス笑顔涼しく後退る
  なまはげのふぐりの揺れてゐるならむ
  真ん中に達磨ストーブ船を待つ
  陽炎へ機械油を差しにゆく
  裸木のラジオ体操広場かな
  パン屑と名前を貰ふ雀の子
  夏帽子振つて大きなさやうなら
  奈落よりあらはれ春の踊かな
  菊褒めてドライクリーニングを頼む
  小春日の有機野菜とフォーク歌手
  富士額見せて御慶を申しけり
  美人湯を出てしばらくを裸なり
  忘年や気合で開ける瓶の蓋
  ラクビーの主に尻見てゐる感じ
  過去からの電話のやうに雪降れり

 筆者栗林の共感句は次の通り。(*)印は仁平さんのと重なった。

012 名案はときを選ばず烏瓜
014 行く秋の水は捩れて水のなか
021 百千鳥眼傷つくほど学び
030 松手入空を立派にしてしまふ
035 四隅より辞書は滅びぬ花ミモザ
038 恋猫に夜汽車の匂ひありにけり
044 夏帽子振つて大きなさやうなら(*)
049 枯木から枯木へ渡す万国旗
056 神の留守柱は赤を尽くしたり
059 緋の白の八重の一重の寒牡丹
061 三月や噛まれ細りの馬の柵
065 酢洗ひの鰺も谷中の薄暑かな
071 子が父の洟拭いてゐる梅林
078 旅一つ終はりて金魚買ひ足しぬ
083 晴ときどき蝶テーブルも椅子も白
088 ライラック傘差して傘取りにゆく
089 レモンティー雨の向うに雨の海
090 濡れてゐることを知らない目高たち
090 星下ろすごとく風鈴下ろしけり
094 菊褒めてドライクリーニングを頼む(*)
094 薄原きらり少年とは速度
095 きれいな夜水すれすれに檸檬浮き
097 ぴゆつと出て鴨南蛮の葱の芯
108 惜春や貝に盛らるる貝の肉
109 川幅を水は急がず竹の秋
118 アロハシャツ大本山を下りて来し
123 ラグビーの主に尻見てゐる感じ(*)
126 転がして運ぶ卓袱台春の山
151 一種爽やか空腹のはじまりは

 一読してわりに伝統的な作品が多い、と感じたが、ささいな対象の捉え方、それを言葉で表すときの固有の工夫が非凡で、見たものの機微を見事に表出している句が多い、と感じた。そしてユーモラスである。

044 夏帽子振つて大きなさやうなら(*)
 普通なら「大きく振ってさやうなら」とやる。それではつまらない。「大きなさやうなら」に敵わない。太田さんは本当に言葉の工夫の上手な人だと思う。

094 菊褒めてドライクリーニングを頼む(*)
 水洗いで済ませるか、ちょっと高いドライにするか? その判断の瞬時に、軽い気持ちで、店先の「菊を褒める」。この感覚が、短歌でなく、詩でもなく、如何にも俳句らしい。

123 ラグビーの主に尻見てゐる感じ(*)
 そういえばそうだな、と読者を納得させる。テレビ社会の影響ではあろうが、視線の新しさと、「主に……感じ」という断定表現がこの句を生かしている。

059 緋の白の八重の一重の寒牡丹
083 晴ときどき蝶テーブルも椅子も白
094 薄原きらり少年とは速度
 ちょっと珍しい文体の三句を掲げた。一見ぶっきらぼうな表現だが、まとまっていて破綻がない。感心した。

海野弘子句集『花鳥の譜』

 海野さんが表題の句集を出された(令和2年5月30日、俳句アトラス刊行)。1992年「握手」入会とあるから、かれこれ30年の俳歴がある。2007年握手賞受賞、磯貝碧蹄館主宰没後、長嶺千晶代表の「晶」に所属。いままでに、第一句集『FLOWER』(文學の森、2015年2月)とアンソロジー『俳句の杜』(本阿弥書店、2017年6月)がある。
 帯には長嶺代表が選んだ一句〈声明のはたと止みたる落花かな〉があり、「舞踏会に赴くような華麗な美しさに憧れた若き日々」とある。跋には、日本モーツァルト愛好会代表の朝吹英和氏(元「握手」編集長)の鑑賞文、内表紙には、弘子さんの句〈くれなゐの落葉のきり絵浄土かな〉と〈うみへ落つる陽がむねにあり秋の人〉を揮毫した春日井幸青氏の軸の写真がある。
 実は筆者栗林も結社「握手」で初めて俳句を学び、海野さんとはかれこれ20年の俳句友達である。それは「握手」以降この2月まで続いたので、おそらく200回ほど句会を共にしている。それにしても驚いた。句集のあとがきに、癌であることが分かり闘病中、とあるではないか。たしかに体調が悪いとおっしゃっておられたが、身体中元気印の弘子さんなので、こちらは気にしていなかった。癌といっても、今は余命が長くなったと聞く。こころより復帰を願っている。


海野弘子『花鳥の譜』.jpg


 自選10句は次の通り。

   昭和史に黒く塗りたる桜かな
   白梅や弓のかたちに弓袋
   天窓の新緑われは深海魚
   薔薇色の朝にひとなき露台かな
   サルビアの並列をゆく葬車かな
   絵に画きて患部告げらる稲つるび
   蟋蟀や容老いたるコンサイス
   萩くくる己に容赦なきよはひ
   天狼星や距離無限なる父の膝
   母の忌の箸の両細さくら冷

 筆者共感の句は次の通り。異例の多さであるが、初出の句会などを思い出し、取らざるを得ない句が多いのである。許されたい。(*)印は自選と重なった。

009 あの日より開かぬ箪笥の花衣
012 きのふより空に近づく木の芽かな
013 白梅や弓のかたちに弓袋(*)
016 子は遠き痛みに似たり薄氷
017 囀や麺麭の飛び出すトースター   
021 目刺やや焦がせしほどの悩みごと
023 謝肉祭仮面になみだひと雫
025 無数の蝶モーツァルトの楽譜より
027 花菜海漕ぎてひかりの人なりき
027 モネの庭展翅のごとき春日傘
036 東京にタワーとツリー抱卵期
044 フラスコの底を舐むる焰若葉冷
045 銅鍋に煮込む肉塊みどりの夜
058 金澤を洗ふ二川や夏料理
059 羅や座して乏しき膝の嵩
060 蒼風の湖上を旅の夏帽子
063 鋭角に上げたる機首や雲の峰
066 パセリ添へ華麗な嘘を許しおく
074 白地着て父に老いたる日のあらじ
075 ちちははの鴨居に並ぶ帰省かな
080 赤く反る日本列島油照
083 病みをれば夢の花火に音あらず
084 八月の挙手を見てゐる柱かな
085 ゼブラゾーン灼けて喪服のゆらぎくる
093 新涼やうす紙に透く和三盆
094 雨呼ぶか芙蓉の底のくれなゐに
096 針山に母の遺髪や藍の花
097 指切りはいつも嘘つき赤のまま
098 流星群エアーズロックに樹影なく
101 絵に画きて患部告げらる稲つるび(*)
103 毬藻より気泡離るる星月夜
110 花鳥の間過ぎて王妃の秋扇
114 身ほとりに夫いてスーパームーンかな
118 秋寂の緋縅に顔なかりけり
118 水舟に月の溺るる郡上かな
119 月へ打つ一鼓これより乱拍子
124 露深し化石の句碑を指に読み
134 焼栗や子の住む国の新聞紙
135 菊育てをりぬ日本語美しく
144 雪吊や加賀水引の金と銀
147 狐狸の夜の袋を廻す遊びかな
149 濡灰や炭の年輪うつくしき
152 水口の石の乾ける冬田かな
154 夫に剥くセザンヌ色の冬林檎
155 傾斜せる冬の星座に鳥けもの
163 聖し夜に吊る純白のトウシューズ
164 聖樹市ホットワインを掌に包み
165 絨毯の深紅や古き歌劇場
166 オイスターバー老優の冬帽子
172 瑞光や旅立つときは鶴抱かむ
175 一片の雲も置かざる初飛行
187 母の忌の箸の両細さくら冷(*)
187 ぬばたまの奈良墨にほふ花の雨
188 声明のはたと止みたる落花かな
189 鈍行や日当たる側に春の海
195 紋白蝶にのぼる空あり石舞台

 この句集は編年体ではない。おそらく2015年春の作品からであろう。春・夏・秋・冬・新年の別に編まれ、そしてごく最近と思われる春がまた来て、それで終わっている。その春は「謝する春」と名付けられていて、奥深い意味を感じる。
 この句集は、一言でいえば、典雅への憧憬である。俳句の世界に、むかし社会性・前衛があり、呟き俳句があった。もちろん伝承派的花鳥諷詠が多かった。この句集の表題『花鳥の譜』からすると「花鳥諷詠」的句集かと思うが、そうではない。初めの部分に東日本大震災にかかわると思われる句があるが、この句集は、社会性俳句でも前衛俳句でもなく、かといって伝統派の俳句とも違う。抒情をもって作者の人生と、長年にわたって貫かれた「典雅への憧憬」の句集である、と筆者は勝手に思っている。
 弘子さんの趣味は、これらの句から推し量って、多岐に亘る。アート・フラワー、茶道、クラシック音楽、西洋絵画などなどである。それらから啓発された句に加えて、父母、夫、子への情を籠めた作品群で、しっかりと固められている。土地柄としては、静岡、金沢などが目立つ。

 幾つかを鑑賞したい。

009 あの日より開かぬ箪笥の花衣
 この句の置かれた場所から判断して、東日本大震災にかかわる句であろう。しかし、筆者には今年の花の頃から病に臥せった弘子さんの無念が感じられて、その感を拭うことが出来ないでいる。

023 謝肉祭仮面になみだひと雫
 個人的ながら、ふと、ベニスの仮面店を思い出した。カーニバル用の衣装や仮面を専門に扱っている。ショーウインドウの仮面のひとつに、くっきりと涙の雫が描かれた面があった。ベニスでの旅情と相俟って、筆者には思い出の一句である。

066 パセリ添へ華麗な嘘を残しおく
 以前、この句に対してこう書いたことを思い出した……パセリに嘘を託して添えたのか、それともメインのビーフか羊肉かを、嘘の塊といったのであろうか? つまり、豪華なメインデイッシュがそもそも虚飾であるというのか? 直喩か暗喩か? 海野さんにしては屈折とかアイロニーを思わせる珍しい句。筆者の好みでもある……と。

101 絵に画きて患部告げらる稲つるび(*)
 これも置かれた場所から考えると、自信はないのだが、ひょっとして今闘病中の原因とされる状況について詠んだものかと思った。「稲つるび」が衝撃を伝えてくれる。

103 毬藻より気泡離るる星月夜
 阿寒湖の天然記念物。見事な写生句。「星月夜」もうますぎるほどぴったり。

110 花鳥の間過ぎて王妃の秋扇
 仲間で「迎賓館」へ吟行に行った。多分その時の句であろう。筆者は気に入った句が出来なかったが、弘子さんは素直に見た儘を書いた。

124 露深し化石の句碑を指に読み
 村越化石(ハンセン病で盲目となった俳人)は静岡県の茶どころ岡部の生れ。弘子さんも静岡なので、親近感がおありだったのだろう。「玉露の里」の句碑には〈望郷の目覚む八十八夜かな〉とある。

154 夫に剥くセザンヌ色の冬林檎
 弘子さんからご主人のことはよく聞かされていた。予備知識なしにテキスト通りに読むべきだが、その通り読んで、夫婦というものの温かさが滲みだしてくる一句である。しかも「セザンヌ色の」は脱帽である。

166 オイスターバー老優の冬帽子
 ニューヨークのグランドセントラル駅のビルにオイスターバーがある。超有名で映画にもなったはず。いかにも個人的で申し訳ないが、作者との共時性とでもいうのであろうか、023の句と同様に響き合うものがある。俳句のこういう読み方はいけないのだが、許されたい。

195 紋白蝶にのぼる空あり石舞台
 末尾の句である。辞世の句であるとは思いたくありません! 新型コロナも終息しそうです。また句会でお会いしましょう。通信句会でもいいですよ!

 それにしても、渾身の句集でした。感謝です。

池田澄子句集『此処』

 池田澄子さんの第七句集『此処』(朔出版、2020年6月7日刊行)を読む機会を得た。澄子さんは現在活躍中の著名な俳人なので、改めて紹介する必要はないと思うが、筆者が取材させて戴いて書いた『平成・昭和を詠んで』での若手のお客さまだった(正確にはお客様の最若手は大串章さんが当時79歳、次が澄子さんで80歳、あとの俳人はみな90歳だったり100歳以上だった)。澄子さんから、中国で亡くなった父君のこと、健気に頑張ってくれた母のこと、村上市のこと、師の三橋敏雄のことなどを伺ったのだが、あれから3年たっている。その間、彼女は第六句集『思ってます』を出されたが、一番の出来事はご主人を亡くされたことであろう。〈屠蘇散や夫は他人なので好き〉を思い出しながら、最新句集『此処』を読んでみた。


池田澄子句集『此処』.jpg


 自選句は次の12句。

  初蝶来今年も音をたてずに来
  私生きてる春キャベツ嵩張る
  桜さくら指輪は指に飽きたでしょ
  大雑把に言えば猛暑や敗戦日
  ごーやーちゃんぷるーときどき人が泣く
  玄関を出てあきかぜと呟きぬ
  散る萩にかまけてふっと髪白し
  粕汁の雲のごときを二人して
  偲んだり食べたり厚着に肩凝ったり
  この道に人影を見ぬ淑気かな
  生き了るときに春ならこの口紅
  柚子の皮刻み此の世よ有り難う

 筆者(=栗林)の感銘句は次の通り。(*)印は自選と重なったもの。

012 桜さくら指輪は指に飽きたでしょ(*)
018 めまといや昨夜を昔と思うとき
021 敗戦日化けてでも出てくりゃいいに
025 この人と居て嬉しくて瓦斯ストーブ
026 綿虫よ此の世ひろすぎではないか
031 行く用があって恵方ということに
036 江戸切子水にかたちを与えたる
041 予想したとおりに迷い牛膝
042 玄関を出てあきかぜと呟きぬ(*)
043 花野の花の何度聞いても忘れる名
043 雲に入る月に呼ばれたような気が
045 零余子かなこころのようにこぼれつぐ
046 天高しビルの足場の凛々しさに
046 手首ほそきおとこ可愛や荻すすき
094 無花果や自愛せよとは何せよと
095 たいがいのことはひとごと秋の風
100 塗りたてのマニキュアの手のひらひら雪
102 雪もよい明日は布巾を新しく
106 散る木の葉この世に入ってくるように
108 先生忌柚子を絞りし指を嗅ぎ
114 情が移りぬ干反り始めし裏白に
133 心配に濃淡のあり夕ざくら
153 吹いたことなき横笛を春の夢
154 あっ彼は此の世に居ないんだった葉ざくら
157 迎え火に気付いてますか消えますよ
166 山国を覆う山影女郎花
167 川沿いや過分の愛に似て秋風
168 重そうな秋の揚羽の後姿
172 この家も遺影は微笑ささめ雪
174 三つ編みの髪のかの日や桃の花
177 見に来て見ている去年二人で見ていた花
177 今夜あたり泣くかもしれぬ春の風邪
179 偲ぶひと多くて困る青葉かな
189 鴨帰る残った方がよいのでは
195 味方とは限らぬ低く来る揚羽
196 茅花流し遠くまばらに灯り初む
198 ちょっと待ってねぇと苧殻を折ると音
210 ショール掛けてくださるように死は多分
210 生き了るときに春ならこの口紅(*)

 一読して実に多くの共感句があった。読みながら、澄子名句(末尾に筆者が思うこれまでの澄子名句を参考までに掲げておいた)に新しく加わるのはどの句だろうかとの思いを募らせていた。やはり澄子さんらしいと筆者が勝手に思う納得の句を、まず掲げよう。

012 桜さくら指輪は指に飽きたでしょ(*)
021 敗戦日化けてでも出てくりゃいいに
025 この人と居て嬉しくて瓦斯ストーブ
031 行く用があって恵方ということに
094 無花果や自愛せよとは何せよと
095 たいがいのことはひとごと秋の風
189 鴨帰る残った方がよいのでは

 みな平易な句である。気づきに対し納得感が湧いてくる。呟きが平凡に見えて非凡である。いかにも澄子俳句である。021は、筆者なら〈化けてでも出てくりゃいいに敗戦日〉としてしまいそうだが、そうしないところが澄子調なのである。定型にすることで思いが沈着してしまうのを避ける、とでも言おうか。
 今回気が付いたことがある。わりに多くの伝統俳句的な(あるいは写生的な)句が鏤められているのである。そこで第六句集『思ってます』を取り出して再読してみた。その結果、以前にも文体もモチーフもけっこう伝統的な句があったことに、今更ながら気が付かされた。しかし、『此処』では若干増えているのではなかろうか、との印象を持った。筆者がそう思ったのは次のような句である。もちろん、すべて筆者には納得、あるいはそれ以上の句である。

036 江戸切子水にかたちを与えたる
045 零余子かなこころのようにこぼれつぐ
046 天高しビルの足場の凛々しさに
166 山国を覆う山影女郎花
168 重そうな秋の揚羽の後姿
196 茅花流し遠くまばらに灯り初む

 とは言え、この句集には澄子俳句の特徴的文体が健在で、かつ目立つのである。話し言葉で語りかけるような、あえて定型に抑え込めない句群である。そしてそれは今句集での最大のモチーフとなった「こと」にかかわる句が多かったように思う。大きなモチーフはふたつある。ひとつはご主人のご逝去(あるいは故人を懐かしむ情)にかかわる。

154 あっ彼は此の世に居ないんだった葉ざくら
157 迎え火に気付いてますか消えますよ
172 この家も遺影は微笑ささめ雪
177 見に来て見ている去年二人で見ていた花
177 今夜あたり泣くかもしれぬ春の風邪
179 偲ぶひと多くて困る青葉かな
198 ちょっと待ってねぇと苧殻を折ると音

 たとえば〈177 見に来て見ている去年二人で見ていた花〉は、筆者なら〈見てゐたり去年ふたりで見てゐた花を〉とやってしまう。これでは原句の味が失われるのだ。

 もうひとつのモチーフは命終という大きなテーマである。最終頁の2句が重い。

210 ショール掛けてくださるように死は多分
210 生き了るときに春ならこの口紅(*)

そして彼女は「あとがき」に次のように書く。

 八歳の夏、かの戦争で父を奪われ、人は死ぬ、死は絶対であると知って以来、此の世の景の儚さを忘れることができない体質になったようだ。(中略)そしてある日、思い付いてしまった。句集を纏めることで自分を区切り、僅かの未来を、死別に怯えずに一度生きてみたいと。

 該句集の最大の特徴は、これを区切りに安寧な余生への決意を書いた、というところにあるのではなかろうか。人生の答を出し、それをゆっくり確かめながら、これからの「生」を生きて行くのである。

(参考)
 澄子俳句のうち、筆者がよく口ずさむ幾つかを掲げておきます。ご参考までに……。

敗戦日またも亡父を内輪褒め     『拝復』179
忘れちゃえ赤紙神風草むす屍     『池田澄子百句』088
戦場に永病みはなし天の川      『拝復』027
怠るに似て頭を垂れて敗戦日         028
土用波どこにどうして英霊は         029
兵泳ぎ永久に祖国は波の先          179
春寒の灯を消す思ってます思ってます 『思ってます』008
ところどころで戦争ときどき秋立ちぬ        017
小島在り 亡父のごとく在り月下          017
脱ぎたての彼の上着を膝の上
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの『自句自解ベスト100』006
ピーマン切って中を明るくしてあげた           024
屠蘇散や夫は他人なので好き               052
腐みつつ桃のかたちをしていたり             063
青嵐神社があったので拝む                080
太陽は古くて立派鳥の恋                 082
目覚めるといつも私が居て遺憾              122
前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル             124
戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ               162
本当は逢いたし拝復蝉しぐれ               202
               (『昭和・平成を詠んで』より転記)

アニミズム論―坂口昌弘著『俳句論史のエッセンス』―追補

 先に坂口昌弘さんの著作『俳句論史のエッセンス』の特にアニミズムの部分を抄録し、このブログにアップした(令和2年5月22日)。それに対し、坂口さんから貴重なコメントを戴いた。月に何本もの俳句論の執筆にお忙しいところを、よくも戴けたものと感謝している。さらに、筆者(=栗林)の理解不足を補ってもらえるコメントまで戴けたのは幸いであった。読者の皆様にも、ご参照に供すべく、以下に掲載致します。


坂口俳論エッセンス.jpg


 まず、筆者がところどころに書き込んだ私見にかかわる氏のコメントである。
私見:アニミストとしてはむしろ虚子が先輩であったと筆者は感じている)。
坂口 同じ意見です。該著の36,37頁に、虚子21歳の時の文章がアニミズム的であることに触れています。虚子が21歳ですでに自然に神性・霊性を感じていたことは殆ど指摘されて来ませんでした。しかし虚子はその後自説をあまり語らなくなっています。客観写生を広めたほうが一般大衆に俳句が広がると考えたのではないでしょうか。

 次に、筆者が引用した中沢新一の論
「宇宙をあまねく動いているもの」これをかりに「霊」と呼び、英語では「スピリット」と呼ぶことにしましょう。このスピリットは宇宙の全域に充満して、動き続けている力の流れです。この「動いているもの」が立ち止まるとき、そこに私たちが「存在」と呼んでいるものが現れます(詳しくは5月22日のブログ参照。)
を取り上げたが、これに対し、
坂口 これには該著の290頁の5行目で示したタオイズムの「気」の考えに近いと、私はコメントしています。312頁の芭蕉の章でも「気」について書いています。中沢さんのいう「霊」が「存在」になるということは、荘子のいう「気」が凝って「物」になる考えと同じです。「霊」も「気」も科学でいう「エネルギー」に近いかと思います。気は目に見えないものですが、気が凝ると物・生物になって、目に見えるものになります。
 目に見えるものの中に目に見えない「霊」「気」「魂」を感じることをアニミズムというケースと、目に見えないものが、凝って生命・物となるケースのアニミズムの両方あることをタイラーは例をあげていますので、中沢説はタイラー説の中に含まれています。
 アニミズムは写生と同じように論じる人の数だけの定義・意味があるので、タイラーの原典に戻りましょうということをいいたかっただけです。アニミズムはタイラーが創唱して多くの例をあげて定義したものだから、タイラーの書を読んで、なにか別の説を唱えたいのであれば、「~イズム」として新しく提示すればよいかと思います。タイラーの例にあげたアニミズムとは異なり「私の思うアニミズムは、これこれ」だと別の意見を勝手に述べると、議論が混乱します。写生論のように俳句論がいつも混乱するのは自分勝手な意見を述べるからかと思います。正岡子規は幽霊の俳句を詠むことを写生だといいます。これも一般的に思われている子規の写生論とは異なる定義かと思います。

 さらに坂口さんから私見に対するコメントを戴いてあります。前後のつながりから、容易に理解できるように、多少字句は変えてあります。

私見:無機物を含む万物に魂や神々を単に「認識」するだけでなくそのレベルを超えて「信仰」というレベルまで高められていなければ、アニミストとは言えないと解釈しました)
坂口 (あなたの)私見なので、ぼくがコメントできませんが、ぼくも理科系で、100%の信仰はないのですが、むしろ否定の否定として考えています。神や霊や魂はあるかないか科学的にはわからないが、文学や宗教で、「ないとはいえない」ということを信じています。科学で100%ないとはいえないから、今もアニミズムの句があるのだと思います。
 科学で自然・宇宙の存在の本質を100%理解できないことが、神や魂の存在を思わせてきたのだと考えています。
 もう一つは「祈り」です。多くの人は何かに祈りますがその祈りの対象に神々や仏像があり、その存在をアニミズムとタイラーはいいます。神社やお寺やお墓で祈るのは、なにか不思議なもの、神や祖霊や魂や仏の存在をどこかで思っているのではないかと考えます。
 三輪山のように山を神と思って拝んだり、太陽の日の出や、七夕の日の星に拝んだりする「祈り」の行為がアニミズムとタイラーは言います。
 高野ムツオさんや渡辺誠一郎さんに東日本大震災での祈りの句がありますが、亡き人の霊を思っている句は本質的にはタイラーのいうアニミズムです。亡き人の霊がないのなら鎮魂の必要がないかと思います。死後に何もないのなら、墓もいらないかと、無神論者はいいます。墓に亡き人の魂を感じるから、墓参りはアニミズムの行為とタイラーはいいます。
 お墓参りをするときには、心の中で、両親や親族の記憶と対話をしています。昔の人の記憶というのも、魂の働きと小林秀雄や山本健吉はいいます。魂や神という物理的存在があるのではなく、墓石の存在が、お参りする人の心の中に、今はない過去の人々の面影を生じさせるというその働きが魂・霊というもののようです。亡き親族・友達を詠む俳句は、そういう意味で、鎮魂のアニミズムと言えます。「影」という言葉も本質は霊だと山本健吉はいいます。
(ふたたび私見:よく分かります。墓に父母の魂が宿っていてくれるかもしれないから拝むのであって、考えてみれば、魂が宿っていなくても、お参りすれば自分の気が休まるから、言ってみれば自分の自己満足のために祈っている、というのが筆者の現状であります。それがアニミストだと言われれば、アニミストになるのは閾値が低すぎるのではないでしょうか? 多くの宗教は殉教者を沢山出しました。あるいは、血の滲むような修行・奉仕・喜捨・努力・犠牲のすえ信者となることが通常でした)

 次に、該著に、インドのバラモン教とヒンドゥー教は、神々を信じ、人と動物には魂を認めるのでアニミズム的ではあるが、植物と無機物には魂を認めないとあり、さらに、アニミズムを否定する人も、神々や霊や魂の俳句を詠む限り、アニミストであると論じています。このことに関して
私見:この点で判断すれば、筆者のアニミズム観はバラモン教やヒンドゥー教系に近いのかもしれない)
さらに、アニミズムを信じない人でも魂の句を詠む人はアニミストである、という坂口さんの記述に対して
私見:この意見は筆者にとっては広すぎると思うのですが・・・。本物のアニミストは魂や神々を木や石にも認めるという態度が信仰のレベルまで達していなければならないと思う。正直言うと自分は、信仰のレベルに達していないので、アニミスト予備軍かも知れない)と私見を書きました。これに対し、坂口さんは

坂口 森羅万象のすべてに魂があることがアニミズムではなく、動物に魂があると思うだけでもアニミズムとタイラーは言います。インド人はほとんどヒンズー教ですがアニミズムと言います。何か一つでも自然の中に、神や魂があると感じればそれがアニミズムの例としてタイラーは紹介しています。
 タイラーによれば、本物のアニミズムも偽物のアニミズムもないかと思います。近代的アニミズムも古代的アニミズムも、兜太的アニミズムも汀子的アニミズムもないかと思います。近代人の理性でなにか、枠や制限や基準を設けると古代人のアニマが捉えられなくなるかと思いますし、定義のちがいで、議論が噴出するかと思います。
 古代人の「信仰」と「認識」の違いの定義はわかりません、タイラーは膨大な例を提出しているだけで、世界各地で、神々や魂を考えていた例を多く集めているだけです。ギリシャ人が蝶を魂と思っていたことは、認識なのか、信仰なのかは近代人にはわからないところがあるかと思います。
 太陽を神とした考えも、アマテラスオオミカミとして、太陽がなければ、生命が存在しないから、その太陽の働きを、偉大な神にしたことも、信仰というよりも合理的な認識のところもあります。科学的に考えれば、動物と植物の生命に共通したものとしてDNAがありますが。古代の人は直観的にDNAのようなものを魂と考えたかもしれません。しかし、DNAが発見されたからといって、では、なぜ、いかにして、DNAのようなものが発生したのか、そのDNAの働きと生物の生命とどういう関係・構造になっているのかは、まだまだわからないことがあります。この世のわからないことを人間は神とか霊魂とか呼んできたのかもしれません。

私見:大きな木や石(無機物)に神を感じるのは、分かるが、人間とフレンドリーな存在であることが前提でありやしないか。たとえば山古志村の地震で巨石が婦人と赤子の車を押しつぶした、あの巨石にも神を認めろ、というのは感情的に難しい。たしかに、多くの神の中には邪悪な神もいるのです、と言われればそこまでではある。山は崩れるし川は暴れるし・・・)。
坂口 風邪も風邪神、地震も火山も恐ろしい「神」、邪悪な神も神の中にあります。何でも神と思ったら、古代からそれを神としてきたようです。八百万の神には何でもあります。伊勢神宮にも荒ぶる神が祀られています。善い神と悪い神があり、善い霊と悪い霊があります。
 科学で理解できない、不思議なもの、神秘的なもの、すべてを神や霊魂の働きにしてしまったのがアニミズムかと思います。物そのものではなく、物の働きを神とも呼んでいます。
 ニュートンもアインシュタインも神を信じていますが、キリスト教の神ではなくて、ニュートンの法則やアインシュタインの法則で、宇宙が成立しているということ自体がなぜなのかわからないから神を考えています。神が法則を作ったというよりも、法則で理解できる宇宙そのものが神だという考えです。アインシュタインは、人間のような姿をしたゴッドや、イエス・キリストを神としたり、処女マリアに子を産ませた聖霊や、また聖書に登場する天使やデビル(悪魔)の存在をアニミズムといっています。存在の根源、生命の根源がわからないものを神や霊魂としているのが宗教でありアニミズムだと思います。
 タイラーはとにかく多くの神と霊魂の例を集めて、アニミズムと呼んだだけで、体系のある哲学ではないので、批判されています。
 タイラーは、童話や詩歌文学に、神々や霊・魂がいまだに語られていることを、アニミズムの「残存」と言っています。人間が誕生して以来、人間は神と魂について考え続けてまだ結論がついていないようです。客観的事実として、芭蕉・子規・虚子・龍太・澄雄・兜太等々多くの有名な俳人が神・霊・魂の句を残していることその事実が、俳句とは不思議な文学と思い、多くの俳句論の一つに取り上げたのです。

 以上、坂口昌弘さんのコメントでした。少し、気が休まりました。

ソフィア俳句会合同句集『紀尾井坂』

 上智大学の俳句仲間がアンソロジー『紀尾井坂』第二号を刊行した(発行所ソフィア俳句会、代表は根来久美子さん、令和2年6月25日刊行)。指導役の大輪靖宏先生は上智大学名誉教授で日本伝統俳句協会副会長、「輪」主宰で、著書・句集の数は膨大である。芭蕉や上田秋成などの研究者として知られている。


上智アンソロジー「紀尾井坂」.jpg

 アンソロジーを戴き、さっそく一読し、お礼の気持ちを籠めて各員一句ずつを選ばせて戴いた(大輪先生は2句)。勝手な選ですがお許しください。

燕来て街新しくなりにけり        大輪靖宏
峡歩く疲れ嬉しき鮎の宿
考妣の隣が席ぞ夕端居          五十嵐克
蜻蛉の水面打ちたる音を聴く       内海 秀
追ひ炊きに柚子の揺れ出す冬至風呂    江澤健二
年ごとに手抜きの増えて年用意      鈴木占爐
遠い目をして西安の石榴売り       岩淵弥生
何枚か新札に換え年用意        小池ザザ虫
皇室展のボンボニエール春深し      鈴木 榮
我が声に母目覚めしか墓参り      徳丸喜久子
残暑とて楽しきことの二つ三つ     坂井都代子
君去りて秋澄む昼の広さかな       中村 剛
七草をすらすら言ふ子頬紅し       稲田幸子
穭田に忍者歩きの鷺一羽        中岡まつ子
瞬きが母との会話林檎の香        和髙怜子
山宿の火種絶やさぬ夏炉かな       畔柳海村
罪あるとすればこの色秋の薔薇      後藤 洋
淡雪や金箔散らす治部煮椀        野地陽花
遥かまで麦の穂続く巡礼路        中村明子
芝浜を聞きつゆるりと年用意       新山さむ
緊張の加減ほどよく障子貼る     吉迫まありい
鳥渡る地上にいくつマリア像     くにしちあき
ふる里のひと足早き花野かな       岩瀬深雪
昔母今コンビニのおでん味        國島節子
秋うらら生後二日の大あくび       田中香文
いつぴきの蠅を目で追ふ五時間目     山田知子
はなびらもちほゝやはらかきをんなたち 根来久美子
春浅し応挙の狗のころころと       堀 収子
テーブルを倍の長さに年用意       梅本純子
ジョギングの息弾ませて御慶のぶ    廣野ふえり
料峭やずらりと並ぶ兵馬俑        向瀬美音
落蝉の見上ぐる空の高さかな       児山扇治
海苔船の犇めく港旅はじめ        小谷由果
         
入学年か卒年か、その順に並んだ作品を観させて戴いて、静かな時の流れを楽しみました。有難う御座いました。

坂口昌弘著『俳句論史のエッセンス』、特にアニミズムについて

 坂口さんの該著は、俳句の世界のいろんなテーマについて、自らの見方を含め、多くの方々の論を要領よく纏めてくれており、たいへん参考になる(本阿弥書店、令和2年5月17日刊行)。
 写生論、有季・無季論、定型・自由律論、新興俳句、第二芸術、社会性、前衛、切字論などについて書かれており「俳壇」2017年1月から2019年6月号に連載したものである。

坂口俳論エッセンス.jpg


 筆者(=栗林)はなかでも「アミニズム」について、以前から興味を持っていたので、その部分をさっそく読み始めた。該著の258頁から295頁にかけての論述である。
 要約してみよう。

アニミズムの要約
 初めに該著で扱う「アニミズム」の定義を述べている。この概念を創唱したのはイギリスの人類学者エドワード・タイラーで、「自然の事物が魂または意識を持つという信仰」であるとしている。アニミズムの特徴は、動植物の生命を神と思い、太陽や月という生命のない物質をも神として崇めることである。該著で坂口は「自然・造化の万物に人間の命と同様の命を感じ、その命の根源としての神々や魂の存在への認識と信仰という概念に限って俳句を考えたい」としている(私見:単なる「認識」のレベルを超えて「信仰」というレベルまで高められていなければならないと解釈した)。
 共産主義・唯物論は無神論・無魂論であり、神と魂の存在を否定し、反アニミズムである。インドの釈迦仏教は、神と魂の存在を一切語らず、アニミズムではない。インドのバラモン教とヒンドゥー教は、神々を信じ、人と動物には魂を認めるのでアニミズム的ではあるが、植物と無機物には魂を認めない(私見:この点で判断すれば、筆者のアニミズム観はバラモン教やヒンドゥー教系に近いのかもしれない)。
 中国の荘子は、人・動物・植物・無機物の森羅万象に、命の根源としての魂の存在を認めた。その影響を受けた中国・日本の大乗仏教と日本の神道は、アニミズムに含まれる。有季定型の俳句・短歌も、神々の信仰に関していたから、そのルーツはアニミズムに深く関係している。
 西洋人のほとんどはキリスト教の唯一神のゴッドを信じ、神々や自然の魂の存在を認めていないから、アニミズムは下等な宗教だと否定している。
 アニミズムは今も多神教・多仏教の国々では適用できる概念で、基本的には日本人の多くはアニミストである(私見:正直言うと自分は、信仰のレベルに達していないので、アニミスト予備軍かも知れない)。
 子規も虚子も客観写生を説いたが、魂と神々の句を詠んでいるからアニミストである。
 平成時代には俳句におけるアニミズム説が出てきた。万物に魂と神々を感じることは、それを肯定するか否定するかのどちらかであり、科学的理性では証明不可能である。文学・宗教・哲学では魂の存在が肯定され、科学では否定される。日本文学では、アニミズムは生命感覚として理解されてきたが、あくまでも生命の根源に魂があるという理解に限らないと議論が混乱する。

金子兜太と稲畑汀子のアニミズム
 二人は有季と無季に関して対立しているが、共にアニミズムという言葉を使っている。兜太と虚子(や汀子)に別々のアニミズムがあるわけではない。兜太が虚子を批判した論点とは違う次元で考えるべきである。二人の対立点よりも共通点を理解すべきである。例句としては
 梅咲いて庭中に青鮫が来ている    兜太
 花に精宿る故人を偲びつつ      汀子
等があげられる。先に見たタイラーの定義から見れば、二人とも霊性の存在を詠むことだけにおいて、共通してアニミズムに含まれる(私見:二人の対立点を見るのではなく、共通点を見るべきだとする、この整理は見事)。

金子兜太のアニミズム観
 下記3句の第1句〈おおかみに螢が一つ付いていた〉はアニミズムの句のように見えるが、これだけでは魂を詠んでいないからアニミズムの句とは言えない。しかし、2,3句目と併せて読むと、初めてアニミズムの句だと分かるのである、と坂口は主張する(私見:まさにその通り。第1句句だけでの判断は早計であり、狼と蛍の句があるから強いアミニズムが感じとれるのであろう)。
  おおかみに螢が一つ付いていた    兜太
  おおかみを龍神と呼ぶ山の民     
  魂きわまる螢火おれに眠りあり
 兜太はどちらかというと動物のなまなましい生命感覚をアニミズムとしていた。それに対し、次に述べる虚子のアニミズムは、花鳥風月に魂と神々の存在を詠んでいた。兜太は虚子を批判したが、虚子もまたアニミストであった(私見:むしろ虚子が先輩であったと筆者は感じている)。

高濱虚子のアニミズム
 坂口は、兜太と虚子の共通する概念において、「魂と神々を感じる俳句であれば、アニミズムという概念が適用され得るということ」が、この章で言いたいことである、と書いている。二人は、魂と神々の存在を俳句に詠んでいるという点において、共通なのである。
 氏は、山本健吉が虚子のいう「存問」を「新しいアニミズム」だと断定したことを言揚げする。「存問」とは「山川草木鳥獣虫魚など森羅万象に対して挨拶の言葉を交わしていることである。(中略)無機物な自然に対しても、あたかもそれが生きているかのように言葉をかける」ことである。
  子規逝くや十七日の月明に      虚子
 この句は(一見)客観写生の句である。しかしこの句の背景を説明した文では「子規居士の霊が今空中に謄りつつあるのでは無いかといふやうな心持ちがした」とあることで、虚子は子規の魂を見た。だから句は主観的写生であり、目に見えない霊を感じることはアニミズムである(私見:肉眼で見えるものに対して目に見えない魂や神々を感じるのがアニミズムであるようだ。とすると肉眼で見えないものはアニミズムの対象にならないのだろうか。このことは後でまた述べる)。
 汀子は虚子が「天地有情」という言葉を好んで発していたという。「天地有情」は図らずもアニミズムの日本語訳といってよいほどである、とも言っている。坂口は「汀子は虚子の俳句観の本質を洞察した優れた批評家である」としている。
 アニミズムを否定する人も、神々や霊や魂の俳句を詠む限り、アニミストである(私見:この意見は筆者にとっては広すぎると思う。本物のアニミストは魂や神々を木や石にも認めるという態度が信仰のレベルまで達していなければならないと思う。その意味で後述する中沢新一はアニミズムのみごとな解説者ではあるが、それはあくまでも学問上のことであって、中沢が信仰として魂や神々を木や石にまで信じているかどうかは、私には分からない)。

山本健吉のアニミズム観
 健吉はアニミズムを柳田國男と折口信夫から学び、「歌は意味でも思想でもなく、その中にこもる〈いのち〉〈魂〉〈生気〉〈スピリット〉〈神のようなもの〉が大切であり」と語り、「私は自分をアニミストだと思っている」とある。詩歌関係の文章でこう書いた人は健吉が初めてであろう。兜太は、初期の頃はアニミズムという言葉や概念は使っていない。
 アニミズムは体系的な俳句論でそれまで語ることができなかったから、俳句論として論じたのは彼がはじめてであろう。俳人は、魂と神々の存在を肯定するか否定するかのどちらかである。目に見えるものの写生は誰にでも容易であるが、目に見えない魂や神々の存在を描写することは容易ではない。描写する以前に、それらの存在を信じていなければ心に見えないからである。新興俳句であれ伝統俳句であれ、優れた俳人は魂と神々の存在を描写できたのである。

梅原猛のアニミズム観
 梅原猛は「日本文化の原理」を五十年間かけて考え続け、それを「草木国土悉皆成仏」だと結論した。梅原は、鈴木大拙が日本文化の全体を「禅」で説明しようとしたが、とてもできていないと批判した。禅よりもむしろ神と霊の存在を信じるアニミズムの方の影響が大きいという。
 梅原は、人間ばかりか鶯や蛙も歌を詠むという能を作った世阿弥、さらには宮沢賢治も伊藤若冲もそれらの作品から〈草木国土悉皆成仏〉の思想を持っていた」という。曹洞宗開祖の道元は山川草木と一体になって仏となった、とある。

荘子の「万物斉同」とアニミズム
 梅原の思想の根本をなす「草木国土悉皆成仏」に関連して、『涅槃経』の「一切衆生、悉有仏性」と、中国天台学における「草木国土、悉皆成仏」という思想は、荘子の思想に基づいている、と福永光司が書いている。ここで「衆生」とは「生きとし生けるもの」であり、インド仏教・哲学では植物や無機物は含まず動物だけだった。中国の天台教学においては、情なきものにも仏性があるとして、土塀や瓦石にも仏性を認めている。

宮坂静生のアニミズム
 アニミズムに深い関心を持っている俳人の一人に宮坂静生がいる。彼の卒論が「蕉風俳諧発想法序説―荘子との関わり」を書き、万物の生命の根源としての道(タオ)を説く荘子を研究したことがアニミズムへの関心に結びついたのではないか、と坂口はいう。

新興俳句俳人たちの伝統的アニミズム
 新興俳句の人々がアニミズムの句を詠んでいたことは無視され続けてきた、と坂口は書く。その例が、
  月光に己の魂と死をかたる       渡辺白泉
  虹は神の弓なり我等手にとり難く    細谷源二
などである。伝統俳句、新興俳句、社会性俳句、前衛俳句にかかわらず、多くの俳人は、魂と神々の存在を思うアニミストである。

アニミズムの創唱者、エドワード・タイラーの『原始文化』(中沢新一への反論)
 該著のアニムズムの項のおしまいに、坂口は、タイラーの著作『原始文化』を紹介している。その論はここでは省略するが、中に筆者にとって興味深い記述があった。中沢新一への反論である(中沢のアニミズム解説記事はこのあとでその要点を掲げておく)。
 坂口はこう記述する。
「タイラーが創唱したアニミズムの定義を誤解した発言に最近出会った。中沢新一は『俳句の海に潜る』の中で、高濱虚子の句〈凍蝶の己が魂追うて飛ぶ〉は近代的なアニミズムであり、私(=中沢)としては面白くない、と述べている。魂の定義は時代を貫くもので、近代も古代もなく、中沢が主観的好みで、面白くない、といっても正確にはタイラーの定義に従わざるを得ない」
「身体から離れた魂の存在があるとすることは、すでに荘子の時代から語られた伝統的・古代的な思想である。魂は物体・肉体とは別だとする二元論であろうと、魂と物体。肉体が同一であるいう中沢の一元論であろうと、魂の存在を詠むことをアニミズムと定義しないと混乱する」
「中沢のような論理的一元説ではわりきれない」

 坂口の論はまだまだ続くのだが、このあたりで終えておこう。
ところで、筆者(=栗林)が聞き齧った(いや調べ齧った)アニミズムの資料を掲げておこう。中沢のアニミズム解説と兜太・汀子の対談である。

アニミズム―(栗林の)私論を含めて
 以前、兜太は「西洋は対物」的だと言っている(『悩むことはない』、(株)文藝春秋、平成25年10月)。西洋の童話では、人間が罰として動物に変えられたりするが、日本では、逆に動物が温かい気持ちで人間になったりする(鶴の恩返しなど)。このように兜太の心根には人と動物との対等な交流意識があるようだ。アニミズム的ともいえる。
中沢新一がアニミズムを分かりやすく解説している(「現代俳句」平成28年2月号)。未開人のアニミズムは西洋のそれとは違っていて、説明では、

「宇宙をあまねく動いているもの」これをかりに「霊」と呼び、英語では「スピリット」と呼ぶことにしましょう。このスピリットは宇宙の全域に充満して、動き続けている力の流れです。この「動いているもの」が立ち止まるとき、そこに私たちが「存在」と呼んでいるものが現れます。立ち止まり方が堂々としていて、何千年の単位で立ち止まっているものは石と呼ばれ、二百年ぐらいの単位で立ち止まったスピリットは、木というものになります。りっぱな木や石に出会ったとき、インディアンは石や木そのものでなく、その背後に流れている大いなる「動いているもの」に向かって祈りを捧げるのです。
 同じようにして、四本の足を持って地上を動くことのできる形で数十年立ち止まることになれば、それが動物になる。空を飛ぶ鳥になるスピリットもある。もちろんそこには人間もいます。大いなる「動くもの」が人間という存在として立ち止まったから、そこには人間がいるわけです。

とある。日本人の、特に俳人が納得するアニミズムは、中沢の言うこのアミニズムに近く、ヨーロッパの(「もの」と人間を二元的に考える)西洋アニミズムとは違っていることに気がつくのである。

 以下は筆者(=栗林)の愚考なので、読み過ごしていただいて構わないが、この考えを敷衍すると、木や石を加工した机やお地蔵さんもアニミズムの範囲に入ることになる。これは分かる。だが、石を拡張してウラン鉱石を考えてみると、これがスピリッツの化身だと認め、これを人工的に加工して作り出した核燃料もプルトニウムもセシウムも霊の化身であるとなり、これは行き過ぎではないではなかろうか。つまり、万物がスピリットの化身であるとはいえ、アニミズムの範囲は、自然に限りなく近いもので、畏敬の対象になりえるもので、かつお互いにフレンドリーなものという暗黙の了解があるのではないだろうか。
 中沢新一は学問としてのアニミズムを上手く説明してくれてはいるが、自身が熱烈なアミニズム教の信者であるかどうかについては、今一つはっきりしない。その辺ところを、筆者はいつかもっと知りたいと願っている。

(追記)これに関し最近考えていることは、アニミズムは肉眼で見える万物に対して目に見えない神々や魂を感じ信じることのように思っている。ところが、肉眼で見えないもの、たとえばセシウムとかウイルスにも魂を感じねばならないのなら、少し無理があるように思える。それと同じく、巨石に神を感じるのは納得できるが、山古志村の地震で巨岩が崩れ婦人の乗る車を押しつぶした、あの巨岩にも神を感じなさい、と言われると、如何なものかと思ってしまう。アニミズムの対象は、人々の心中で暗黙的に人間にフレンドリーなものという約束ができてしまっていやしないだろうか。そのような訳で、自分は準アニミストだと思っているのである。もっともこの考えは、多くの神の中には邪悪な神もいるのです、と言われればそこまでではある。山は崩れるし川は暴れるし・・・。

 思えば、俳句の世界では特異とも思われる考え方が支配的になることがある。例えば「写生」という方法である。美術の世界では「写生」を超越した流れが発展しているが、俳句の世界では「写生」が方法の域を超えて重要視され、玉条化されている。アミニズムも、たとえ宗教的には忘れ去られたものであったとしても、俳句を詠むものの万物を視る心の基本として、おそらくは末永く生き残って行くのかも知れない。

アニミズムをめぐる兜太・汀子対談
 折角なので、拙著『俳句とは何か』から兜太・汀子の論争を再録し、掲げておこう。先に要約した坂口の記述にも出てきた両者の激論である。この記事のもとは「俳句界」平成23年1月号にある。
金子 最短定型詩というのは、命に一番触れやすい形式だという体験を私は持ったんです。最短定型のおかげで、私はかなり命に直に触れ得たという思いがありますね。ですから、今の若い人たちは植物とか小動物とかの付き合いを大切にするみたいだから、それはいいことだと思います。それをもっと積極的に体験して、そこで命を体験する。私はそう思うんですね。人間同士の命を体験するのは、なかなか出来ませんからね。今の時代、道徳とか倫理が入っちゃって、人間が律儀になっちゃう。生じゃないんですよ。誰かが死んだとして、その亡くなったひとのことを理屈で考えたりするでしょう。それは命に触れているわけじゃないわけ。だから本当に直に命に触れる機会を持たなきゃ駄目。俳句というのはそのチャンスだと思います。
稲畑 だから、私は、二十一世紀のキーワードは「自然」だと、早くから言っているんです。俳句を作ることによって、いろんな事柄を吸収していける。若い人はもっと自然に親しんで欲しい。
金子 「自然」と言っちゃうとぶれちゃう。私は、「生き物感覚」と言っているんですけどね。
稲畑 だけど、金子さんも私の真似して、自然がキーワードだって言ったのよ。
金子 そうかな。いのちの世界が自然だからね。
稲畑 どこかで書いていたわよ。ただ、「人間も自然の一部である」ということは、もう高濱虚子がすでに言っています。
金子 いや、虚子のように、自然随順なんていう言い方は誤解され易い。随順しているんじゃない。人間も自然、他の生き物と同じなんだよ。
稲畑 それは虚子が言った言葉じゃないですか。
金子 虚子は違う。私の場合は花も蝶もみんな生き物、同じ自然だと。
稲畑 同じことですよね。
金子 違う。虚子とは逆。虚子は律儀に自然随順、花鳥諷詠なんですよ。そういう律儀な考え方は駄目。生き物は全部、自然なんだ。つまり平等でなければいかん。私が言いたいのはそういうことなんです。今はまだ自然と人間と、二元的に考えたりしている癖があるよな。人間と自然は別物だと。
稲畑 人間も自然の一部であるということでしょ。虚子と同じですよ。花鳥諷詠というのは松尾芭蕉の「造化にしたがひて四時を友とす」「見るところ花にあらずということなし。思ふこと月にあらずといふことなし」ということを短く言ったのが、花鳥諷詠であると虚子が言っています。
金子 それは孫が言い直しているだけだ。じいさんはもっと律儀に、道徳的に、二元化していた。まあ、また、繰り返しになるからやめましょうよ。結局ね、稲畑と私がこんなことを言い争いするようになったっていうことが一つの収穫だと思う。命の世界が自然なんだから。私も稲畑もそこへの思いを深めている。そういう現象だと思う。去年(平成22年)はそういう年じゃなかったんですか。ホトトギスの人たちは写生が大事だと言っていますが、写生とはいのちに触れることですからね。私の場合は、もっと心の中で、アニミズムというものを理解しながら、生き物感覚なんて言ってきた。
稲畑 アニミズムは私が先に言ったの。
金子 そういうけちなことを言うんじゃない。あなたの本当に一番悪い癖。命ということに共通に、問題意識の中心が来ていると。それが大きな収穫だと私は見ていますよ。俳句はそういう役割をしているんだよ。最短定型というのはそこが強いんですよ。



 このほか、該著『俳句論史のエッセンス』には、俳人にとって興味深いテーマとその解説、論考が満載されており、俳句愛好家にとって必見の書である。次には、古くて新しい問題だと筆者が考えている俳句第二芸術論を、読もうと思っている。

俳句誌「周」創刊

 「周」(しゅう)という俳誌が立ち上がった(2020年5月)。大分県中津市で行われていた「円錐」中津句会が終わるのをきっかけに、周(あまね)句会の仲間が発表の場として創刊した小俳誌である。編集は後藤秀治、山崎浩一郎、横山康夫の皆さん。

俳誌「周」創刊.jpg


 創刊号でもあり、会員各位の作品から一句ずつ選ばせて戴いた。
 
   揚雲雀声のみ届く高さかな      熊谷明美
   ふるさとは人の小さき秋の暮    紅梅三男丸
   もてなしに程よき障子明かりかな   後藤秀治
   海雲酢や二人でいても遠く見て   佐伯ひろみ
   終ひには鬼に食はるる数へ歌     三丸祥子
   新聞をめくる音良き秋の朝     谷崎佳奈美
   古の政庁跡の木守柿        帖佐喜久美
   新聞のかすかにおもき梅雨曇     寺坂明美
   小春日や手押し車の集まれる     寺坂公広
   掌でつつむコーヒーカップ春浅し  昼間くみえ
   水筒の小さきを選ぶ冬の旅     山崎浩一郎
   炎天の真つ只中の棒となる     渡辺ひろ子
   死者とゐて想へば雪の降るごとし   横山康夫

 書評は、鈴木牛後句集『にれかめる』について、後藤氏が書いている。

 今後のご発展を期待しております。


宇多喜代子著『暦と暮らす―語り継ぎたい季語と知恵』

 宇多さんが書かれた表記の著書を読む機会を得た。と言ってもまだ全部を読んだわけではないが、皆さんへのご紹介のつもりで、感じたことや思い付きを書いてみたい(NHK出版、2020年4月15日刊行)。宇多さんのご経歴は、いまさらご紹介するまでもないが、蛇笏賞や日本芸術院賞など多くの賞を貰われ、令和元年には文化功労者に選ばれておられる。

 該著は、「NHK俳句」テキストに連載した記事を再編集したもので、その名の通り、俳句に「暦」がいかに密接にかかわっているかを丁寧に解説している。「暦」はすなわち「農暦」であり、季語は農事に深くかかわっている、と分かる。とうぜん二十四節季に従って、例句を交えて懇切な記述がある。


宇多喜代子NHK.jpg


 この著書の一つの特徴は、添えられている写真が見事に雰囲気を高めていることである。写真提供は、農山漁村文化協会発行の『写真で綴る 昭和30年代 農山村の暮らし 高度成長時代以前の日本の原風景』(写真:武藤盈、聞き書き:須藤功)による、とある。
 上に掲げた表紙の写真を見て戴くと分かるのだが、田植えの農婦の動作が映されている。農婦の足運びの微妙さが観るものに伝わってくる。懐かしい風景である。
 このような思い出の風景が四季別にところどころに挿入されている。著作権を気にしながら、もう一つだけ写させて戴いたのが、次の写真である。夏の日、田植えは家族総出の大仕事である。幼子がイズミ(子供用の籠)の中で眠っている。大きめの傘が竹棹に結わえられて籠のそばに立てられており、幼子に心地よい日陰を作っている。まさに昭和の農村の典型的な風景である。


宇多喜代子NHK挿絵.jpg


 該著を読む機会は5月16日から始まった。立夏を過ぎたばかりであった。なので、そこから読み始めた。「立夏」「小満」「芒種」「夏至」「小暑」「大暑」とある。例句がいくつか載っているが、筆者の懐かしさは、次の句に到って膨れ上がる。
   プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ   石田波郷    該著67頁
少し進むと
   やはらかき母にぶつかる蚊帳の中    今井 聖      103
筆者がときどき参加している「街」句会の主宰なので、身近に思ったりする。
 これからゆっくりと、毎日少しずつ読み続けて行こうと思う。

 宇多さんが、あとがきに「いまだに西暦が苦手な私には、出来事を西暦表記されるとそれを和暦に換算しないとよく理解できないという弱点があります」と書いている。筆者もまさにその通りで、西暦でなく年号でいわれれば、たとえば「昭和」だとピンとくる。西暦だと、25引いたりして昭和に換算しないと感覚がつかめないのだ。

中村猛虎句集『紅の挽歌』

 俳人にしては勇ましい名前を持った方の第一句集である(俳句アトラス、令和二年五月九日刊行)。氏は姫路の俳句の会「亜流里」の代表。跋文は「海光」代表で俳句アトラスの林誠司氏。林氏が始めた句会で、初心のはずの中村氏が常勝であったとか。天賦の才がおありだったとか……。

中村猛虎.jpg


  自選十二句は次の通り。

   葬りし人の布団を今日も敷く
   遺骨より白き骨壺冬の星
   少年の何処を切っても草いきれ
   この空の蒼さはどうだ原爆忌
   手鏡を通り抜けたる螢の火
   蛇衣を脱ぐ戦争へ行ってくる
   たましいを集めて春の深海魚
   三月十一日に繋がっている黒電話
   缶蹴りの鬼のままにて卒業す
   水撒けば人の形の終戦日
   心臓の少し壊死して葛湯吹く
   ポケットに妻の骨あり春の虹

 筆者の共感の句は次の通り。(*)印は選が重なったもの。こんなに数多く重なることは滅多にないことである。

013 痙攣の指を零れる秋の砂
017 遺骨より白き骨壺冬の星(*)
017 葬りし人の布団を今日も敷く(*)
018 新涼の死亡診断書に割り印
019 鏡台にウイッグ遺る暮の秋
019 極月や人焼く時の匂いして
025 少年の何処を切っても草いきれ(*)
026 手鏡を通り抜けたる螢の火(*)
028 羅の中より乳房取り出しぬ
030 どこまでが花野どこからが父親
032 右利きの案山子が圧倒的多数
034 斬られ役ずっと見ている秋の空
040 校長の訓示の最中焼芋屋
043 星に触れるために鯨は宙を舞う
044 雪ひとひらひとひら分の水となる
074 原爆忌絵の具混ぜれば黒になる
076 夏雲に押され床屋の客となる
097 夏シャツの少女の胸のチェ・ゲバラ
102 星涼し臓器は左右非対称
103 死にたての君に手向けの西瓜切る
108 桃を剥く背中にたくさんの釦
116 死に場所を探し続ける石鹸玉
130 身の内に活火山あり海鼠切る
131 人間の底に葛湯のようなもの
134 春炬燵脅迫状はカタカナで
143 春は曙女の中の不発弾
148 少年は夏の硝子でできている
158 女から紐の出ていて曼殊沙華

 『紅の挽歌』を戴いたとき、凄い名前の方がどんな句を詠まれるのか、興味津々であった。いつもの習慣で、自選句も、序文(この句集にはないが)も跋文も、あとがきも読まないで、先入観なしに17音のテキストを全部読む。そして驚いた。最初の十数頁の衝撃である。
 最愛の伴侶を若くして失くしておられる。闘病の過程がつぶさに詠まれている。変化する病状に、ある時は期待を膨らませ、ある時は彼女の激痛に心を失う。涙なくしては読めない。
 読んでから考えた。この衝撃的感動はどこから来るのであろうか? まえがきにこうあって、句が続くのだ。

   癌の激痛と闘う妻、医療麻薬でも痛みは治まらない
   「殺して」と口走る妻
   緩和ケアの医師も俺も絶望的に無力だ
   もちろん殺してもやれない
   
   ところが、9月、嘘のように痛みが引き、リハビリ室
   で歩く練習まで始めた
   やっぱり治るんだ(中略)

   だが、容態は急変
   わずか3週間で、動くことができなくなった
   最期は自宅で、と連れ帰った日の明け方、安心し
   たのか、天国に旅立ってしまった
   10月9日午前6時3分、享年55逝く

 並べらえた句はどれもが心を打った。まえがきはかくあるべきと言えるほどの効果を発揮している。筆者(=栗林)はここで、一度前書きを忘れて読み直すことにしてみた。その記憶を完全には払拭できないのだが、前書きがなくとも、俳句の力で迫って来る作品はどれであろうか、と読み返してみた。そして上記の約30句が立ち上がった。中から次の悲しみの6句をあげておこう。

013 痙攣の指を零れる秋の砂
017 遺骨より白き骨壺冬の星(*)
017 葬りし人の布団を今日も敷く(*)
018 新涼の死亡診断書に割り印
019 鏡台にウイッグ遺る暮の秋
019 極月や人焼く時の匂いして

013は、客観写生的な句。「秋の砂」のあはれ。018の「割り印」により立ち上がってくるリアリティ。019の「匂い」の持つ訴える力。前書きがあったせいもあろうが、無くても、一句独立の力が感じられた。

 これは筆者の勝手な論なのだが、俳句ほど写生に不向きな表現形式はない。短すぎるし、季語でもって古典的な香りづけがされるからである。喜びも悲しみも普遍化されてしまうからである。ひょっとすると中村猛虎氏は、この悲しみを、短歌か、詩か、別の表現軽視で書いた方が、独特な作品になったかも知れない、とふと思った。しかし、これは感動のあまりの、筆者の世迷言だったも知れない。

 さて、悲しさを超えて、あとの句を見てみよう。筆者の琴線にふれる句が沢山あるのである。それらは、前書きなしでも、17音のテキストだけで、俳句であるがゆえの、宜しさを伝えてくれるのである。上記の約30句から下記の7句を挙げよう。

028 羅の中より乳房取り出しぬ
030 どこまでが花野どこからが父親
043 星に触れるために鯨は宙を舞う
103 死にたての君に手向けの西瓜切る
108 桃を剥く背中にたくさんの釦
143 春は曙女の中の不発弾
158 女から紐の出ていて曼殊沙華

030は、残された自分は寡夫であると同時に「父親」でもある、という使命感。それとは裏腹な不安感。
028、108、158はエロチシズムを、しかも108と158は直截的でないが故、その奥に怪しげな、しかし、明るい艶を感じさせる。
043は、星に触れなんとして飛び上がる鯨に、ロマンチズムを、
103は、「死にたての」という措辞に籠めた臨場感を、愛惜を以て、
143では、女性性の不可解さを古典的な「春は曙」なる措辞を用いて、韜晦的に表現している。

 作者の多面的な力が発揮された、いかにも刺激的な句集でした。

柏原眠雨句集『花林檎』

 『花林檎』は、柏原眠雨「きたごち」主宰の第五句集(本阿弥書店、令和2年5月1日刊行)である。帯には〈復旧の鉄路に汽笛花林檎〉とあり、この句集の題名ともなった。東日本大震災からの復興の一句である。あとがきに、連衆には「写生」を勧めている、とある。
 氏は、平成28年に『夕雲雀』にて、第五十四回俳人協会賞を授与されており、東北大学名誉教授で哲学者でもあられる。


柏原眠雨句集.jpg


自選十二句は次の通り。

  脱衣婆の片膝立てて春を待つ
  ホチキスの弾籠めてゐる薄暑かな
  香尽きて墓を離るる冬日和
  牛小屋に牛の鼻息成木責
  表紙とれしこども讃美歌染卵
  日和得て海坂藩の松手入
  縁取りの献金袋五旬節
  秋麗を壊して嘉手納基地離陸
  庭に出て石撫で木撫で年新た
  霜柱踏む明珍の墓の前
  復旧の鉄路に汽笛花林檎
  地下街は灯の海十二月八日

 筆者共鳴の句は次の通り。(*)印は自選と重なったものである。

013 山に向き海に向きして麦を踏む
014 朝顔を蒔く主の祈り覚えし子
015 人の住み始めたる町花辛夷
016 清明や知足の鉢に空の青
019 ホチキスの弾籠めてゐる薄暑かな(*)
020 ビール積む貸切りバスのひと座席
022 あめんぼの水輪に雨の水輪の来
026 土手の草半ば刈り終へ一揆村
026 噴水を止めてひと日の仕事終ふ
032 楽天のサヨナラ勝ちの良夜かな
032 烏瓜増やして帰還困難区
037 電柱を犬の嗅ぎゆく十三夜
043 おろしたての石鹸かをる冬至風呂
047 コピー機に忘れ原稿初昔
052 土の色変へつつ田打進みけり
053 学食に下見の母娘大試験
054 韮包む紙面に競馬予想記事
055 人参も犬も赤子も吊し雛
060 墓地抜けてゆく野遊びの五六人
090 畔焼の煙のおよぶ珠算塾
091 風光る川を地下鉄渡りけり
106 草笛の青い山脈跡切れがち
119  北上雑草園
    青邨の靴べら借りて秋惜しむ
124 セーターに編まれて鹿と分かりだす
132 庭に出て石撫で木撫で年新た(*)
133 自転車を通して羽根をつき直す
134 綱曳の人かず減りぬ村は市に
135 塩高く撒く初場所の痩せ力士
138 筆太に書く春闘の妥結額
140 ジャムの瓶洗ひて蝌蚪を持たせけり
141 復旧の鉄路に汽笛花林檎(*)
142 下校児の手に工作の風車
144 補植の足抜いて仕上がる植田かな
147 鳩小屋の庇短し走り梅雨
149 エレベータ水着売場の前で開く
154 沢風の川床(ゆか)吹き抜くる昼餉かな
158  山寺
貸杖の出払つてゐる山の秋
172 俎板を提げてボロ市帰りかな

 一読した印象では、「写生」を勧めている、とあるように、自然と人の交歓を目に見えるように詠っている。大震災にかかわる「帰宅困難区」や「復興」を詠みながら、句集に通底するものは、社会性よりも「写生」に裏打ちされた日常生活の抒情詠であり、ユーモアや宗教心などである。
 いろいろ取り上げたい句は沢山あるが、ここでは「写生」にかかわる議論をしたいと思う。筆者(=栗林)が、いかにも写生が効いていると感銘を受けた5作品を挙げよう。

013 山に向き海に向きして麦を踏む
022 あめんぼの水輪に雨の水輪の来
026 土手の草半ば刈り終へ一揆村
052 土の色変へつつ田打進みけり
144 補植の足抜いて仕上がる植田かな

 もちろんこのほかに沢山あるのだが、この中で特に次の句について述べよう。

026 土手の草半ば刈り終へ一揆村
 高濱虚子の愛弟子で夭逝した人に島村元がいる。彼は「写生」を分かりやすく解説している。少し長くなるが引用しよう。「技巧は詩(俳句)の本体ではない」と述べた後で彼はこう続ける。
  真髄を摑むには「写生」に依り、五官の敏活な働きに依る。初めからうまい表現を探しても駄目である。実例を挙げれば、
   稲妻の下に茂れる草の原
   稲妻や夏草茂る廣野原
 は拙い句である。虚子先生はこんな句は詠まない。次の句はよく観察するということによって得られた技巧なのである。
   稲妻や半ば刈られし草の原
  稲妻と草の原の取り合わせは同じである。だが、「半ば刈られし」の措辞によって断然句が顕って来る。前二句の駄作と比較するまでもない。

  筆者がこの句をイチオシの句として推奨する訳は、実は、上記の理由だけではない。この句が「写生」によって獲得したる技巧としての「半ば刈られし」があるだけでなく、「一揆村」を配することにより、虚子句にはなかった「抒情性」を獲得している、ということがその理由である。氏は写生だけでなく抒情の人なのである。
 
 氏の句に、宗教的な句〈014 朝顔を蒔く主の祈り覚えし子〉やユーモラスな句〈019 ホチキスの弾籠めてゐる薄暑かな(*)〉〈032 楽天のサヨナラ勝ちの良夜かな〉などがあるのも、抒情性の範疇だと、好ましく思い、諾えるのである。

蛇笏賞に思う

 先のブログでもお伝えいたしました通り、第54回蛇笏賞が発表されました。今回は柿本多映さんでしたが、昨年一昨年と、小生が多少の縁を持たせて戴いていた方々が、この蛇笏賞を受けられています。

 第52回蛇笏賞 有馬朗人、友岡子郷
 第53回    大牧 広
 第54回    柿本多映

 実は、いまにして懐かしく思うのは、小生がこれらの方々を取材させて戴き、拙著『昭和・平成を詠んで』(書肆アルス、平成29年9月7日刊行)にまとめたことでした。該著には当時105歳であられた金原まさ子さんはじめ、池田澄子さん、大串章さんを含め18人の先達俳人が取り上げられております。その後、金原さん、金子兜太さん、伊丹三樹彦さん、木田千女さんらがお亡くなりになられ、寂しくなりました。その時のリストを参考までに掲げておきます。また大牧さんが蛇笏賞決定後、授賞式を待たずに亡くなられたことは大変に惜しいことでした。


昭和平成を詠んで.jpg


 昭和・平成を詠んで 登場人物の生年
(年齢順に。年齢は平成28年12月末日現在)

01、金原まさ子      明治44年2月4日生まれ。105歳

02、文挾夫佐恵      大正3年1月23日生まれ。但し、平成26年5月19日逝去、行年100。

03、後藤比奈夫      大正6年4月23日生まれ。99歳。

04、金子兜太       大正8年9月23日生まれ。97歳。

05、伊丹三樹彦      大正9年3月5日生まれ。96歳。

06、小原啄葉       大正10年5月21日生まれ。95歳。

07、勝又星津女      大正12年3月10日生まれ。但し、平成27年10月14日逝去。行年92。

08、木田千女       大正13年2月2日生まれ。92歳

09、橋本美代子      大正14年12月15日生まれ。91歳

10、橋爪鶴麿       昭和2年3月2日生まれ。89歳。

11、依田明倫       昭和3年1月16日生まれ。88歳

12、柿本多映       昭和3年2月10日。88歳。

13、星野 椿       昭和5年2月21日生まれ。86歳。

14、黛 執        昭和5年3月27日生まれ。86歳。

15、有馬朗人       昭和5年9月13日生まれ。86歳。

16、大牧 広       昭和6年4月12日生まれ。85歳

17、友岡子郷       昭和9年9月1日生まれ。82歳。

18、池田澄子       昭和11年3月25日生まれ。80歳。

19、大串 章       昭和12年11月6日生まれ。79歳。

 
 こうして今ふり返りますと、偶然もありましょうが、句業の確かな方々を取り上げてきたものだと、つくづく思います。そして、有馬さん、友岡さん、柿本さんにつづく方々が、上の表に沢山おられるのではなかろうかとすら思っております。

 ここで、小生のブログで取り上げた友岡子郷さん、大牧弘さんの蛇笏賞対象句集についての記事を再録させて戴きます(柿本さんの俳句集成につきましては、この前のブログを参照ください)。


友岡子郷句集『海の音』

友岡子郷海の音.jpg


 友岡子郷さんが句集『海の音』を出された(朔出版、平成29年9月20日)。第11句集である。子郷さんについてはその俳歴をここで紹介するまでもないが、現代俳句協会賞、詩歌文学館賞、みなづき賞などを受けておられ、「青」「ホトトギス」を経て「雲母」に移り、飯田龍太の選を25年間にわたって受けてこられた。帯には〈冬麗の箪笥の中も海の音〉を揚げ、次のように書いている。

  かつて飯田龍太は、友岡子郷をこう評した。
 『子郷さんの作品には、木漏日のような繊さと勁さと、そしてやさしさがある。人知れぬきびしい鍛錬を重ねながら、苦渋のあとを止めな
 いためか。これでは俳句が、おのずから好意を示したくなるのも無理はないと思う』と。

 自選句は次の10句である。

  海の夕陽にも似て桃の浮かびをり
  鈴虫を飼ひ晩節の一つとす
  雄ごころは檣のごと暮れ易し
  手毬唄あとかたもなき生家より
  一月の雲の自浄の白さかな
  龍太句碑笹鳴を待つごとくあり
  真闇経て朝は来るゆりかもめにも
  足音もなく象歩む晩夏かな
  友の訃ははるけき昨日きんぽうげ
  教壇は果てなき道か春の蟬

 筆者(=栗林)は、平成28年3月に子郷さんを明石に訪ね、幼少からの生い立ちと俳歴をつぶさに取材させて戴いた。そのことは拙著『昭和・平成を詠んで―伝えたい俳人の時代と作品』(平成29年9月、書肆アルス刊行)に書かせて戴いた。戦時の悲惨さ、疎開や母との別れ、龍太先生の励まし、阪神淡路大震災、東日本大震災、畏友との永別などなど、お話の内容は重たいものであった。それらの記憶と句集中の一句一句が重なるようである。龍太の評でも分かるように、子郷さんの句は読んでいて快い。快い句というのはある種の哀しさや寂しさが隠れていて、その部分に読者は共振できるからであろう。
 こんな言葉がある。「いい歌を読んでいると快い。その快さのなかには、たまらないような悲しさがあるし、寂しさがある、うれしさは少ない。悲しさとか寂しさというものでの共振は強い」(中西寛子)。

筆者(=栗林)の共鳴・共振句を掲げよう。(*)印は子郷さんの自選と重なったもの。
 
007 病身やすみれはすみれいろに咲き
009 雲に触れむと首のばす春の馬
011 空の奥にも空ありて五月の木
020 かなかなや同い年なる被爆の死
022 鈴虫を飼ひ晩節の一つとす(*)
023 いつまでのふたりか紫苑咲きにけり
025 一輪のごとく鷺立つ秋彼岸
027 陽をはじきつつ石橋に石たたき
028 歩みのろくなりたる象も落葉どき
035 手毬唄あとかたもなき生家より(*)
036 どの波も春の瞬き乳母車
036 浜石のどれもまどかに南吉忌
038 亡き友に風の吹きくるうまごやし
039 あをぞらになほ青足せと石鹸玉
039 野ぼたんに雨ふる孤りごころかな
046 桔梗やひとり欠ければ孤りの家
049 文手渡すやうに寄せくる小春波
054 龍太句碑笹鳴を待つごとくあり(*)
063 揚げ窓に馬の目並ぶ白雨かな
066 足音もなく象歩む晩夏かな(*)
067 竹の物差に母の名夜の秋
071 梨青し早世強ひし世のありし
083 歳ごとに涙もろくて春の雁
084 永き日や船の別れのそのあとも
084 どの家の灯にも人影鰆どき
089 たれかれと別れし絵茣蓙伸べにけり
091  夭折なれば
    母を知らねば美しきいなびかり
092 死に泪せしほど枇杷の花の数
094 冬耕と遠会釈せしのみの日か
103 月明の蓬の風呂を立てにけり
105 鳶の輪のひろやかな日の白子干
108 波一つまた波ひとつ桜貝
111 浜防風ひと日の疲れ夕日にも
126 小屋入れの馬らに小雪また小雪
126 わが齢白山茶花の咲きこぼれ
133 冬麗の箪笥の中も海の音

 子郷さんは83歳を越えられた。お目にかかったときはおみ足が少し弱られていたが、勿論、お元気であった。その時に伺ったことで印象に残っていることの一つは、〈跳箱の突き手」一瞬冬が来る〉についてであった。この句は、教科書にも載り、人口に膾炙していて、代表句だと言われているが、子郷さんは「あの若さでもう代表句だなんて! もう俳句生命がみえたようなもの」などとは思いたくないと考え、不断の努力をされたのであった。「なにしろ若い時に、ふっとできた句でしたから……」と。
 もう一つ印象的だったのは、〈092 死に泪せしほど枇杷の花の数〉であった。「この頃訃報が多いのです」と言っておられた。この句集『海の音』は、老病死がメインのモチーフであるともいえる。つまり、

007 病身やすみれはすみれいろに咲き
022 鈴虫を飼ひ晩節の一つとす(*)
023 いつまでのふたりか紫苑咲きにけり
038 亡き友に風の吹きくるうまごやし
046 桔梗やひとり欠ければ孤りの家
083 歳ごとに涙もろくて春の雁
084 永き日や船の別れのそのあとも
089 たれかれと別れし絵茣蓙伸べにけり
092 死に泪せしほど枇杷の花の数
126 わが齢白山茶花の咲きこぼれ

などである。余計な鑑賞は読者の邪魔になるであろうが、心の奥に沈着したかなしさと静けさを読み取って戴きたい。
写生的な叙景句も、勿論、多くある。しっかりと見る目が効いている。

009 雲に触れむと首のばす春の馬
011 空の奥にも空ありて五月の木
025 一輪のごとく鷺立つ秋彼岸
027 陽をはじきつつ石橋に石たたき
036 どの波も春の瞬き乳母車
049 文手渡すやうに寄せくる小春波
063 揚げ窓に馬の目並ぶ白雨かな
084 どの家の灯にも人影鰆どき
126 小屋入れの馬らに小雪また小雪

中には境涯的な母恋の句もある。

067 竹の物差に母の名夜の秋
091  夭折なれば
    母を知らねば美しきいなびかり

 子郷さんは、爆撃で被害甚大であった神戸の生まれ。父方の祖父を頼って岡山に疎開している。たまに母が来てくれて、繕い物をしたり洗濯したりしてくれた。母の思い出は、歌って聞かせてくれた「歌を忘れたカナリア」の歌だけだったとおっしゃられた。終戦後、神戸に戻ったが、母は結核で隔離入院。見舞いに一回行ったが、窓越しに寝ている寂しそうな母を見たのが最後だった。
 象の句が二句あった。動物園の象は疾走しないから、足音がない。言い得て妙。

028 歩みのろくなりたる象も落葉どき
066 足音もなく象歩む晩夏かな(*)

 最後に師飯田龍太に係る句をあげておこう。

054 師の書斎今は冬日の差すばかり
054 龍太句碑笹鳴を待つごとくあり(*)

「雲母」に憧れて龍太に入門したが、蛇笏時代からの古参の高弟から、「ふにゃふにゃな句を作る新参者」のように扱われた。それを、和田渓という先輩と師龍太が影で励ましてくれた。だから子郷さんは25年ものあいだ、龍太を慕ってついていった。この二句は、龍太没後、山蘆を訪ねた時のもの。ここで言う龍太句碑は、〈水澄みて四方に関ある甲斐の国〉であろう。この前の句集だったろうか、龍太が亡くなってから、師を慕う句を詠んでいる。それは、〈冬雲雀師も通ひたる校舎見ゆ〉であった。
 末永いご健吟を願っている。 

注記 和田獏氏の句も参考に挙げておこう。
 
  竹林の小径の果ての岩襖     和田 獏
  石をもて釣糸を切る秋の風
  氷上の雨の氷塊蕩児のごと
                     〈龍太の『俳句鑑賞読本』より〉



大牧広句集『朝の森』


大牧広朝の森.jpg


 大牧広「港」主宰が、第十句集『朝の森』を出された(ふらんす堂、平成30年11月15日)。帯には「敗戦の年に案山子は立つてゐたか」の一句があり、「戦争体験の一証言者として老境に安んじることなく反骨精神をもって俳諧に生きる著者の渾身の新句集」とある。
 自選句は次の通り。

  鳥雲にヒトはめげずに希望抱く
  夏草と引込線の睦みゐて
  見下しても見下しても蟻穴に入る
  父とつくりし防空壕よ八月よ
  芒山一本づつが傷だらけ
  戦中や兵擲たれゐし芒原
  地下街に売られし芒自暴自棄
  遠くなる老のまなざし白甚平
  軍神の生家朽ちゐて草いきれ
  達観は嘘だと思ふ新生姜
  昭和二十年秋停電と長雨と
  GHQありたる街も冬に入る
  一月のしづけさ山は山のまま
  安吾忌の蒲田駅前戦後のやう
  くろがねの艦をうとみて新茶汲む

 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通り。

007 声きつと初音のみなる避難地区
008 としよりを演じてゐぬか花筵
013 かざぐるま泣きたくなれば廻るらし
022 スーパーの隅の草市灯るごと
026 敬老日村はいよいよ意固地となる
034 おぢいさんとは吾のこと大花野
039 藁仕事昭和はやはり奥深い
041 凩や難儀な地図を渡されし
044 着ぶくれてしまへば老の天下なり
047 つくづくと本重かりし白マスク
049 開戦日が来るぞ澁谷の若い人
057 正論が反骨となる冬桜
060 大病院中庭なぜか枯無惨
069 春野菜福島産と聞けば買ふ
078 どの人もすこし不幸や祭笛
080 海はまだ不承不承や海開き
083 人の名をかくも忘れて雲の峰
085 天井のかくも雑なり海の家
092 達観は嘘だと思ふ新生姜(*)
093 戦争の終りし夜のさつまいも
099 山霧や一枚うはての国ばかり
121 一月二日修正液をもう使ふ
126 年玉贈る私が墓に入るまで
127 かと言つて不幸ではなし大マスク
128 雑炊といふ贅沢をしてみたき
174 敗戦の年に案山子は立つてゐたか

 大牧さんと言えば、反骨・反戦・反原発の人である。その社会批判精神は、大牧さんが自らを見つめるこのような沢山の俳句で支えられている。うわべだけの社会批判ではない。年輪を経て、それでも芯に残っている、いや、ますます昂って行く「反迎合精神」なのだ。
 筆者(=栗林)の特に琴線にふれた三句を鑑賞しよう。

057 正論が反骨となる冬桜
 世の中のなあなあ主義に反発し、正論を吐くとそれは反骨となる。流れに棹させば生きずらくなる。正論というものはそういう生きずらいものなのだろう。容易には受け入れられない。ひと括りに反骨というカテゴリーに入れられてしまう。しかし、いつの世でも、それは必要なのである。冬桜は淋しげに咲く。だが、花の時期が、春の桜よりもずっと長いのだそうだ。だから反骨は簡単には散らない。

069 春野菜福島産と聞けば買ふ
 筆者は現役時代、原子力を含むエネルギー関係の仕事に関係していた。詳しいことは省くが、原発は結果として福島だけでなく、全日本、いや全世界に迷惑をかけた。いや、迷惑以上だろう。風評被害という現実に触れれば、人々は見えない放射能汚染に過敏に反応し過ぎているような気がしている。だから、筆者は福島産の野菜や果物を、福島産と分かれば、買うようにしている。大牧さんと同じだ。こういう人が多くなって欲しい。もっとも、大牧さんも筆者も、結構な年寄りだから平気なのかも知れない。

092 達観は嘘だと思ふ新生姜(*)
 この歳になったら、多分かなりのことに恬淡としていられるのではなかろうかと、若い頃は、考えていた。だが、そうではなさそうだ。物理的な体力の衰えは致し方ないとして、精神的な気力は維持したいと願っていて、その気持ちからか、世の中の理不尽な事象に、テレビを見ながら私論を吐いている。

      *********

 なお、拙著『昭和・平成を詠んでー伝えたい俳人の時代と作品』は手持ちの在庫がありません。ご興味おありでしたら、ご面倒でも、出版元「書肆アルス」にお問い合わせくださいますよう(03-6659-8852)。

第54回蛇笏賞決定 柿本多映著『柿本多映俳句集成』

 令和2年4月17日、第54回蛇笏賞が決定し、夕刻発表された。新型コロナウイルス蔓延のため、例年なら3月末に決まるのだが、角川文化振興財団がテレビ会議を開いて、選者=片山由美子・高野ムツオ・高橋睦郎・長谷川櫂のみなさんの合議のもとに決定をみた。授与式は6月26日に東京・飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントで予定されている。
 なお、同賞候補者とその作品は、小川軽舟『朝晩』、鍵和田釉子『火は禱り』、中嶋鬼谷『茫々』、中原道夫『彷徨』と『柿本多映俳句集成』の5件であった。


柿本多映『柿本多映俳句集成』.jpg


 筆者(=栗林)は柿本多映さんには何度も取材をさせて戴いており、該著『柿本多映俳句集成』(深夜叢書社、2019年3月21日)刊行の際も、ブログに書かせて戴いている。もちろん、蛇笏賞の対象として話題になる以前のことでした。少し長いのですが、以下に再掲載致します。なお、その刊行には、下記にあるように、若手の熱心なお手伝いがあったことは特筆されるべきであろう。


『柿本多映俳句集成』

 柿本多映の第一句集『夢谷』から第六句集『仮生』までの全句と、1977年から2011年までの拾遺(1500余句)、年譜、解題、初句索引などを収めた『柿本多映俳句集成』が刊行された(深夜叢書社、平成31年3月21日)。栞には、この「集成」刊行を記念して持たれた、神野紗希、村上鞆彦、関悦史、佐藤文香4氏の座談会の記録が載せられている。この句集の刊行には、関氏、佐藤氏、それに堀下翔氏らの若手の絶大な協力があった、と聞いている。多映先生は結社を率いている訳ではないし、その弟子でもない若者が、この句集刊行に協力したという事実は、とても貴重だと思う。
 筆者(=栗林)は、多映先生に2度ほどロングインタビューをさせて戴き、二つの著作に書かせて戴いた縁があるので、とても懐かしく、この「集成」を読ませて戴いている。
 
 表紙は、仄聞するに、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある高僧の袈裟の図柄であるとのこと。渋い中にも明るさと気品と歴史を感じさせるものがあり、三井寺出自の多映さんにぴったりである。装丁は高林昭太氏とある。帯には、自選と思われる次の7句が抽かれている。

  天体や桜の瘤に咲くさくら
  立春の夢に刃物の林立す
  水平に水平に満月の鯨
  人の世へ君は尾鰭をひるがへし
  末黒野をゆくは忌野清志郎
  おくりびとは美男がよろし鳥雲に
  誰の忌か岬は冬晴であつた

 早速、各句集から、思いつくまま、筆者にとって懐かしい多映作品を掲げて行こう。

第一句集『夢谷★→ゆめだに★』
 昭和59年2月刊行(書肆季節社)。桂信子の序文があり、跋文は橋閒石という贅沢な布陣。桂の序文のエッセンスは、「吹田の毎日教室を赤尾兜子から引き継いだ。そこに柿本多映がいた。能力はすぐ分かった。三井寺に生まれ、父親は管長。夫は京都の裏千家の茶道資料館の館長。「俳句研究」の五十句に応募して佳作」とある。

 立春の夢に刃物の林立す
 鳥曇り少女一人の銃砲店
 兜子はるか身体沖にあるごとし
 真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ
 出入口照らされてゐる桜かな

第一句。立春とはいえ、まだ木々は芽吹いていない。冬木立を連想し、それが刃物の林立であるという。夢だから、何が出てきても良いのだが、心の深層から刃物が出てくるとは容易ではない。幼い頃の三井寺の杜の探検(年譜の幼児期の項を参照されたい)が、記憶の底辺に生きているのである。第三句集のところで述べるが、作家の阿川弘之が驚いた句である。
第二句目。銃砲店に店番が少女一人というのは、いかにも不安感が募る。季語「鳥曇り」とも微妙に合っていよう。
第三句目。師の赤尾兜子はもういない。兜子が漂っているかも知れない沖に、私もいま浮いているような錯覚を覚えていますと、この句は言っている。
第四句目。〈真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ〉。鳥が飛ぶとき骨は見えない。実際には見えないものでも、多映さんにはみえる。飛ぶことが宿命である鳥へのオマージュである。貪欲なまでに「生」を見つめている句である。北辺の俳人寺田京子は、いつも死を見つめながら、
  日の鷹とぶ骨片となるまで飛ぶ    寺田京子
と悲痛な句を詠んだが、一生肺の弱かった京子と、小柄ながらに健康そのもので、気配りが行き届き、いつも活動的な多映さんの句とは、当然ながら違いが大きい。
最後の句〈出入口照らされてゐる桜かな〉は、関西の超党派句会に出したもので、永田耕衣から、「この句出したんはだれや、だれや」って訊かれて「私です」って言ったら、「へえーっ。多映さん、これ書いたはええけど、いま書いてしもたら、あと、えらいこっちゃねえ」と言われた。三井寺の仁王門から、夕闇の桜のトンネルを抜けてきて、薄暗い外灯が一本。しかし、それを知らなくても、桜の苑の入口と出口だけが照らされていて、中は茫洋として不詳……そんな景が、何かのメタファーのように、読者を名状し難い世界に誘う。多映俳句の魅力の一つである。

第二句集『蝶日★→ちょうじつ★』
 第二句集は平成元年9月25日刊行(富士見書房)。題字・帯文は橋閒石。

 病臥して向うが見ゆる青簾
 広島に入りて影濃き日傘かな
 誰か来て石投げ入れよ冬の家    
 回廊の終りは烏揚羽かな
 やはらかく猫に咬まるる寺の裏
 また春や免れがたく菫咲き
 桃吹くや地の穴穴の淋しけれ
 この村に気配の見えぬ祭かな
 美少年かくまふ村の夾竹桃
 抜け穴の中も抜け穴夏館
 生まれ家の柱のとよむ卯月かな
 妙といふ吾が名災えたつ八月よ
 我が母をいぢめて兄は戦争へ   
 杉戸引きてより一面の菊の景
 桃咲いてからだ淋しくなりにけり

第一句目。先に、いつも健康な多映と書いたが、病のときもあったのだろう。臥せっていると、視点の高さがいつもとは違う。平凡な句のようだが、よく見て気がついて書いている。
第三句目。金子兜太の〈霧の村石を投らば父母散らん〉を思わせる。冬の空気が澱んでいる古い大きな家。多映さんの寺かも知れない。誰かが石を投げ入れて、乱してくれないと、全てがフリーズしてしまいそうだ。
第四句目、回廊はあきらかに三井寺の金堂辺りだろう。回廊の終りとは、どこを言うのであろうか。傍目には、回廊には終りがないように思えるのだが……。多映さんには蝶の句が多い。いや、七句目にあるように、穴もテーマである。
第五句目の〈やはらかく猫に咬まるる寺の裏〉や、九句目の〈美少年かくまふ村の夾竹桃〉など、多映さんにはエロスの句もある。これはエロチシズムと違って、タナトス、つまり「生」の本質に迫るものだ、と彼女は主張する。「これはメタファーで書いていますから、橋閒石先生の言う『艶』でしょうねえ。笑いながら『あんたも中々やるねえ』って」。
後から三句目。〈我が母をいぢめて兄は戦争へ〉は、多映俳句にしては直裁的であるが、「いぢめて」の旧かな遣いがうまい。新かなではこの気持は出ない。兄二人が出征した。陸軍だった。「母を悲しませて」は、軍国主義への恨みの表出である。   
あとがきに、多映は蝶を越冬させた、と書いている。蝶に対する思い入れが深い。

第三句集『花石★→かせき★』
 第三句集は、平成7年3月17日、深夜叢書社刊行であった。序文は多映さんの夫の海軍時代の友人で作家の阿川弘之。阿川は、軽い気持で引き受けたが、中味を見て「一転、愕然とした」とある。彼は、取り敢えず、『現代俳句文庫―柿本多映句集』を見せてもらって、その感想からこう書き始めている。
「巻頭三句目、
  立春の夢に刃物の林立す
まずこれが、私(=阿川弘之)の眼を射た。
  泊夫藍★→サフラン★を咲かせすぎたる男かな
〈男〉が誰を意味するのか、咲かせすぎのサフランが何を象徴してゐるのか、よく分らないけれど、一種、名状しがたい凄味があって、こりゃ亭主にあたる我が友(柿本大尉)もたいへんだぞ、並大抵の女流俳人ではないぞと思った」。

ここに『花石』からの共鳴句を掲げよう。

 山中や鐵の匂ひの冬桜
 うたた寝のあとずぶずぶと桃の肉   
 なまかはきならむ夜明の白百合は
 青大将この頃ものごころ付き
 ひるすぎの美童を誘ふかたつむり   
 風景の何処からも雪降り出せり     
 巫女の抜く青葱もっとも青きかな
 野の遊びなどと遥かやふくらはぎ
 一本の柱を倒す祭かな         
 まんぢゆうに何も起こらぬ夏の昼    
 老人に口開けてゐる桜かな
 先生を隠してしまふ大夏野       
 春の道とつぜん人を外しけり
 前の世は飴屋なりけり鳥威
 思ひ出し笑ひや両手に柿提げて    
 生国に辿り着かんと立泳ぎ
 秋やわが右足の磨り減ることよ
 雪虫やらふそく灯しにゆくところ
 穴を掘る音が椿のうしろかな
 地の水は桃にならむと桃の木に

第一句目。冬桜に鉄の匂いを感じるのは、尖鋭な感受性の持ち主である。言われてみるとそうかとも思えるのが不思議。この奇異な感受に、感覚的に納得させられる。
二句目。「うたたね」に配するに「ずぶずぶと桃の肉」はうまい。しかも「ずぶずぶ」という退廃的な質感。多映のどこからこの感覚が生まれて来るのであろうか。
四句目。〈青大将この頃ものごころ付き〉。ものごころ付くのは誰だろう。「青大将」だとすると、凄い句だ。息子の可能性もある。いや、自分かも知れない。とすると、ものごころ付く年頃といえば、少女だ。配合するにしても、もっと叙情的なモノがあろうに、「青大将」だ。多映俳句の骨法は、類想打破である。花鳥諷詠でない、客観写生でもない。予定調和を壊している。そこに惹かれる。
五句目。〈ひるすぎの美童を誘ふかたつむり〉は、第二句集の〈やはらかく猫に咬まるる寺の裏〉や〈美少年かくまふ村の夾竹桃〉に共通するエロスの句。
九句目。〈一本の柱を倒す祭かな〉は単純明快に見えて、それでいて句の背景に拡がるものがある。一本の柱を倒すにしても、永年続いた祭のしきたりや、美しさや、氏子たちの昂奮があるのであろう。       
十句目。〈まんぢゆうに何も起こらぬ夏の昼〉。力を抜いた、奇妙な、人を喰ったような面白い句である。「まんじゅう」は何を指しているのかとか、あまり考えない方が良い。この諧謔性を瞬間に楽しめばよい。飯島晴子がいい句だと言ってくれたそうだ。
〈老人に口開けてゐる桜かな〉は、「てにをは」が上手い。一読可笑しさがこみ上げてくる。咲いている桜を、恰も生き物のように看做して、「口開けてゐる」と書いた。読者は「老人が」の間違いではなかろうかとさえ思ってしまう。       
後から三句目。〈雪虫やらふそく灯しにゆくところ〉。薄暗い時刻になった。作者が蝋燭を点しに行く場面と、眼前に浮遊する雪虫の群れとが見えてくる。だが、ふと、蝋燭を点しに行くのが雪虫なら面白いとも思う。多映の作品なら、そんなシュールもありえよう……はかない命を前に、「いま蝋燭を灯しに行くから待っていてね」という、雪虫に対する祈りの気持ちでもある。
後から二句目の〈穴を掘る音が椿のうしろかな〉は不気味で、意味するところが深そうだ。「穴」は多映さんのモチーフの一つだが、「穴」と「うしろ」でもって奈落に通じるような深層の闇を思わせる。美しい「椿」を背にして「穴」を掘る行為は、子供のころ体験した死者を葬る「穴」を思わせて凄味がある。穴を掘る「音」だけが聞えてくる。
多映さんの詩嚢にはいくつもの原風景が納まっていて、いつもそれが詩の言葉の源泉となっているのだ。桂信子が、この句が良いと言ってくれた、という。

第四句集『白體★→はくたい★』
 第四句集は、平成10年6月20日、花神社刊行。表紙の揮毫は、橋閒石のあと「白燕」を継いだ和田悟朗である。

 海市より戻る途中の舟に遭ふ
 こめかみに螢が棲んでからのこと
 寒卵死後とは知らず食べてゐる
 吊橋の蟻を追ひ越す遊びかな        
 花の梢空気触れあふ音のして
 手を上げて下ろせば我も芒かな
 ふくらはぎ花に見られてゐるやうな
 人形の混みあふ春の病かな         
 天才に少し離れて花見かな
 棒持たぬわが眼の前を蛇よぎる
 骨壷の雅を言ひて冬の人
 純少年ひる白骨となりゐたり       

第一句目。虚の世界の蜃気楼から現実の世界に帰ってくる舟。その舟に、多映さんの舟が出遭うのだ。つまり、彼女は今、虚の世界に向かっているのだ。
第二句目。こめかみに螢が棲んでいる、という感覚は、何とはなしに分る。面白い身体感覚である。そのあと、何が起こったのか。
第三句目。こう書かれると、死後とは、必ずしも卵の死後だとは思えなくなるから不思議である。目くらましにあったような気がする。
六句目。手を上げて、すっと下ろしたら、自分は芒のようになった、という感覚。うまく言うものだ。
九句目。〈天才に少し離れて花見かな〉。兜子に〈数々のものに離れて額の花〉がある。兜子の句は、不特定な物から離れている額の花一点を詠んでいるのだが、多映さんの句は、天才という特異な一点から離れている自分、もしくは不特定多数の人間が離れている、と詠んだ。「に」の遣い方がうまい。
最後の句。「純少年」という清潔感のある措辞でさらっと詠いあげているようでいて、悲しい内容だ。悲しいながら美しいのは「純少年」であるからだろう。無季句。永田耕衣に〈野を穴と思い飛ぶ春純老人〉がある。晩年の耕衣に私淑していた多映さんの胸の裡のどこかに、この耕衣の句が潜んでいたのであろう。感動する詩語を媒介に、刺激しあえる関係を、耕衣も多映さんもお互いに喜んでいたのであろう。力を認め合う俳人同士は、見事なまでに影響し合う。句会や結社の賜物であり、羨ましい限りである。死の間際の耕衣を見舞いに行ったときの多映さんのお話を聞いて、つくづくそう思うのである。

第五句集『粛祭★→しゅくさい★』
 第五句集は思潮社から平成16年9月28日刊行。
「翔臨」の竹中宏氏は、この句集の表題がなんとなく不気味だ、と京都新聞の夕刊に書いている(同年12月11日)。それは、多映さんがこのころ癌の病に臥せっていたことと関係しているのだろうと言い、次のように続ける。
「物質の充足によっては解消しない、いのちのあやうさという事実が、何層ものかさなりをもって、氏の内面を領する。死に、にぎやかな死はありえない。氏はあくまでも氏自身の孤独の場に滞留しつつ、氏自身に見えてくるものをたしかめることによって、いのちのあやうさという事実と、その事実に直面せざるをえない人間のこころの宿命とに向きあおうとする。それが、俳人としての氏の腰のすえどころといえる」
そして、多映さんの俳句の素材に「人・にんげん」が多いという。

 春うれひ骨の触れあふ舞踏かな
 昼顔のひるなまぬるき鍵の穴
 大人から坐り始める桜かな
 蟻の巣に水入れてゆく他人かな
 人が人を拝んでゐたる秋の暮
 白襖倒れてみれば埃かな
 嚔して瓜実顔の通りけり
 こつあげやほとにほねなきすずしさよ
 鬼房と蓮池まではゆくつもり
 ししうどや俗名ばかりうかび来て
 隠沼に空席ひとつあるにはある
 兜子閒石耕衣鬼房敏雄留守
 雪降れり我が生誕のにぎはひに

第三句目。〈大人から坐り始める桜かな〉は、何のこともない桜の宴の様子だろう。子供たちはそこいらをうれしそうに走り回っている。大人たちは、そろそろ酒にしようかと茣蓙の上に坐り始める。写生的ではあるが、見えない雰囲気までが浮き上がってくる。そう書きながら、多映さんの句のこの「桜」は何かの暗喩……たとえば異界の花かも知れないと思ったりする。
四句目。奇妙な句であるが、惹かれる句だ。〈蟻の巣に水入れてゆく他人かな〉。「他人」であって、見知った人でないのが面白い。あるいは子供の時代に戻ったのだろうか。「他人」でもって、意味の上での見事な展開がある。この句も、多映さんの独壇場の句だと思う。
五句目。〈人が人を拝んでゐたる秋の暮〉。最初、この句は強烈な皮肉の句だと思った。拝む対象は神や仏ではなく、生身のヒトなのだ。世俗を揶揄した句だと。多映さんによると、単なるスケッチから得た句だという。老人が向かい合って話しをしている。その様子が互いに合掌しあっているように見える。深読みし過ぎると、多映さんに笑われそうである。
六句目、〈白襖倒れてみれば埃かな〉も、秀逸の句ではなかろうか。何かの暗喩と取っても良いが、襖がずらりと並ぶ三井寺ならではの句とも思える。白襖でなくて、国宝級の絵襖ならさらに面白い。光浄院客殿には水墨の「列仙図」があり、イメージが重なった。
七句目。〈嚔して瓜実顔の通りけり〉は何とも言えない笑いを誘う味のある句である。瓜実顔の人物への親しみが湧く。モデルは橋閒石だった。多映さんの句には、不気味な句もあるが、一方では、こうした俳味のある句もある。
後から六句目。〈こつあげやほとにほねなきすずしさよ〉。多映さんの代表句の一つであろう。亡き人を送ったとき、神仏の造化の不思議さにつくづく思いを致した、という。

第六句集『仮生』
 第六句集は現代俳句協会が刊行(平成25年9月1日)。この句集により、第五回桂信子生を受賞。さらに翌年の蛇笏賞の最終候補となった(受賞者は高野ムツオと深見けん二)。そして、第十三回俳句四季大賞、第二十九回詩歌文学館賞を受けられた。

 筆者の気に入った句が多い。

   八月の身の穴穴に蓋がない
   鶏頭の殺気スペインまでゆくか
   骨として我あり雁の渡るなり
   誰の忌か岬は冬晴であつた
   神様に命日があり日短か
    桂信子逝く
   吾に賜ふ冬青空のあり愛し
   傘寿とは輪ゴムが右から左から
   手鞠つく母のおそろし雪おそろし
   老人を裏返しては梅真白
   目印は小さな靴です鷗さん
   椿より綺麗にひらく落下傘
   てふてふや産んだ覚えはあるけれど
   おくりびとは美男がよろし鳥雲に
   二つ目の穴掘つてゐる朧かな
   春の木に差しだす綺麗なみづぐすり
   ひんがしに米を送りて虔めり

一句目は多映作品に欲出てくる「穴」のモチーフ。
二句目。この跳び方がすこぶる面白い。殺気とはいいながら、何となく情熱的で陽気なのである。「スペイン」という風土のイメージのせいであろうか。
三句目。「骨」も多映さんのモチーフのひとつ。〈真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ〉〈骨壷の雅を言ひて冬の人〉〈純少年ひる白骨となりゐたり〉〈春うれひ骨の触れあふ舞踏かな〉〈骨として我あり雁の渡るなり〉など、人間の本質としての「骨」、避けられない死というものをイメージさせる「骨」を詠んでいて、重い句である。
八句目。〈手鞠つく母のおそろし雪おそろし〉の感覚は、草田男の〈雪女郎おそろし父の恋恐ろし〉に通じる。肉親でありながら、母や父には、子には分からない部分があり、いつもある種の畏敬の念をもっているのであろう。
その次の句〈老人を裏返しては梅真白〉は、ご主人が倒れられた際の句であったと記憶するが、人を即物的に、非情に詠んだものとして、筆者には驚愕の一句であった。
次の二句は東日本大震災の句であるに違いない。
  目印は小さな靴です鷗さん
  ひんがしに米を送りて虔めり
一句目の口語表記は、悲しい現実をやわらかく詠っている。津波に流された行方不明の少女を思っての句であろう。
二句目は、流通網が途絶えた被災地の若い俳人に米を送ったときの句。水もガソリンも米も途絶えたのであった。この記憶は風化させたくない。

 柿本多映さんは、これまでの句業の成果を認められ、平成27年には、現代俳句協会の最高の栄誉である現代俳句大賞を授与された。

冒頭に多映先生を取材したことを書いたが、それは拙著『新俳人探訪』(文學の森、平成26年9月2日、初出は「遊牧」平成24年12月)、および『昭和・平成を詠んで』(書肆アルス、平成29年9月7日、初出は「小熊座」平成28年8月)に収録されている。筆者に手持ちはもうないが、アマゾンで古本が格安に入手できると思うので、ご興味のある方に、お読み頂ければと願っている。

黛執句集『春がきて』

 黛執さんが第八句集を出された(角川文化振興財団、2020年3月27日)。氏は「春野」の名誉主宰で今春九十歳になられる。その寿ぎの意味でもあるようだ。
 筆者(=栗林)は、二度ほど湯河原の氏のご自宅を訪問し、氏の来し方と作品を「小熊座」2017年2・3月号、および『昭和平成を詠んで』(書肆アルス、2017年9月7日)に紹介させて戴いた。それらは、氏の第六句集までをカバーしていた。その後、氏は第七句集『春の村』を、そして今回『春がきて』を上梓された。


黛執第八句集.jpg

 第八句集の句集名は集中の次の一句に因んでいる。

   春がきて日暮が好きになりにけり

 該句集『春がきて』からの自選句は次の12句。

  日暮より先に暮れたる蛙かな
  春の夜を上りつめたる春の月
  後朝とは朧が水にもどるころ
  春がきて日暮が好きになりにけり
  いちにちが遠いよ桐の咲くころは
  月出でて涼しき橋となりにけり
  潮の香の中の縁台将棋かな
  滴りの月浴びてゐる韻きかな
  澄みに澄む山をそびらに父母の墓
  案山子まだ傾ぎ足らぬといふやうに
  一つ灯のやがてずらりと枯野の灯
  星よりも水のきらめく聖夜かな

 筆者(=栗林)の共感の句は次の通りであった。自選と重なったものに(*)印を付しておいた。

008 春は土手より風が湧き子が湧いて
014 雉子鳴いて夕べ明るき仏みち
016 畑土の湯気上げてをり別れ霜
018 曳き売りの声をはるかに暮れかぬる
021 桃咲いておぼこ返りのまた一人
027 いちにちが遠いよ桐の咲くころは(*)
029 羽搏ちては合点のゆかぬ羽抜鶏
030 彷徨うてみたくなりたる白地かな
032 音なべて遠くなりたる日の盛
035 仏壇を青田の風へ開け放つ
041 秋の木となる風音にかこまれて
042 ゐのこづち取り合つてゐる喪服かな
044 案山子まだ傾ぎ足らぬといふやうに(*)
054 さへづりへ向けて宿下駄揃へらる
060 陽炎に捕まつてゐる登校児
061 鷹鳩と化してわらべに追はれゐる
062 またおなじ話にもどる日永かな
065 春の月ぬうつと茅の屋根の上
097  葬送
    にぎやかにあの世へつづく春の道
102 梅雨深しなべて欠けたる墓茶碗
107 一も二もなし新走り頂くに
114 煙出しより煙出てゐる時雨かな
116 当たるでもなき火を立てて冬の耕
123 真ん中に野壺の据わる初景色
125 つくばひに浮かぶ芥も七日かな
127 魚は氷に老いはおぼこに返りけり
128 花見とふさびしき遊びするとせむ
132 散るよりも満つるさびしさ花の村
133 なきがらに緑の風の惜しみなく
134 夏籠のいちにち雨の音の中
143 側溝を鼠の走るクリスマス
146 どの木にも風が棲みつき冬深む
151 春の夜を上りつめたる春の月(*)
155 老人に遠くなりたる春の夢
156 春がきて日暮が好きになりにけり(*)

 黛執さんの話を思い出しながら、黛俳句小論を書いてみよう。
 氏の青春時代は暗かった。学徒動員で飛行機製造会社にやられ、特攻用のベニヤ板の突撃機を作っていたが、栄養失調を医師に同情され、帰された。大学卒業後、会社に勤務したが、すぐに肺を病み帰郷。幸い健康を取り戻したあと、湯河原から箱根にかけての大規模観光開発計画が持ち上がり、これに反対。地元の仲間とともに立ち上がった。あの温厚な黛執さんが、と訝るほどの熱のこもったものであった。この反対運動は住民運動の草分けでもあった。これに成功し、のち、ゆったりとした生活に戻る。イデオロギーを振りかざすタイプではない。しかし、心の奥底には、常に社会を見つめ、右に傾き過ぎるとき、政府にも反対の意思を持っておられたようだ。
 だが、そんな心根は俳句には表れない。氏の師であった五所平之助の教え通り、氏の俳句のモットーは、
  俳句は美しくなければならない。
  俳句は見えなければならない。
  俳句は平明でなければならない。
であった。第一句集から第八句集まで、いささかもブレない。第一句集『春野』と第七句集『春の村』の冒頭の句はそれぞれ次の句であった。

  雨だれといふあかときの春のおと
  風にやや艶出て盆にはいりけり

 さて第八句集である。黛俳句は健在である。どれも、美しく、目に見え、そしてこれが一番の特徴であろうが「平明」である。作者一人だけしか分からないような、いわゆる「難解」な句が多く発表される世にあって、平明を貫き通すことは強い信念が要る。そして氏の作品には「ほのぼの感」がある。景色を詠んでもそこには「人の生活」がある。

014 雉子鳴いて夕べ明るき仏みち
018 曳き売りの声をはるかに暮れかぬる
030 彷徨うてみたくなりたる白地かな
054 さへづりへ向けて宿下駄揃へらる
116 当たるでもなき火を立てて冬の耕

 筆者はある時期から黛俳句の中に諧味のある作品を見い出し、その行く末を楽しみにしていた。第六句集『煤柱』(蛇笏賞候補であった)から上げてみよう。

 肥柄杓立てかけてある野梅かな
 飲食の箸をしづかに広島忌
 今朝秋のするする玉子かけごはん

 黛俳句に「肥柄杓」などという汚いものが出て来るのは珍しかった。「広島忌」のような社会性俳句に繋がる作品も珍しい。「玉子かけごはん」のような俗な面白さも珍しい。この流れは第八句集ではどうなっているのだろうか。抽いてみよう。

029 羽搏ちては合点のゆかぬ羽抜鶏
042 ゐのこづち取り合つてゐる喪服かな
044 案山子まだ傾ぎ足らぬといふやうに
060 陽炎に捕まつてゐる登校児
061 鷹鳩と化してわらべに追はれゐる
062 またおなじ話にもどる日永かな
097  葬送
    にぎやかにあの世へつづく春の道
107 一も二もなし新走り頂くに
123 真ん中に野壺の据わる初景色
125 つくばひに浮かぶ芥も七日かな
127 魚は氷に老いはおぼこに返りけり
143 側溝を鼠の走るクリスマス

 黛俳句の中には、宗匠俳句的なのがあっても然るべきだろうと、筆者はひそかに思っていたのである。宗匠俳句は正岡子規の攻撃を受けて見下げられた存在となってしまったが、筆者は個人的には、そんなことはない、と思っている。「真ん中に野壺がある」なんて、野趣味ぷんぷんである。これらの句を、筆者は大いに楽しませてもらった。

 とはいっても、黛俳句の神髄は、やはり、読む人を魅了してやまない平明な「納得感」であり「美意識」であろう。

016 畑土の湯気上げてをり別れ霜
027 いちにちが遠いよ桐の咲くころは
134 夏籠のいちにち雨の音の中

 ただし、この第八句集でより強く感じさせられたのは、「寂寥感」であった。

021 桃咲いておぼこ返りのまた一人
132 散るよりも満つるさびしさ花の村
155 老人に遠くなりたる春の夢

 そして最近の氏は、胸中の膨大な詩心を篩にかけて多くを捨て去り、場合によっては、あえてはやる心を弛緩させてまでもして、そこに生き残った「像」だけを選び、美しく、目に見えるように、解りやすく、ことばを選んで一句に仕立てる行為を、営々として続けておられ、この第八句集を書かれたように思うのである。それを筆者は次の句に、特に、思うのである。

151 春の夜を上りつめたる春の月(*)
 この句は、いわゆる、俳句の骨法を超越している。「春の夜」「上る」「春の月」という縁の深い言葉が並んでいるから、「緩い」と、ついそう思う。この句は〈一月の川一月の谷の中〉(飯田龍太)や〈空が一枚桃の花桃の花〉(廣瀬直人)のような、強い意思のある句とは違う。つい自然に、自分の口が「春の月」と呟いてしまったような、宜しさがあるのではないか。心をあえて空にした後でも、天心に残っている「春の月」なのである。

小川弘子句集『We are here』

 小川さんは坪内捻典さんの「船団」の人。この句集のほとんどが「船団調」の軽快な作品である。以前は故豊田都峰「京鹿子」主宰と縁があったらしく、そのころの作品も、後ろの方に入集されている。ふらんす堂、2020年3月26日刊行。表紙は、ふらんす堂らしい瀟洒なハーフ・トーン調。跋は坪内さんが、小川邸での句会の様子などを書いている。
 作品を通読すると、口語調で軽快・明快である。カタカナが多く、海外生活の端々が良いアクセントとなって表れている。

小川弘子句集.jpg


 帯に紹介された句は次の10句。

  ボジョレヌーボー中原中也の顔してる
  アステカのタトゥーを腕に稲を干す
  雪の原でんぐり返って西田幾多郎
  亀鳴くや君はロックな公務員
  未踏地だ彼は穀雨に入りゆく
  大阪の見える高台鶯餅
  草引いて無声映画の中にいる
  青石一つ天から落ちて夏の庭
  チャーチルも子規も大食冷し瓜
  We are here We are here 夏鶯

 筆者(=栗林)の共感句は次の通り。(*)印は右と重なったもの。

008 足の裏合わせっこして柿若葉
010 プチトマト転がり落ちて偏頭痛
010 洋行といわれし頃のパナマ帽
012 オーディコロンたっぷり合歓は咲いたかも
014 がぼがぼの黒靴少年巴里祭
015 今の音たしかに蟬の墜ちる音
015 蟬しぐれ手足の長い母子連れ
022 四人目を前向き抱っこ秋日澄む
023 秋彼岸ぞくぞく出てくる寺の猫
024 太刀魚は広島湾から語尾上げて
026 神無月ストーンヘンジはゼロ番地
029 そういえばわが家は平屋山に雪
032 目隠しは襲名手ぬぐい福笑い
035 パンを切るギザギザナイフ春が来た
036 去りながら振り向く猫よ梅真白
037 有次の奥までずずっと冴え返る
046 朝寝してマーマレードの甘いこと
047 春愁や遠くで電話鳴っている
056 鋏よく落ちる日であり春うらら
058 柿若葉竹刀袋のハローキティ
074 短編は突然終わる猫じゃらし
080 子を抱いてはみ出している大根葉
103 亡くなった猫も来ているげんげん田
109 草引いて無声映画の中にいる(*)
111 We are here We are here 夏鶯(*)
119 熱帯夜ルソーの密林うろつくよ
151 まな板を斜めに干して柿若葉

 筆者の好みに合う句が沢山あった。日常生活から滲んでくる題材が豊富で粋なのだ。気づきが軽快でユニークなのだ。配合の妙が至る所で働いているのだ。描写が行き届いているのだ。

109 草引いて無声映画の中にいる(*)
 庭の草取りを終って、しばし茫洋と物思いに耽っている。何とはなしに、むかしの出来事が走馬灯のように浮かび上がってきた。音は聞こえない。ある程度年を取ると、こういうことがままあるのである。筆者も同年齢なのでよく分かる。ことの軽重にかかわらず、脈絡もなく、いろいろなことが思い浮かぶのである。至福のひとときだと思いたい。

111 We are here We are here 夏鶯(*)
 この句集の表題となっている。この句が出来たときの経緯を知って、より好ましく思った。亡きご主人に縁のあった土地を家族と共に訪れた際、夏鶯がしきりに鳴いていた。それに応えるように、皆で「We are here We are here」と叫んだのだそうだ。和訳すれば「ここよここよと夏鶯」で、さあ、上五をなんとしよう? 思いが膨らんだ。

151 まな板を斜めに干して柿若葉
 俳句を始めて間もない頃と思われる作品から一句戴いた。日常の軽めの句である。配合の季語「柿若葉」が上手い。この明るさと清潔さ。「斜めに」の軽妙さ。「船団」とは違うやや古い文体の句から、好きな句を一句選んだ。

 とても楽しい句集でした。

向瀬美音編『国際歳時記―春』

 向瀬美音(むこせみね)さんが表記の歳時記を編集、上梓された(朔出版、2020年3月25日)。今回はとりあえず「春」編だが、「夏」「秋」「冬」も考えておられる。向瀬さんが主宰している「Haiku Column」で季語を紹介したところ、その季語に関わる投句の数が一躍増えたことに力を得て、今回の春編上梓に到ったそうだ。序文は櫂未知子さんが「季語の力」を丁寧にかつ熱を籠めて書かれておられる。
 該著には、春の季語65語の本意が紹介され、それに基づいて、国際俳人が母国語(英語、フランス語、イタリア語でもちろん和訳もある)で詠んだ約700句ほどが集められている。季語とともに例句が載っているのは歳時記の常であるが、幾種類かの外国語で併記された国際的なものが少なかったという点で、該著は貴重な存在であろう。俳句に関心の高い人々が多く住んでいる国々に紹介したい本である。

国際歳時記春.jpg


 いくつかの作品を読んでいて、中から気に入った作品を少しだけ挙げておこう。季語が気に入ったというわけではなくて、作品の訳し方が魅力的であったという点である。国際俳句には季語もさることながら、訳し方一つで、つまり言葉一つで価値が大きく変わるような気がしているのである。

025 リンタング ユルサ マイヤー作(インドネシア)
    cheerful morning a little rooster climbs the cliff cheerful
   麗かや小さき雄鶏きりぎしへ
 筆者(=栗林)は、原句の中の動詞(climbs)が和訳ではなくなっていることを面白く受け取った。

027 向瀬美音作(日本)
    麗かやマーマレードを煮る厨
    peaceful afternoon marmalade in the cauldron
 ここでは原句の動詞(煮る)が英訳では消えている。これにも筆者は賛成である。「厨」をkitchen とせずに cauldron(=大鍋に近い意味)としたのも「煮る」の感覚が表出されている。

027 ミレラ ブライレーン作(ルーマニア)
   a peaceful day― just the rhythmic creak of my rocking chair.
   長閑さや揺り椅子しかときしみをる
 ここでは原句にない動詞が「しかと」という副詞とともに立ち現れている。

109 十河智子作(日本)
    夕雲雀落暉に遊ぶ影として
    Larks in the evening; shadows spending in the sunset
 「遊ぶ影」を shadows spending とする上手さ。動詞の代わりに現在進行形を形容詞的に使ううまさ。

132 向瀬美音作(日本)
    手のひらに転がすピアス花疲れ
    earring rolling in my palm tired of cherry blossoms
「転がす」という他動詞を rolling という自動詞的な進行形の形容詞として用いている。英訳された句の方が、メランコリーさが現れるかも。
 
 以上勝手な感想を書かせてもらったが、許されたい。
 さて、筆者(=栗林)も国際俳句には興味があって、2012年にはカルフォルニアでの「Haiku Pacific Rim」に参加したことがある。有馬朗人さんがゲストとして日本から来て下さった。筆者自身は個人でモントレーやカーメルを旅行していた機会を利用して寄り道したのであった。
 さらに、いっとき、黒田杏子さんの縁で、アメリカの外交官・俳人のアビゲール・フリードマンさんとも縁があった。彼女は日本で在職中に俳句に魅了されたのだったが、その『私の俳句修行』(中野利子訳、岩波書店、2010年11月26日刊行)はとても面白かった。
 筆者はその後、俳句の世界遺産登録にも興味を持っていて、「現代俳句」(2015年11月号)に書いたことがある。そのとき、外国(特に四季のない国)で、季語をどのように考えるべきかよく分からなかったので、各国の人々の好きなように考えて貰って良いのだろうと思うようにしていた。日本の俳人が日本の俳句に推奨あるいは強制するような「季語の本意」を外国人に求めずに、無季でもいいから俳句を楽しんでもらえれば良いと考えていた。
 そもそも筆者が俳句とかかわるようになったのは、新興俳句が縁であったから、比較的自由な季語観を持っていたのである。とはいえ、自分では無季句は作らなかった。ただ単に人様の無季句を否定することはしない。季語がなくても「詩語」があればいいじゃないかと考えていた。これは今でも変わらない。ただし、いまでも完全な無季句は詠まない。

 本著を繙いてみて、久しぶりに英語俳句を面白く感じた(フランス語もイタリア語も理解しないので申し訳ない)。それは、季語だけのせいではない。その訳し方にいたく魅了されたからである。

 なお、上記したアビゲール・フリードマンさんの俳句は殆どが3行書きであった。該著の例句は2行がほとんどである。2行が流行るのであろうか? 下記はアビゲールさんの作品である。

  first dream of the year carefully I polish these jade marbles
  初夢に翡翠の玉を磨き継ぐ
  snow melting under the midday sun bamboo springs back
   雪解けて日輪に竹跳ね返る
 early summer I take off my watch the cool of my wrist
   初夏の時計を外す涼しさよ


  

藤原龍一郎歌集『202X』

 藤原さんが10年ぶりに歌集を上梓された(令和2年3月11日、六花書林。この日付にもなにか意味がありそう)。氏はご承知の通り藤原月彦という名の俳人でもある。
 筆者(=栗林)は短歌には詳しくないので、透徹した評は書けない。だが就中、俳句を下敷きにした氏の短歌を見つけ、楽しく読ませて戴いた。


藤原月彦歌集.jpg


 藤原さんは、1990年、短歌研究新人賞に短歌30句「ラジオ・デイズ」をもって応募、見事、賞を獲得された。同賞は、中井英夫が創設し、中条ふみ子、寺山修司らが発掘された歴史的な賞で最高の登竜門なのであった。氏は38歳であった。
 藤原さんの短歌は、氏が現在「短歌人」の編集者でもあることを知ると、なおのこと現代社会へのメッセージ性をもって迫って来る。筆者(=栗林)にとっての短歌は、素朴な万葉集はあるものの、古今和歌集以来の伝統的・宮中的な、叙景的な、あるいは個人の恋慕・愛惜を美しく描くものと思っていた。だが考えてみれば、現代ではもっと強烈に社会にメッセージを発する詩形なのだと分かる。俳句には社会性俳句というカテゴリーがあって、それが前衛俳句にとってかわられ、それも花鳥風月的伝統俳句に、今は戻ってしまっている。
 藤原さんの短歌は、素人の筆者の感受の枠を超えるものが多いのだが、刺激的語彙をふんだんに使い、政治や文化を痛烈に批判したものが多い。それは藤原さんの強烈なメッセージであり、俳句が短いがために諦めたことを、より長く言える短歌によって実行されている。そのメッセージを読者に深く理解してもらうべく、長い前書きがついている作品が多い。そして、想いは31音の枠をはみ出す勢いなのである。

 さて、集中、他者の俳句をベースにした氏の短歌があったと書いたが、それを紹介しよう。

028 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」台場、横浜カジノ綺羅綺羅
 鶴彬の川柳に基づいている。政府の、あるいは首長のカジノ施設誘致運動への批判と取れる。
048 大政翼賛会日本文学報国会 翼賛のその翼がウザイ
 高浜虚子や水原秋櫻子らの名が連なった俳句部会もあったと記憶している。
093 蝶墜ちてまた蝶墜ちてノイズまたノイズ絶えざる開戦報道
 富沢赤黄男の『天の狼』による。
093 散る桜海青きゆえ海に散り召集令状いずこより来る
 高屋窓秋の『白い夏野』による。
094 憲兵の前にて転び特高の前にて転びああ愛国者
 渡邊白泉『白泉句集』による。
102 向日葵の数限りなく立ち枯れて向日葵畑そのジェノサイド
 赤尾兜子『歳華集』の〈瀕死の白鳥古きアジアの菫など〉による。
102 モニターは百鬼夜行にあらずして最前線へ赴く国防軍
 同、〈軍の影鯛焼きしぐれてゆくごとし〉による。
102 文弱は銃後の街をさまよいぬ恥ずかしながら雨ニモ負ケズ
 同、『玄玄』の〈火を焚くや狼のほろびし話など〉による。
113 下村槐太「死にたれば人きて大根煮き始む」三沢光晴マットに死せり
 「6月13日」の前書きあり。
152 戦争は廊下の奥に立っていて「意志の勝利」もすぐそこにいる

 大変に刺激的な歌集でした。多謝。

青島玄武句集『優しき樹』

 青島さんが句集を出された(令和2年3月8日、文學の森刊行)。氏は磯貝碧蹄館の俳句精神に大いに賛同し、平成15年にその「握手」に参加。師の逝去のあとは無所属。お住まいが熊本なので、福岡での文學の森の句会や、地元の現俳協の句会などで研鑽を積まれた。現在、熊本県現代俳句協会幹事。

青島玄武句集.jpg


 帯文は中村安伸氏が,句集名ともなった冒頭の句〈花は葉に花は優しき樹となりぬ〉をあげて、次のように書いている。

  俳句は藝であり、藝とは演者と観客、作者と読者の間に渡す橋である。「優しき樹」は時分の花を全力で咲かせる。その花を愛でつつ、散ったあとを想いながらも拘泥しない。彼の架ける橋は大きく頑丈であり、しかも優しい。

 跋は、平川綾真智氏が丁寧で高尚でやや専門的な論評を書いている。フランス人の医学博士で、日本の俳句をフランスに紹介したポール=ルイ・クーシューの業績を称え、青島玄武氏は日本のクーシューである、としている。あげられた句は次の3句であった。筆者(=栗林)も気になった句である。

  バス停で弁当開くフランス人
  どれほどの蝶の毒見をせしことか
  鯨幕パイナップルが振る舞はれ

 さて、玄武さんの自選の句は次の10句。

  花は葉に花は優しき樹となりぬ
  出航す夏の山より太き船
  うごかせば体がことば南風
  秋の雨つくづくみんな地底人
  足袋脱いでまだ不自由な国にあり
  肉体の波濤が玉を競りけり
  枯野行くとは青空を歩むこと
  梅の花以外はすべて工事中
  落ちてなほ凧に寄り添ふ風ありぬ
  遥かまで花降りやまぬ行者道

 筆者(=栗林)の感銘句は次の通り。(*)は自選句と重なった。

008 うごかせば体がことば南風(*)
012 形代のもう泣きさうな袖袂
013 アロハシャツたしか大病だつたはず
015 踊る輪と別に踊を教はる輪
032 上見れば開く瞼や梅の花
034 山火なほ寒々とある夕べかな
035 淡雪や折り曲げておく辞書の隅
038 通るたび鶯餅が気にかかる
044 春の雨袖より舞台観るやうに
053 あらかじめ洗はれてをり甘茶仏
064 今時の言葉が茅の輪くぐりけり
071 人殺せさうな器や夏料理
081 冬瓜といふ余所者の置かれあり
085 戸棚より鍋蓋の降る寒さかな
086 義士の日や靴下の穴隠す靴
090 橙の正面定め飾りけり
094 予想より少し大きな嚏かな
096 表札の上にも雪の積もりけり
099 こすつたらぼやけてしまふ冬景色
102 合歓の花ブルーシートのやうな空
104 梅の花以外はすべて工事中(*)
119 風鈴にお国訛りの響きあり
119 百年は首を振る気の扇風機
123 涅槃の絵みんな失恋し給へり
124 鳥曇ずつと休みの骨董屋
126 鰯雲島へと帰る女子高生
133 山越えてまた菜の花となりにけり
144 長崎屋青葉せぬ坂なかりけり

 いつも通り、筆者の選句基準は、平明で、映像が湧き、人間や自己の深層を吐露したような、しかし、なんとなく余裕のあるような作品を選んだようだ。
 実は、玄武さんとは、「握手」に所属していたころ、数年の淡い接点があった。彼が九州から東京まで「握手」の句会に飛んで来るのである。その熱心さに驚いたものである。そのうち、ぜひ阿蘇の野焼きを見たいという仲間が数人で熊本を訪れた。玄武さんの車に乗せてもらって、初めてあの雄大な阿蘇の大観峰や野焼きを見せてもらった。阿蘇のどのあたりが焼かれるかの情報をリアルタイムで仕入れて、彼が火の手が上がる場所まで連れて行ってくれるのである。近づくと、野火の熱線が顔を打ち、鼻と目と喉に締め付けられるような刺激を感じた。それだけでなく、火の手が上がると、小動物が逃げ惑うらしく、それを鵟(ノスリ)が狙って空中を舞うのである。テレビでの野焼きとは全く違う緊迫感のある実経験であった。
 その旅は、阿蘇に一泊、翌日は熊本市に一泊、市内の歴史的なスポットを見学(神風連の変資料館など)、彼の実家の由緒ある料亭での食事を楽しんだものである。
 それからもう一つ。その頃、玄武さんは「能」をも嗜まれていた。彼がシテとなって演ずる舞台を、東京の能舞台を借り切って私たちに披露してくれた。ご母堂も一緒に来られていたことを覚えている。

 個人的な思い出を書いてしまったが、作品を鑑賞しよう。自選と重なった2句に絞ろう。

008 うごかせば体がことば南風(*)
「ことば」とは、ここでは俳句向けの言葉と考えてもいいだろう。身体を動かすことによって「言葉」がリアリテイをもって出て来るということ。「南風」ならさもあらん。
 橋本夢道に有名な句がある。〈動けば、寒い〉ただそれだけの短い句である。一方、高屋窓秋は辞書を傍らに、炬燵に入って動かないで句を詠んだ。〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉である。後者は想念の傑作句。前者は、動くことでリアリテイが出るという夢道の一句である。

104 梅の花以外はすべて工事中(*)
 この句には〈102 合歓の花ブルーシートのやうな空〉同様、「熊本地震からの熊本の四季」との前書きがある5句の一つである。何の解説も愛らない。しかし、熊本地震のあとの熊本城だと思えば、句は立つ。筆者(=栗林)はこのような、モノを描いて情を伝えるという昔からの俳句の姿勢を良しとしているので、玄武さんの作品にこのような句を、しかも、自選句を、とても宜しく感じるのである。
 
 久しぶりに玄武さんの俳句を味わいました。有難う御座いました。

「トイ」創刊号

 句誌「トイ」が創刊された。令和2年4月1日、青木空知・池田澄子・樋口由紀子・干場達矢の4人がメンバーである。この場は「おもちゃ箱のようにカラフルな同人誌でありたい」との願いで、三橋敏雄の「俳句は志して至り難い遊び」という困難な遊びを遊び尽すために作った場所です、とある。そして「トイ」は「問い」でもあるという。年3回刊行の予定。


トイ創刊号.jpg


 4人が12句ずつ発表しているので、中から筆者(=栗林)が好きな句を3句ずつ選ばせて戴いた。

青木空知「風に乗る声」より
  風に乗る声こそよけれ霊迎へ
  眠る部屋まで桃の実の匂ひかな
  蘆原を一眼レフと出て来たり

池田澄子「光満つ」より
  あきかぜと声にだしたりする体
  物干すと乾く此の世を唐辛子
  草もみじ言葉は通じないことも

樋口由紀子「蛇の目ミシン」より
  頬紅をたっぷり塗って都まで
  いっぱいのフリルにいっぱいのスリル
  もうすでに餅屋はいない夢の中

干場達矢「正誤表」より
  圏外を此の世の外として夜寒
  冬めきて痛し愛書に指切られ
  父の家の箒の横の花八手

 創刊お目出とう御座います。作品を一読し、けっこう難解なものもあった。攝津幸彦の匂いがするような句もあり、私が勝手に言っている「志高い少数俳人集団」のイメージである。向後の発展を願っています。

青木亮人氏の栗林浩句集『うさぎの話』評

 青木氏は、近現代俳句研究者で、かつ新進の評論家である(俳人協会の評論賞受賞者)。毎月どこかの俳句総合誌に寄稿されている。最近の著書に『近代俳句の諸相』(2018年8月30日、創風社出版)などがある。愛媛大学准教授でもある。
 その青木さんに筆者の第一句集『うさぎの話』(令和元年6月15日、角川文化振興財団刊行)の評をお願いし、俳句結社「街」(今井聖主宰、令和元年10月号)に寄稿戴いた。その評を抄録し、このブログに掲載させて戴く。


句集うさぎの話.jpg


(抄録)
 (冒頭、青木氏は、10代のころロックバンドやカメラに凝ったが、ものにならず、近現代俳句研究者に収まってからも、俳句評論の面白さに魅了され、俳句の実作に時間を割く余裕がなかった、と書いている。それを受けて)旺盛に評論を執筆する栗林氏が句集を上梓し、それも「俳句評論を書くため、多くの句会に出席し、学習させて戴いている」というのだから憧れる他ない。
  傘立てと杖立てのある花の寺
  海へ向け布団と老人干してある
  屋上の金網越しの桜かな

 日常の一コマを非日常の劇的な瞬間へ強引に変貌させるのではなく、季感を添えて素直に整え、それ以上の捻じれや感慨を無理に籠めようせず、日常のひとときとして言い留める。大仰に歌わず、あえて些事にこだわるのでもない、日常の中の小さなユーモアがさっぱりと示されており……(中略)。
  眼鏡拭く夏うぐひすに耳傾け
  砂時計返へし夜長のダージリン
  うららかや耳掻く時は後ろ足

 家族や友人、またさまざまな人間関係の中での自身の姿というよりも独りで過ごす静かな佇まい、しかもその中での淡い諧謔味漂う風情を探ろうとするかに感じられる。(中略)つまり「私」そのものを読者に知らせるのが目的でなく、「私」の居る周囲や視界に入ったものが淡く不思議でユーモラスであるひとときをフェアな姿勢で看取し、季感や措辞、定型に負担をかけずに写生しようとするのが氏の特徴といえる。
  目と耳を置いて消えたる雪うさぎ
  冷気立つずらり尾鰭のなき鮪
  時計売場の時計の揃ふ十二月

 季感の助けを借りつつ、これら違和感に近い現場の雰囲気を平易に詠もうとする方向性がさらに強まると、次のような磁場が発生し始める。
  影ばかりおつうが鶴でゐるあひだ
  雛も人も納めるときは仰向けに
  湖凍る音だと言ひて灯り消す

 これらの傾向は本句集のいくつかの作風の中でも異質な、暗がりを帯びた断面として世界が立ち上がるかに感じられる。無論、それは句集内における複数の方向性の一つであり、むしろ多様な詠みぶりを試みた営為が句集に感じられること自体、氏が句作を通じて俳句と向き合い、その機微を実感しようとした証左といえよう。そこに氏の俳句に対する誠実さがあり、私はそういった氏の姿勢に憧れる。
  昔からバナナ曲がつてゐて平和                 (抄録終り)

『廣瀬直人全句集』

 新型コロナウイルス蔓延のニュースが駆け巡っている。昨日は3月3日。分厚い赤いゆうメール便が届いた。開けると、『廣瀬直人全句集』であった。明るい青で統一された装丁で、厚さ5センチの箱入り豪華版である。発行日は2020年3月1日、直人さんの命日だった。発行者は角川文化振興財団、編集者は井上康明、長田群青、齋藤幸三、高室有子の皆さん、特別協力は廣瀬悦哉氏(ご子息)、あとがきは夫人の町子さん。表紙を開くと、直人氏の温顔の写真と、ご自宅前でのご夫妻のスナップ写真が載っている。筆者も2度ほどご自宅を訪ねたことがあるので、懐かしかった。
 帯には、直人さんの傑作が2句挙げられている。
  正月の雪真清水の中に落つ
  空が一枚桃の花桃の花
 筆者にとって、直人さんは、「山」、「雪」、「雲」、「桃の花」を礼賛する風土作家である。もちろん、そこには「母」や「ひと」が住んでいて、時々顔を出すのである。

 該著は、第一句集『帰路』から第六句集『風の空』(蛇笏賞の対象となった句集であった)までと、『風の空』以降の作品、俳論・随筆(飯田蛇笏論、飯田龍太論、福田甲子雄論など)、さらに、著書解題、初句索引、季語別索引からなっている。全730頁を越える大著である。

廣瀬直人全句集.jpg


 筆者(=栗林)が妻(当時「白露」の同人であった)と廣瀬邸を訪ねたとき、山梨県の一宮町のあたりは桃の花が満開であった。茶の間に招かれお茶を戴きながら直人さんは龍太が言っていたこととして「自分たちの流派の句だけでなく、現代風なのも勉強せねば……」と話して下さったこと、そして庭のご自慢の黒松を見せてくれたことを覚えている。筆者がどちらかというと現代俳句派だと見ての、直人さんのお話であったような気がする。

 大著なので簡単に紹介は出来ないのだが、高室さんが解題に各句集のイチオシの句を抜いて下さっているので、ここではそれを紹介しよう。

第一句集『帰路』、昭和47年。「雲母」の新進として蛇笏・龍太の許で編集に携わり、蛇笏死去(昭和37年)後、「雲母」中堅作家と認知されていった時期である。龍太は序文で「直人さん自身の作品には真竹のいろがある。それも真冬の、みずみずしい直立群生した趣がある」と書いて〈枯谷の真竹の月日満ちてをり〉をあげている。
  輝る雲に果樹園の冬定まりぬ    昭和35年以前
  夕暮は雲に埋まり春祭       昭和41年
  枯草にほのと櫟の月明り      昭和43年
  枯谷の真竹の月日満ちてをり    昭和46年
  秋冷の道いつぱいに蔵の影     同

第二句集『日の鳥』、昭和52年。ほとんどが龍太の選を得ている。指導的役割を求められてきた時期である。あとがきには、「年毎に故郷との接触が多くなり、否応なく身辺土着の風物への関心を強めざるを得なかった」としている。
  正月の雪真清水の中に落つ     昭和47年
  稲稔りゆつくり曇る山の国     同
  火の粒のやうに師走の母がゐる   昭和48年
  元日の泳ぎて暮るる川鼠      昭和50年
  葱伏せてその夜大きな月の暈    昭和51年

第三句集『朝の川』、昭和61年。帯文に「著者は、飯田蛇笏以来のタテ句の精神を継承し、甲斐国原の自然を舞台に、壮年期の述志を俳意たしかに言いとめる。清爽の気のあふれる待望の諷詠集」とある。
  大年の嵯峨清涼寺闇に入る     昭和52年
  どこからも川現るる秋の風     昭和54年
  雨音を野の音として夏座敷     昭和56年
  色惜しみつつ夜明けつつ黒葡萄   昭和58年
  郭公や寝にゆく母が襖閉づ     昭和59年

第四句集『遍照』、平成7年。「雲母」が終刊し、自らが主宰する「白露」を創刊した。大きな節目の期間であった。広瀬直人を廣瀬直人に改めた。
  青梅がぽとりと眠つてばかり母   平成5年
  日脚伸ぶ母を躓かせぬやうに    平成6年
  初秋の欅の村と言ふべかり     「雲母」時代
  秋の夜の延べて四肢ある熊の皮   同
  人ごゑに人蹤ついてゆく春の闇   同

第五句集『矢竹』、平成14年。「産土の山国に住みなして七十年、その豊かな自然と暮らしをみつめいつくしみつづけた歳月をあらためて自問する豊潤・静謐の第五句集」とあり、あとがきには「集名は、生まれ育って現在に至っている〈矢作〉という集落の名に因んで」とある。
  山国にがらんと住みて年用意    平成7年
  葡萄剪る思ひつめたる早さなり   平成8年
  涅槃会の大鯉にして風のごと    平成10年
  てのひらに日照り三日の桃の紅   平成13年
  冬来るぞ冬来るぞとて甲斐の鳶   平成13年

第六句集『風の空』、平成20年。蛇笏賞に輝いた句集。龍太の死、盟友福田甲子雄の死に出会った時期でもある。
  早苗四五本挿すやうに置くやうに  平成14年
    悼 福田甲子雄氏
  ここにまた人立たしめよ春の坂   平成17年
  空が一枚桃の花桃の花       平成19年
    永別―二月二十五日―
  晩春の山があり大きな死あり    同
    偲ぶこころを
  ありありと欅遥けき九月かな    同

『風の空』以後、平成24年まで。解題にはあげられていないので、筆者の独断で10句選ばせて戴いた(数字は掲載頁を示す)。
298  山国の大きな月夜新茶吸ふ     平成20年
309  鳥わつとかぶさる声も初寝覚    平成21年
313  辛夷咲く龍太晴とも言ひつべし   同
       墓参
317  甲子雄日和とて牡丹の緋が挙る   同
343  山ありて山あり余る春祭      平成22年
366  桃の花段差石積み野面積み     平成23年
370  母と来て母の奢りの洗ひ鯉     同
383  一月一日山に鳶雲に鳶       平成24年
383  風呂吹や真つ暗な音山の音     同
386  人ごゑの溜まつて歩く桃の花    同 最後の句

 ほかに、俳論や随筆がある。廣瀬直人研究には欠かすことの出来ぬ書である。

 廣瀬直人は龍太・甲子雄とともに、平成俳壇に足跡を遺した作家である。ここに、筆者が日本現代詩歌文学館の「紀要」に寄稿した「平成俳句を俯瞰して」の龍太・直人・甲子雄に関わる部分を再録しよう。

(引用)
 飯田龍太は立場上このリスト(蛇笏賞受賞者リストのこと、筆者注)にはないが、昭和・平成の俳句史には欠かせない俳人である。多くの名句を詠み、俳壇を牽引し、後輩を育てた。しかしながら、平成四年に俳句を絶っている。したがって、龍太を直接取り上げる代わりに、ここでは、彼が「雲母」を通して育てた二人の平成の(蛇笏賞)俳人に触れておこう。
 福田甲子雄は、龍太に厚く信頼された弟子であった。一誌を持つことはなかったが、主宰でなくて蛇笏賞を授与された数少ない俳人である。甲斐の地にあって、風土を温かく詠む作家であった。
   生誕も死も花冷えの寝間ひとつ   
   稲刈つて鳥入れかはる甲斐の空    
   落鮎のたどり着きたる月の海     
   わが額に師の掌おかるる小春かな
 廣瀬直人も蛇笏・龍太に連なる甲斐の実直な俳人である。平成四年八月、龍太が突然「雲母」終刊を表明したあと、その弟子たちの発表の場として、「白露」を創刊した。会員数も膨大で、俳壇屈指の結社であった。直人の句柄は、有季定型を守り、木綿の肌着のようで、気負いがなく、平明でありつづけた。   
  夕暮は雲に埋まり春祭       
  しみじみと大樹ありけり更衣
  稲稔りゆつくり曇る山の国     
  正月の雪真清水の中に落つ

 飯田蛇笏・龍太の「雲母」の一筋の流れは、平成に入って、廣瀬直人と福田甲子雄の流れとなり、それぞれ「白露」から井上康明の「郭公」と瀧澤和治の「今」へと繋がった。