『寺田京子全句集』(と栗林の『続々俳人探訪』)

 むかし「寒雷」に所属していた寺田京子の全句集が刊行された。京子は札幌の人で、若くして亡くなったが、硬質の抒情俳句を詠む人だった。
 該全句集は現代俳句協会が令和元年6月22日に発行、同10月31日には第2刷を発行している。刊行委員会メンバーは、小檜山繁子、加藤瑠璃子、九鬼あきゑ、神田ひろみ、江中真弓、宇多喜代子のみなさん。後記は宇多喜代子さんが、栞は林桂さんが書かれている。
 本著は京子の第一句集『冬の匙』から第四句集『雛の晴』(遺句集)までの全句を収容していて、京子ファンにとっては待望の一書である。第二句集『日の鷹』は、昭和43年の現代俳句協会賞の受賞対象句集となった。


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 筆者(=栗林)は、第2刷をメンバーのおひとりであられた神田さんより寄贈戴いた。たまたま寺田京子の俳人論を書いたことがあるので、ことのほか懐かしく読ませて戴いた。
 そこで、この場を借りて、京子の人と作品を俯瞰した「寺田京子探訪―白いベレーの俳人」を拙著『続々俳人探訪』(平成23年8月4日、文學の森)から部分的に引いて紹介させて戴くこととしたい。

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   寺田京子探訪―白いベレーの俳人(抜粋)
                           栗林 浩
 札幌の市街地を西へ行くと、円山や藻岩山に至り、緑がふえる。円山は札幌の山手ともいわれ、その近くに旭山記念公園がある。春から秋にかけて、鳥の声や花々が美しく、街を一望する見晴台があり、そこには句碑もある。
  日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ
 寺田京子の代表句である。昭和51年に、胸の病のため54歳で亡くなった。結核が死の病であったことを思えば、掲句は飽くなき生への執念のように切なく聞こえる。この句をはじめて知ったとき、私には佐藤鬼房の〈切株があり愚直の斧があり〉と重なった。定型の美しさを返上し、句跨りを一気に詠いあげることで、こころの底からのひたむきさを言い表している。鷹も斧も自分自身であろう。「とぶ―飛ぶ」のリフレインは「あり―あり」のそれに通じている。

一、寺田京子の一生
 京子についての年譜は簡単なものしか残っていない。以下に述べることは、加藤楸邨の「寒雷」の昭和51年9月号、森澄雄の「杉」の同年8月および9月号、「北方文芸」の同年8月号などによるものだが、分らない部分を木村敏男氏と平井さち子氏に伺って、継ぎはぎしたものである。木村氏は第三代北海道俳句協会会長を務められ、30年間続いた俳句結社「楡」の主宰であられた。平井氏は中村草田男の「萬緑」の前同人会長であられた。両氏とも京子と親しかった人である。(筆者注:おふたりはもう亡くなられていて、京子を直接知る人は少なくなってしまった)。
 寺田京子、本名キョウ。札幌生まれだが、旧満州国の鞍山女学院中退。京子の生年を大正14年1月11日とした資料が殆どであるが、正しくは大正11年である。平井は『さっぽろ文庫(13)―札幌の俳句』に、京子を大正11年生まれと明記しており、私の取材の折にも確認できたので平井説をとる。没年の昭和51年6月22日は間違いない。だとすると巷間51歳で亡くなったとされているが、54歳であったことになる。だが、出自を語ることを嫌ったという京子の心中を忖度すると、そっとしておきたい気もする。京子は、自分自身長生きできるとは思っていなかったので、生年には頓着しなかったのだろう(筆者注:該全句集の略年譜では大正11年生まれとある。また、その初版は43年後の命日の日に拘って刊行されている)。
 少女期から病にあって、20歳代に入ったころはすでに胸部疾患の重症患者として入院していた。医師も半年か1年の命と言っていたらしい。ストマイやパスなど特効薬が出回っていない昭和19年ころのことである。俳句をはじめたのは、療養者同士の回覧句稿によってであり、やがて地元の天野宗軒の「水声」、高橋貞俊の「水輪」、蛇笏賞作家の斉藤玄の「壷」に属してゆく。
  少女期より病みし顔映え冬の匙
 第一句集の題名『冬の匙』はこの句に依っている。
中央の結社としては、加藤楸邨の「寒雷」が復刊した後、昭和25年にこれに参加し、同29年暖響会(結社運営の主体となる同人の会)会員に推薦されている。
 昭和43年、第二句集『日の鷹』で第十五回現代俳句協会賞を受賞。読売俳壇(北海道版)の選者や北海道文学館常任理事などを務める。地元では女性のための「札幌獏の会」や「青くるみの会」などの句座を持って指導していた。
 昭和45年、楸邨の流れを汲む森澄雄が「杉」を立ち上げると、創刊同人としてこれに加わった。

二、京子の俳句鑑賞
「俳句界」の平成21年7月号に加藤楸邨特集がある。楸邨の「寒雷」になぜ優れた俳人が多く輩出したのかを探るものである。須川洋子が……「寒雷」の初期は金子兜太や森澄雄など男の結社の相があったが、その後は、寺田京子や安井さつき・矢部栄子・沖田佐久子ら女性が台頭した。しかしみな夭逝してしまい残念だ……と書き、彼女たちの代表句を掲げている。次の句であった。
  日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ  寺田京子
  うすものに一瞬の若さ鏡伏す    安井さつき
  青桃や今欲しきもの今告げたし   矢部栄子
  不知火もゆる疲れては見る白昼夢  沖田佐久子
 これらの「寒雷」同時代の女流の句は、みな一流ではあろうが、強い意思の表出という点では、京子の句「日の鷹がとぶ」が秀逸であろうと、私は思う。

―――このあと、4つの句集から筆者の好きな句を抽出し、鑑賞を述べている。ここでは、それらの句の一部だけを再録しておこう。―――

(一) 『冬の匙』(昭和22年―31年)
 第一句集『冬の匙』から。京子の20歳後半から30歳前半の作品である。
  セルの下しろたへつけて診せにゆく
  死なざりて飾る雛が散乱す
  冬衣蔵ふつひできめおく死衣裳
  ばら切つてわれの死場所ベッド見ゆる
(二) 『日の鷹』(昭和31年―42年)
 第二句集『日の鷹』は、冒頭に挙げた〈日の鷹がとぶ骨片となるまでとぶ〉に因んでいる。最も人口に膾炙している句である。題簽は楸邨が書いている。
  冬帽買う死なず癒えざりさりげなく
  白菜洗う死とは無縁の顔をして
  セルを着て遺書は一行にて足りる
  ばら剪つてすでに短命にはあらず
 京子は40歳台に入り、健康状態は良かった。それでも、1句目、2句目から「死」の想念が身を離れていないことが分る。己の「病・死」を詠うのだが、いつも客観的に捉えている。
  雪中に焚火しわしわ燃えて生理終る
  ひかりたんぽぽ生まれかわりも女なれ
  手袋合掌させて蔵いし会いたきなり
  春服着てからだの中を汽車過ぎゆく
  夏手袋に芯となる手のしあわせか
(三) 『鷺の巣』(昭和43年―49年)
 第三句集は現代俳句協会賞以降の300句を納めてある。刊行後発送などに精を出した京子は、再び健康を損ねる。刊行半年後には、床に伏せるのである。とまれ、作品としては、健康な時期のものを掲げた。
  花きささげ死者きて寺が動きだす
  しずかさの死者は死者たち氷水
  押入れに寒さびつしり白鳥きて
  銅像の歩きださんとして凍る
  雪ふるや尻尾を吊るしフライパン
  悲の色をあつめ沖あり冬苺
  歩くだけの生きるだけの幅雪を掻く
(四) 『雛の晴』(昭和50年―51年没年まで)
 木村敏男のあとがきがある。それには、〈めちやくちやに晴れし雛の飾られぬ〉から、この句集名をつけた、とある。上質紙1頁に1句収容、173頁のおおらかな句集である。 旭山記念公園の句碑のことは冒頭に書いたが、この句碑建立委員会がこの遺句集の発行者でもあった。句碑もそうだが、俳句の集団だけでなく、北海道の文学者集団が力を合わせて為したものである。俳句の世界だけだと、どうしても流派や師系が禍して、大きな力になりづらい。
  どんど焼きすだまは人の手のかたち
  病枕地吹雪ときに火の音して
 死の床に伏しての作句であると知れば切ない。一句目。「手のかたち」は彼女の手であり、その掌に自分のたましいを乗せているのかも。二句目。余計な解説はよそう。北海道の激しい「地吹雪」に「火の音」を聴くのは余程の感性の持ち主である。

三、「恋」の句―白いベレーの俳人
 平成21年6月のある日、札幌へ行く予定のあった私は、京子のことを少しでも知りたいと思って、木村敏男を訪ねた。千歳空港に降りた途端、ひんやりとした空気が胸に心地良かった。最近では、蝦夷梅雨という言葉があるようだが、私の故郷でもある北海道には梅雨がなかったというのが、私の記憶である。気がついたら、京子の祥月命日の2日前であった。リラは咲き終わり、アカシアが咲き、ポプラの絮が飛んでいた。木村の話を聴いてから、私は北海道文学館へ行ってみた。そこで、京子がむかし入っていた「壷」の俳誌を探した。その中に療養中のある出来事を回想した京子の記事を見つけた(昭和49年5月号)。京子は、一時は自裁も考えたらしいが、そうしなかったことなどが書かれている。紙幅の都合で、ここでは省略いたします)

 寺田京子の俳句は、およそ華奢な女の作品らしくない。ごつごつしたリズムで、こなれていない俳句表現を遣う。想いが強いと定型を外れるようである。おまけにテーマは、「病涯」であり、「風土」である。風土といってもノスタルジアからはほど遠く、雪と氷の世界である。結婚を諦め、しかし恋を意識する。恋に恋した女の胸のうちを詠む。それは、伝統に縛られない北海道の奔放な女の心の世界から出たものだ。彼女には、その世界は実現しなかったが、実現しなかっただけに哀しく美しい。成就しなかったから壊れることもない。そんな世界を俳句にしたのであった。
    *****
 偶然が味方してくれることがよくある。今回も偶然が偶然を呼んで「寺田京子探訪」となった。私の俳友が「寺田京子が面白いよ」と言って、宇多喜代子さんの論評の写しを呉れた。読んで気が動いたのだが、私が以前お世話になった平井さち子さんが寺田京子の親友であったと聞いて、さらに気が動いた。これが第一の偶然であった。そして、平井さんから聞いた木村敏男さんが私の札幌の友人と知り合いであり、木村さんを紹介してもらえたのも偶然である。しかも木村さんとお合いした日は京子の祥月命日の2日前であった。もうひとつの偶然は、たまたま訪ねた函館文学館で起こった。ショーウインドウに「北方文芸」という私が知らなかった雑誌が一冊飾られており、その表紙に「寺田京子追悼号」とあったのである。俳句関係の資料を漁っていただけでは辿り着けない資料である。しかしそこでは借りて読むことはできない。すぐに車で函館市立図書館へ駆けつけたが、休館日だった。帰京してから国会図書館で読むことができたのである。
 平井さんは私に、NHKラジオで流された「土曜日の手帳」のテープを貸してくれた。これには句会での京子の肉声が入っていたし、没後一年に原田康子・木村敏男両氏が京子の想い出を語ったものも入っていた。平井さんは札幌時代の友人堀カンナさんにも京子の想い出をいろいろ尋ね、確認してくれた。同女の指摘で、6月22日が「京子忌」として『ザ・俳句―十万人歳時記』に載っていることを知った。ある俳人が京子の忌に「梅雨忌」を当てようとした形跡があるが、北海道には梅雨がないので、如何なものかと、私は思っていたのである。

 以上で抄録を終わるが、かなり大急ぎでの抄録であるので、不十分の誹りを免れないであろう。ご興味のある方はぜひ原本に当たって鑑賞して戴きたい。

森潮句集『種子』

 森潮さんは結社「杉」の主宰で、俳壇で超著名な森澄雄の息子さん。子供のころから絵が好きで画家を志していたためか、ことばの世界の父澄雄とは距離を置いていた。東京造形大学卒業後、世界各国を放浪(あとがきにそう書いてある)。ご母堂を突然失って、澄雄との二人だけの生活が始まったころ、澄雄の処女句集『雪礫』を読んだ。その時の衝撃をこう書いている。

  『雪礫』を読んだのがいけなかった。素直に感動してしまったのだ。そして母の残念な死を思えば、父の仕事を続けさせることが、私の使命のように思えたのである。

 筆者(=栗林)は澄雄やそののちの潮さんの「杉」に接点を持っていたわけではないが、俳壇のパーテイなどで、潮さんが澄雄の車椅子を押していたところに何度か出くわしていて、今、その姿を思い起こしている。
 この句集は、その父に同行したと思われる多くの旅吟、自然詠、ご自分の結婚、長男長女の誕生などの日常詠、そして澄雄の死(平成22年)までの作品からなっている。句の調子は、なめらかな静謐さを持っており、けっして声高に悲憤慷慨せず、知に流されず、人生訓を垂れるでもなく、俳句の正道的な佳品がずらりと並んでいる・・・という感じである。
 文學の森、令和2年1月29日刊行。


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 自選句は次の10句。

  げんげ田はわが幼年の色列車過ぐ
  囀や水滴に水あふれしむ
  父母に父母のあり彼岸花
  西に地震ありて見つむる冬木の芽
  婚礼や四方の山々滴りて
  あまたなる死苦の声ありビル微塵
  俳諧も画もみち一筋や蕪村の忌
  子のきげん妻の機嫌や花八つ手
  二人して遠を見てゐる新茶かな
  父を焼く火力絶やさず秋の風

 筆者の共感句は次の通り。(*)印の一句は、自選と重なったもの。

025 口笛に鳥の応へし春の山
030 雨気見ゆる牡丹の白と思ひをり
033 土匂ふ茗荷の花に月明り
035 どこまでも見えて遠くや秋の暮
041 田を打つて人の霞める大和かな
042 飛鳥より明日香の親しすみれ草
054 陽炎に老いし父あり歩きをり
063 うたた寝に泪出でたり日向ぼこ
083 秋あかね名も刻まれず平家墓
111 水入れし棚田明りに桐の花
134 着膨れてペンギンのごと嬰歩む
148 葭切のこゑを一日淡海なり
154 車椅子の父に吾子乗せ初詣
155 春曙目覚めてまぶた閉ぢてをり
161 車椅子の父を押しゆく花野かな
172 まだ見えぬ赤子の瞳緑さす
199 二人して遠を見てゐる新茶かな(*)
221 清秋やいよよ小さくなりし父
226  八月十八日、父澄雄死す
    見えてゐて帰らぬ父や秋の風
230 からつぽの介護のベッド冬日差す

 この句集から受けた印象は、端正で良質な句がいっぱいというものであった。澄雄との俳句日常の集成である。
 中から少し鑑賞しよう。

035 どこまでも見えて遠くや秋の暮
199 二人して遠を見てゐる新茶かな(*)
 遠くが見えていると、人の心はなぜか落ち着く。そして広がる。「秋の暮」といってもまだ暮れていない。空気が澄んでいる。199は父と二人で遠くを見ている。何を話し合っているのかは分からないが、「新茶」から想起できる話題は、ごく普段のしあわせ感のあるようなものであるに違いない。

041 田を打つて人の霞める大和かな
042 飛鳥より明日香の親しすみれ草
「大和」「飛鳥」「明日香」という固有名詞の働きは大きい。二千年の日本の歴史が読者の胸に一挙に湧き上がってくる。「霞」も「すみれ草」もぴったり。つきすぎとは言うまい。あの地は、何度訪れても、いつ訪れても、筆者にとっても、この感覚なのである。

148 葭切のこゑを一日淡海なり
 澄雄と言えば「淡海」である。潮さんお一人だったかもしれないが、この句集にも琵琶湖を詠んだ句が多い。たとえば〈165雪吊りの松にひらける鳰の海〉や〈214湖に年を惜しめと鴨の声〉などがある。「葭切」はあまり上品な声ではない。むしろ、そこにこの句の真実味があるような気がした。

161 車椅子の父を押しゆく花野かな
221 清秋やいよよ小さくなりし父
226  八月十八日、父澄雄死す
    見えてゐて帰らぬ父や秋の風
 澄雄が亡くなるまでの経過が分かる句である。これ以前に、まだご自分の足で歩いておられた頃の句〈054 陽炎に老いし父あり歩きをり〉もある。これらを読むと、この句集は潮氏が父澄雄にささげたもののように思えた。げんに、あとがきには「何よりも亡くなった父母に句集『種子』を捧げる」とあった。 

 貴重な一冊を有難う御座いました。

佐藤日田路句集『不存在証明』

 著者佐藤さんは「亜流亜(あるさと)」(代表は中村猛虎氏、姫路市)と「海光」(代表は林誠司氏)の会員で、このほど林さんの俳句アトラスから第一句集を出された(令和2年2月1日)。俳歴は15年ほどと思われるが、一時「海程」にも参加していた。跋は林氏。


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 自選12句は次の通り。

  青空を動かさぬよう魞を挿す
  サーカスの転校生と桜餅
  名をつけて子は親となる著莪の花
  色鯉の口に暗黒入りにけり
  勉強がきらいな僕と蝸牛
  駄菓子屋は間口一間大西日
  心臓に手足が生えて阿波踊
  穴惑いあなたが尻尾踏んでいる
  芋の露母さん僕は元気です
  懐手笑いどころを間違える
  踵うつくし霜柱踏めばもっと
  肉体は死を運ぶ舟冬の月

「駄菓子屋」のような写生的な句があるが、「芋の露」や最後の句「冬の月」のような季語を配合した句、「サーカスの転校生」のようなノスタルジー豊かな作品などなどが一体となって佐藤俳句の世界を表出している。「阿波踊」など、モノやコトを見ての描写が巧みである。

 筆者の共感句は次の通り。(*)印は自選句と重なったもの。

017 手首より大人びてゆく白日傘
027 うららかや空から梯子降りてくる
028 青空を動かさぬよう魞を挿す(*)
029 春光やみなと小さき竹生島
038 担任はななつ年上初桜
041 三歳の歩幅に合わせ青き踏む
101 逝ったこと忘れ冬瓜盛り分ける
110 城一つくれてやろうか鰯雲
127 心臓に手足が生えて阿波踊(*)
128 月光が固まらぬよう搔き混ぜる
136 雪ばんば震えて止まる洗濯機
137 懐手笑いどころを間違える(*)
142 小春日や仔犬のように褒められる
143 金継ぎのような夫婦でクリスマス

 少し鑑賞しよう。

028 青空を動かさぬよう魞を挿す(*)
029 春光やみなと小さき竹生島
 琵琶湖の景である。「青空を動かさぬよう」で湖面の静けさが見えて来る。佐藤さんは「・・・よう」という喩が上手い。〈128 月光が固まらぬよう搔き混ぜる〉〈142 小春日や仔犬のように褒められる〉〈143 金継ぎのような夫婦でクリスマス〉などである。そして、その喩が機知に富んでいる。
「竹生島」の「みなと」は「港」と言うには如何にも小さかった記憶が、筆者にもある。

127 心臓に手足が生えて阿波踊(*)
 とくに男踊りを想像すると「心臓に手足が生えて」がぴったりな描写である。阿波踊りの句は沢山あるが、この句、喩が珍しく、筆者イチオシの句である。

137 懐手笑いどころを間違える(*)
 少し間が合わなかったときの微苦笑を思わせる。「懐手」という季語の配合も上手い。この句の場面とは違うが、翻訳なしの映画を見ていて、周りの母国語人が一斉に笑った場面で、なぜ面白いのかが分からなくて、戸惑ったことを思い出した。

142 小春日や仔犬のように褒められる
 ここにも「ように」が出て来るが、「子犬のように褒められる」という喩が見事。仔犬の具体的な形容は何もないが、可愛さがよく分かる。

 楽しい句集でした。

岡崎桂子句集『大和ことば』

 岡崎桂子さんは、1981年に結社「沖」に参加し、1986年、今瀬剛一主宰の「対岸」創刊時に入会、現在編集同人であられ、約40年の句歴を持っておられる。該句集は第4句集である(朔出版、2020年1月27日刊行)。俳人協会評議員。


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自選12句は次の通り。

  百千鳥神話の島に目覚めけり
  飛花落花大和ことばのとび散れり
  母郷水戸ぶつきら棒のあたたかし
  転がつて土俵は狭し五月場所
  蓮見舟蓮をへだててすれ違ふ
  晩年の父白蚊帳を好みけり
  平家納経花野に展げたきものを
  こつと叩けばこつと返して榠樝の実
  大潮の放りあげたる今日の月
  三つ星の静かに巡り句碑の空
  凩やつうの如くに身の細り
  翁面雪夜の神となりて舞ふ

 自らが見たモノからの感受、経験したコトからの想念を、句歴40年の確かな言葉で詠っている。この12句に限らず、どの句もしっかりと詠われていて、その力量に頷きながら読ませて戴いた。

 筆者(=栗林)の共感句は次の通り。(*)は自選と重なったもの。

014 緋を散らし金魚田に雨来たりけり
016 涼み舟吾妻橋より橋尽し
024 雪吊の一糸ゆるめば隙だらけ
029 春暁や避難袋に遺影入れ
035 地獄絵の前にごろんと西瓜あり
076 金箔に似てゆらゆらと秋の蝶
077 仏頭の中はからつぽ初時雨
094 会津より来し風花をまぶしめり
104 次の田へ足重くあげ田草取
110 木枯や般若の面は耳を持つ
113 ストーブの火は消したかとほろすけほ
118 汗匂ふ子を抱きあげて象の前
122 手花火の力尽きたるひとしづく
138 母郷水戸ぶつきら棒のあたたかし(*)
155 光集めて春水は海へ出づ
159 あるだけの花つけて待つ夜明けなり
160 にはたづみ引き花びらの重なれり
162 蛍袋の中は安心波の音
166 月昇りけり最善を尽くせし日
167 凩やつうの如くに身の細り(*)

 幾つかを簡単に鑑賞しよう。

014 緋を散らし金魚田に雨来たりけり
 見事な写生句。水深がそう深くはない金魚田に急に雨が来た。赤い金魚があわてて散らばった。その映像が、豊かな色彩を持って、筆者の目にすぐに湧きたってきた。イチオシの句。

104 次の田へ足重くあげ田草取
「田草取」は重労働だと聞く。水が張ってある田圃で、足が深くぬかる。一歩一歩重そうに足をあげ足をおろす。「重くあげ」で上手く描写できた句である。

113 ストーブの火は消したかとほろすけほ
「ほろすけほ」がポイント。自信はないが、梟の形をした小さなマスコットか、ストラップの類ではなかろうか。とにかく筆者は、「ほろすけ」と名付けられている「梟の作り物」に、「火を消したか?」と作者が注意喚起されている様を思った。外出時にストーブの灯を消したか、電気は消したか、鍵は大丈夫かなどなど、いろいろ気になるのが常である。その気分がよく出ている軽い佳句である。

138 母郷水戸ぶつきら棒のあたたかし(*)
 筆者も水戸に一時住んだことがあるので懐かしい。千波沼公園、偕楽園など・・・。人々の言葉はやや「ぶっきら棒」だが、悪気はない。住めば都である。個人的には、大工町にあった(今もあると思うが)山口楼などが、懐かしい。

162 蛍袋の中は安心波の音
 筆者の好みを言って申し訳ないが「安心」は、読むときには、ぜひ「あんじん」と読んでほしい。抹香臭くなって申し訳ありませんが・・・。

166 月昇りけり最善を尽くせし日
 こういう日が一年に2,3回はあって欲しい。「最善」とは何を言うのか全く書かれていない。そこが良い。読者が読者の範囲で考えることを任されているのである。この句もイチオシである。

167 凩やつうの如くに身の細り(*)
 この句を選んだのには、やや個人的な思い入れがある。筆者の句集『うさぎの話』に次の一句がある。「鶴の恩返し」に基づいた句である。
   影ばかりおつうが鶴でゐるあひだ
岡崎さんのこの句は違うのかもしれないが、こう思ったらその考えからなかなか抜け出せない。誤読でしたらご寛恕を。

山崎十生句集『銀幕』

 山崎さんは結社「紫」の主宰。多方面で大活躍の俳人である。該句集は第十一句集(東京四季出版、令和2年2月17日刊行)。この7年間の結社誌「紫」掲載の句のみから選んであるそうだが、9割方が席題による即吟の作品である。ほかに総合誌や新聞などに発表した作品は除外してあるとのことである。


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 自選12句は次の通り。

  泳ぐ真似して風船を追ひ行けり
  陽炎を紡ぎ大平洋となす
  地下鉄の迷路三鬼の忌であった
  滅菌の青色硝子走り梅雨
  淋しくて馬面剥を炙りたり
  身を護るために金魚は尾を振れり
  手を拡げ抱く荒川風青し
  メンデルスゾーンが夜を長くする
  澄む水に曙杉の斃れゐし
  髭剃りはゾーリンゲンや竜の玉
  大雑把こそめでたけれ隙間風
  耳掻きの微妙な角度ペチカ燃ゆ

 筆者の共感の句は次の通り。

008 迷宮の入口ならむ春の雪
014 胎動を促す野火を見てゐたり
026 定規には好きな人の名つばめ来る
034 開帳や登れば下りるしかあらず
041 声のない声上げて行く流し雛
043 まっすぐな路地など嫌ひうららけし
067 無欲とは程遠く香水はあり
079 単純なものほど難解水中花
088 指切りの指うっすらと汗を掻く
090 それとなく扇子の残り香で解る
093 ハンモックどこかで力入りけり
108 別のひとだから特別天の川
116 十六夜の月のひかりで動く塵
122 ゐのこづち付け合ふ恋の初めかな
124 間合とは合間の極み草の花
125 整然と乱れてゐたる雁の鉤
129 足音で解る亡き人十三夜
135 辛さなど微塵も見せず小鳥来る
162 風花を享けるてのひら浄土かな
172 白鳥の滑空山を微塵にす
186 雪吊りの仕上げは髭を撫でること
 
 少し鑑賞しよう。

014 胎動を促す野火を見てゐたり
 阿蘇の野焼きを見たことがあるが、火の様はまさに勇壮であった。火に追われて地を野鼠が走り、それを狙うのすりが空を舞っていた。この景を見た妊婦さんなら、きっと胎動が始まるに違いない。だから、本当なら「野火に胎動始まれり」的な言い方になろうが、男はそこまでは言い切れないので、こうなったのかも。

041 声のない声上げて行く流し雛
「流し雛」が声を出せるなら、いろいろ言いたいことがあったであろう。流れの端を遡ったり、躊躇しながら流されていく様が、そう見える。どんな声なのか、読者の想像に任されている。ついつい、恨みがましい声なのでは、などと心配してしまう。

067 無欲とは程遠く香水はあり
 まさに「香水」を言い当てている。香水には、その発展の歴史からして、いろんな欲が絡まっている。特に男女の間の欲を思わせる。一つ一つの香りにも、香水の名前にも複雑な意味があるようだ。「シャネルの5番」とか「夜間飛行」くらいしか知らないが・・・。

108 別のひとだから特別天の川
 言外に「特別な人だから特別」という意味があろう。関係ないのだが、池田澄子さんの〈屠蘇散や夫は他人なので好き〉という句を思い出した。掲句の季語「天の川」の働きはどのように考えればよいのだろうか。もちろん夜だ。いろいろ想像させられる。

135 辛さなど微塵も見せず小鳥来る
 天災などで荒れた山河を見ながら小鳥が渡ってきた。疲れや哀しさなどは見せずに渡ってきた。筆者などは小鳥にその心情を思いやったことがないので、作者の心遣いに意表を突かれた思いであった。

 楽しい句集を有難う御座いました。

有馬英子句集『火を抱いて』

 有馬さんは「白」俳句会同人で、該著は第二句集。句集名『火を抱いて』に、著者の強烈な意思を感じた。序文などを読むと、有馬さんは障害を持っておられるようで、日常はヘルパーさんの援けがいるようだと分かった。刊行は「白」俳句会、2019年3月31日。


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 自選句の表示がないので、筆者(=栗林)の共感句を、まず、掲げる。好みとしては、社会性を持った作品よりも、作者の身辺から発した抒情句が好きなので、選句が偏ったかも知れない。もう一つ断っておきたいことは、この句集が筆者のところに届いた時期は、この1月であった。発刊からずいぶんと経っていて、通常なら、新刊しかブログには載せないのだが、共感句が多かったので、載せさせていただきたいと思った次第である。

014 山彦を返してくれぬ霧の村
018 水仙を抱えて歩幅伸ばしたり
021 春月の背中のボタン留めにくい
032 人間の数だけ寒い信号待ち
034 鳴きそうな鶯餅をひとつ買う
046 大寒の朝出席に二重丸
048 ブランコを漕いで私にも未来
066 振り向くな山茶花の白どっと散る
069 活けられて菜の花海を見たいと言う
078 初蝶を次のページで捕まえる
079 ぴかぴかのコンプレックス枇杷の種
096 先端が好き人が好き赤とんぼ
108 冬日向横にして置く砂時計
111 躁と鬱リバーシブルの春の服
128 次の世は私が母を産む無月
130 思い出し笑いしながら蛇穴に
147 つめるからみんなおいでよ日向ぼこ
149 子供の日こどものいない静かな日
 
 少し鑑賞しよう。

034 鳴きそうな鶯餅をひとつ買う
 いまにも鳴き始めそうな鶯餅。この直喩が成功した。「ひとつ買う」のつつましさにも好印象を覚える。

078 初蝶を次のページで捕まえる
 そうとは知らずに選んだのだが、2009年の東京都現代俳句協会の大会で一位になった句だそうだ。この未来志向に感銘した。健常者でもなかなかこうは詠めない。筆者イチオシの作品である。

111 躁と鬱リバーシブルの春の服
 誰にでも、時によって鬱と躁がある。そのとき、リバーシブルの上着なら、瞬時に心持を入れ替え出来る。「春の服」がいい。上手い句。

128 次の世は私が母を産む無月
 作者の境遇から察するに、ご母堂様(故人)になみなみならぬご苦労をお掛けしたことであろう。だから、次の世は私が母を産んで慈しみ、育ててあげたいと願うのである。配合された季語「無月」の働きをどう読むかは、結構難しいが、小生の心に響いた句なので挙げさせて戴いた。

147 つめるからみんなおいでよ日向ぼこ
 この向日性が良かった。有馬さんは決して一人ではないのだ。

 有馬さんには、この句集の題名の如く、強烈な意思がある。それが反戦に繋がったものとしては、筆者は選ばなかったものの、
056 銃口にタンポポ一輪挿しておけ
146 冬の夜のベッドの下を潜水艦
151 片蔭を行けば軍靴がついて来る
など話題作がある。むしろこのような作品の方が有馬英子の世界なのかもしれない。

原ゆき句集『ひざしのことり』

 原さんは坪内稔典さんの「船団」の会員。2016年には「抒情文芸」(季刊文芸誌)最優秀者賞、18年には船団賞を受賞している。該句集はふらんす堂の第一句集シリーズとして、令和二年元旦刊行。このシリーズは清楚な装丁で、句数も厳選してあるので数多くはない。もち運びにも便利な薄い句集であって、筆者(=栗林)は気に入っている。また著作者には比較的若い層の方が多く、その感性には、いつも惹かれている。


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 自選十句は次の通り。

  蕪という明るいものを買ってくる
  蜜柑剥く旅程のごとき音たてて
  いつまでも羽が残って春の風邪
  音楽はさよりの動きにてドアへ
  ありったけ胡瓜食べ喉ほのあかり
  こいびとに金魚の箇所と石の箇所
  日の盛り固まりかけの詩のしずか
  発光の葡萄をしまう君の唇
  死体役すいっと起きて星月夜
  梨を切るたびに湖面の現れる
 
 どの句にも感受の新しさと、用いられている言葉にユニークさと「丁度よさ」のバランスがとれている。
筆者(=栗林)が共感した作品は次の通り。(*)は自選と重なったもの。

004 音楽はさよりの動きにてドアへ(*)
006 こめかみに射し込んでくる初桜
007 大ごとになってしまった桜かな
007 花吹雪公園が船出してゆく
008 顔のない兄にもよそう豆の飯
008 ブローチのてんとう虫は足持たぬ
010 絹さやに絹という字のさやさやと
010 わたしからあなたへの旅てんと虫
010 岸を離れつかの間新居めくボート
013 ポとひらく日傘あれから一年か
014 胡瓜持つ胡瓜の中に水の声
014 西日には余分なことが多すぎる
015 ぱしと折るそのとき季語となる胡瓜
016 帰るかな現金を白桃にして
018 月光を髪に集めてさようなら
019 満月を持つように持つレコード盤
024 洗濯機なかはパレード春隣
026 キャベツ語をつぶやき眠りゆく胎児
028 夏闇の底まぼろしの馬つなぐ
037 ことりくるひざしのなかのさようなら
040 正しくはない電話して冬銀河
046 居ぬようにわたしが居るよさくらの夜
058 ふつうの日ときおり蜂の日の混ざり
062 滝と逢うためには眼閉ざさねば
063 海はふたつに分かれることもなく紫陽花
065 えんぴつはすらりと夏山のにおい
   
 幾つか鑑賞しよう。

004 音楽はさよりの動きにてドアへ(*)
 自選と重なったもの。さよりの泳いでいるところは見たことがないのだが、想像は出来る。ひょっとすると回転ドアかと思うが、そうでなくても、柔らかく身体をくねらせて、すいとドアを潜り抜ける。閉まる寸前なのかもしれない。あるいは人混みの中なのかもしれない………と思って上五をよくみると、主人公は私ではなく音楽である。とはいえ、きっとイヤホンから流れくる音楽と自分が一体化しながら、ドアをくぐる瞬間なのかも知れない。

007 大ごとになってしまった桜かな
 目立っていなかった桜が満開となった。この繚乱ぶりは作者の予想をこえ、桜自身すらが予定していなかったほどなのであろう。桜が咲くさまを「大ごと」といった人はいなかったのではなかろうか。新鮮!

008 ブローチのてんとう虫は足持たぬ
 細かい気付きが一句となった。ブローチの天道虫は季語ではないと教える先生がいるが、作者の想念はただいま天道虫に集中しているのだ。りっぱな季語だ!

010 絹さやに絹という字のさやさやと
「絹」という字のさやけさと、絹さやの莢をとる作業の手早さと音感が伝ってくる。上品な小品である。

010 わたしからあなたへの旅てんと虫
 筆者イチオシの句。句意は明らか。オノロケに近いが詩的浪漫がある。年老いてもこのような句を詠んでいたいもの。

015 ぱしと折るそのとき季語となる胡瓜
 実感がある。外面だけでは「胡瓜は胡瓜」。折ってみてはじめて折るときの質感、青臭さや、青白い肉質や種の並びが分かる。一年中売られている胡瓜だが、手に取って折ってみて初めて季語としての胡瓜となる。慧眼!

016 帰るかな現金を白桃にして
 これは面白かった。誤読かも知れないが、こう読んで楽しませて戴いた。「帰るかな」は帰省の場面。すると、親戚の子へは(父母へでもいいのだが)お小遣いか、それとも食べ物にしようか、などと考える。結局、「現金」ではなく「白桃」に決めたのであろう。その方が、話題が増えるからよかったと筆者は思っている。現金では話のタネにならないが、モノだったら、話のキッカケには必ずなるような気がする。

026 キャベツ語をつぶやき眠りゆく胎児
「キャベツ語」にやられた。しかも「嬰児や幼児」でなく「胎児」だ。母親にしか分からない身体感覚のうまさ! フランス語・タガログ語・マサイ語などではこの味はでない。「鳥語」も少し違う感じですね。

037 ことりくるひざしのなかのさようなら
 柔らかなムードで取らされた、田中裕明の〈みづうみのみなとのなつのみじかけれ〉を思い出した。「さようなら」を使った句に〈018 月光を髪に集めてさようなら〉もあり、気になったが………。

 今後も楽しみに致しております。

恩曾川太郎句集『鳥の歌』



 恩曾川さんは木内彰志・怜子主宰の「海原」に所属し、平成二十五年の同誌終刊後は「郭公」と「嵯峨野」に入られ、現在に至っている。句集名『鳥の歌』はパブロ・カザルスのチェロの小品「鳥の歌」に拠っている。この曲への思い入れが大きいようだ。「海原」時代までの作品を集めた第二句集である。なお、「海原」は兜太の後継誌の「海原」(平成三十年創刊)とはべつのものである。
 また俳号恩曾川は、氏のお住まいの近くを流れる野川の名前を戴いたとあとがきにあり、扉には木内怜子氏の祝句〈冬うらら言葉ののりし鳥の歌〉がある。令和二年一月二十三日、喜怒哀楽書房刊行。


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 自選句の表示がないので、筆者(=栗林)の共感句を掲げる。

009 この小さき山に名のあり年迎ふ
010 一灯を献じてよりの初句会
014 山分けの習ひをいまに蕨狩
016 甲斐は骨太夏山も俳人も
017 甲斐駒は遠く見るべし野甘草
018 甲斐の田に鉄気(かなけ)ただよふ旱梅雨
022 爽やかや膝打つて立つ太郎冠者
024 寒林へ入りぬ聞き耳立てながら
035 秋めくや男点前の井戸茶碗
039 朝靄の裾より晴れて蕎麦の花
041 手のとどく辺りを逸れて朴落葉
051 洛中や鐘に目覚むる初昔
059 蔵元の上がり框の花の塵
064 南座のすでに灯りぬ川床涼み
068 落葉焚くすこし落葉を足しながら
076 これはまた奈良絵の皿のわらび餅
080 明日植うる田に名月の大きかり
109 肘をつくだけの文机十三夜
123 枝振りの松も出雲や鳥ぐもり
126 冷麦や杉のお椀に杉の箸
144 寒夜また聴くカザルスの鳥の歌
146 梅林やゆつくり移る雲の影
148 はるかより花の散り込む吉野窓
150 市振の消印のある夏見舞
153 いにしへのわれに会ひけり兜虫
154 つなぐ手のまだ短くて稲の花

 全体を通して、自然のモノやコトをたしかな気付きを以って丁寧に写生・描写している。平明であるが、平凡ではない。年季の入った力量を感じさせる句集であった。もう少し言えば、老病生死の境涯句がなく、社会の不条理や戦争・テロを読む句もない。艶物・エロス・滑稽をモチーフにした句もない。この句集の主体は、日常や旅から得た感受を、これみよがしにでなく、淡々と、しかし適度な感動を籠めて詠んでいる作品たちである。
 筆者(=栗林)のまわりに、このような実力を持った俳句愛好家を発見したことはうれしいことである。

 少し、駄文を労そう。

009 この小さき山に名のあり年迎ふ
 何のことはない。よくありそうな句である。しかし、筆者(=栗林)は恩曾川さんの住まいの辺りの小さな山を思いながら、そのような里で平寧な新年を迎えることのできる喜びをうたったものと感じ取って、佳句であると思っている。この小さな山や多分小さいであろう近所の恩曾川への愛着といい、作者の風土愛を感じるのである。
 一つ蛇足を書く。この句から鈴木石夫の〈裏山に名前がなくて裏の山〉を思い出した。この句は無季句であって何となく人をおちょくった諧謔がある。まさに俳諧である。一方、恩曾川さんのは端正すぎるほどのしっかりした句である。

035 秋めくや男点前の井戸茶碗
 作者は趣味の広い方と見受ける。カザルスにはじまる音楽通、絵画もなされると聞くし、この句からは茶道に詳しいらしい。「井戸茶碗」が気に入った。高麗産の高価な茶器と聞く。この辺りに作者のセンスが隠されている。

041 手のとどく辺りを逸れて朴落葉
 落ち葉のころ朴の木のそばを歩くとこんな景はよくある。ふと落ちて来る大きな一葉を掴もうとする。だが、不思議に朴の葉はすり抜けてゆくのである。良くある景なのだが、こう詠まれると感服する。

064 南座のすでに灯りぬ川床涼み
076 これはまた奈良絵の皿のわらび餅
148 はるかより花の散り込む吉野窓
 旅吟を三つ並べた。064鴨川べりに川床料理屋がある。そこから川向うに南座が見える。風流で羨ましい場面である。076作者は骨董にも目がおありの様だ(井戸茶碗といい)。ところでこの句、手柄は「これはまた」にあろう。この上五は良い意味での古い宗匠俳句的で俳諧の味がある。なかなか使えない。脱帽。148も旅の句。「吉野窓」は完全に開いたときに丸く見える窓。いつもは障子が入っている。だが筆者は「はるか」とあるから、やはり花どきの吉野山を思いたい。上千本の桜の花びらが風に乗って下千本あたりまで降って来て、宿の丸窓から入って来る。そう思いたい。風流ですなあ。

150 市振の消印のある夏見舞
 友人から暑中見舞いが届いた。旅先から投函したと分かる「市振の消印」が眼目。芭蕉が〈一家に遊女も寝たり萩と月〉と詠ったところである。今、ここに郵便局があるのだろうか、と細かいことが気になったので調べると、小さな局があった。糸魚川市大字市振803-4とある。友人は俳句仲間なのであろう。市振の消印が欲しかった気持ちが分かる。

154 つなぐ手のまだ短くて稲の花
「稲の花」の句は沢山ある。筆者の好き句は、田中裕明の〈空へ行く階段はなし稲の花〉であり、これより少し前に読まれたと思われる高野ムツオの〈空へ上る階段のあり麦の春〉を同時に思い出した。この似通った二つの句は「虚」の世界を思いながら詠っている。しかし、154の句は、頑是ない子の手を引きながらあぜ道を歩いているという現実を読んでいる。しかも、現実だけでなく、子の成長を思いながら、地に足付けて歩く親子を思わせるのである。

宮田應孝句集『空の涯』

 宮田應孝(まさたか)さんは小沢實主宰の「澤」の創刊(平成10年)からのメンバーで、24年からは、縁あって星野髙士主宰の「玉藻」にも属しておられる。その第二句集である(令和元年11月30日、ふらんす堂刊行)。序文は小澤主宰が、栞は星野主宰が書かれている。


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 自選十句は次の通り。

  新涼や無役の名刺刷り上る
  十六夜や全島石油備蓄基地
  風船の溜りをるなり空の涯
  妻煎餅派われ羊羹派冬ごもり
  配布資料三枚綴(とぢ)や団扇に代へ
  豊の秋山河を汚したるわれら
  種馬の魔羅消毒す刷子(ブラシ)もて
  焼夷弾降る満開の夜桜に
  兄の名に命(みこと)付けたり流燈会
  屠殺吏の右手に電極梅雨の冷

 筆者(=栗林)の共感句は次の通り。

021 姉いもとしやべり通しに墓洗ふ
022 楽人の笙温めをる火桶かな
023 あづけくるししむらやはし桃の花
023 剪定の木口あらはや古書の町
035 アウシュビッツ錆びし線路や草の花
036 眼の前を蛇飛んで行く野分かな
038 風船の溜りをるなり空の涯
038 春宵一刻抜かんかなマルゴーの赤
039 指揮棒の握りにコルク若葉風
041 万巻の古書匂ふなり夏館
049 鰭酒にをんな寄り目となりにけり
052 バイエルを聴けば啼く犬桃の花
052 梅雨寒や遺灰にペースメーカーも
056 冬晴や糞落としたる等外馬
068 飯櫃の箍のあかがね冬ぬくし
068 叩きつけ握る赤貝燗熱き
069 バスの窓たたき別れや春隣
077 名古屋晴関ヶ原雪京都晴
088 少女らにけものの匂ひ春夕焼
094 紀州髭白久賀寿(ひげしろひさかず)氏より年賀状
110 里芋の六角剥きや白磁鉢
128 椅子に浅掛け夏帯の女来て
129 水路にもカーブミラーや花菖蒲
137 臨月の喪主焼香すハンカチ置き
139  次兄戦死広報
    七月十日頭部貫通銃創ニテ戦死
140 ボジョレヌーボーに枝付きの干葡萄
144  南仏、聖母出現伝説の地
    ルルドなり聖泉満たすポリタンク
150 授乳せり頭(づ)にサングラスずり上げて
155 初夢のわれ雄鶏ぞ雌百羽
157 人の字に畳立て干す土用かな

 句集『空の涯』は、作者の豊かな実生活を背景に、鋭い観察力を働かせながら、体験したもの、見たものをベースに、艶っぽさを、グルメらしさを、またあるときは諧謔を、ペーソスを、粋な美的感覚を……縦横に発揮した作品の集合である。若くして戦死した兄の句はあるものの、自他の老病生死や境涯は詠まない。海外詠が多いのも特徴かもしれない。
 重たいテーマやモチーフであっても、〈035 アウシュビッツ錆びし線路や草の花〉では「草の花」で救われ、〈052 梅雨寒や遺灰にペースメーカーも〉では、見過ごしそうな発見に驚かされる。〈137 臨月の喪主焼香すハンカチ置き〉では、物語性よりも黒い喪服と白いハンカチを提示することで、読者に哀しみの中の美しさを感じさせる。

 グルメと書いたが、宮田さんはかなりの美食家であることが、次の句から読み取れる。
038 春宵一刻抜かんかなマルゴーの赤
068 叩きつけ握る赤貝燗熱き
140 ボジョレヌーボーに枝付きの干葡萄
 マルゴーの赤は羨ましい。板前がまだ生きている赤貝を剝いて叩きつけ、動いたところを客に見せて素早く握ってくれる。ワインに枝付きの干し葡萄が意外に合うのも事実である。

 見過ごしそうな場面を、写生をもとに一句にしたものには、次のような佳句がある。
022 楽人の笙温めをる火桶かな
039 指揮棒の握りにコルク若葉風
068 飯櫃の箍のあかがね冬ぬくし
110 里芋の六角剥きや白磁鉢
157 人の字に畳立て干す土用かな

 もう一つの特徴は、滑稽さを伴った艶っぽさであろう。
023 あづけくるししむらやはし桃の花
049 鰭酒にをんな寄り目となりにけり
128 椅子に浅掛け夏帯の女来て
155 初夢のわれ雄鶏ぞ雌百羽
 149の「浅掛け」は上手い。それにしても155は羨ましい初夢ではないか。

 写生がベースだと書いたが、中には単なる写生にとどまらずその先を「想い」もって書いた句もある。この句集の表題になった次の句である。「虚実皮膜(きょじつひにく)に真実がある」と、大げさなことまでは言わないが、このような作品がこの句集に厚みを与えていると、筆者(=栗林)は感心している。
038 風船の溜りをるなり空の涯
 
実に楽しい句集である。

森田 廣句集『出雲、うちなるポトスⅡ』

 森田廣さんは出雲をベースに活躍されておられる俳人であり、画家であられる。このたび俳句と画を併載した表題の「句画集」を出された(令和元年12月10日、発行者は増田まさみさんの霧工房、私家本)。

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 氏はこれまで句集を6冊、句画集1冊を出され、島根県展知事賞、自由美術平和賞などを貰われた文化人であられる。その句柄も画風も、正直言って難解なものを含んでいる(私にとっては・・・)。とまれ、豊かな色彩と名状しがたいフォルムが織りなす森田作品世界から、引き込まれそうになる寒色の作品をひとつ再載しよう。

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 俳句作品も難解である。ただし、その中にわりによく分かる句も勿論あった。すべてを読み切れたわけではないが、心に残るものがあれば、「頭」で分からなくとも、「胸」で分かれば、それはそれで成功である。それらの両方を掲げておこう。

息の緒のあそびを問わば蝶吹雪
ぶらんこやキリコの街を汽車が出る
絶海を夢見て草矢草に墜つ
また一人あたまが歩く春の星
打水や時計に時間もどりおり
青味泥人はいつから顔洗う
孕み土偶にふと血の通うあまのがわ
冬帽を目深に父は沖を読む
指切りげんまん媼は海市へ帰りけり
飛びたくない飛魚もとび日が落ちる

 一句目、難解だが「蝶吹雪」なる造語が良かった。二句目、シュールなキリコの幾何学的な町の絵を思い出す。『キリコの街』という写真集もあるようだ。選んだ他の句は、わりに分かりやすい句であったが、それぞれ深い心象が内包されているようだ。 

 森田さん、有難う御座いました。

秦夕美・藤原月彦『夕月譜』

 秦夕美さんも藤原龍一郎さんも知名度の高い方々なので、紹介は省略するが、先日、秦・藤原コンビの一風変わった句集を戴いた(ふらんす堂、令和元年11月11日刊行)。一風変わったという意味は、下の二つの写真で分かって戴けよう。本のサイズは193x193ミリの正方形で、糸綴じの雅な造りである。頁を開いて驚く。各頁に挙げられている俳句の並べ方が凝っているのだ。これも写真にしておこう。


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 少し前に藤原さんから藤原月彦全句集(六花書林、令和元年7月13日)を戴いた。その中に天地ぞろいの、しかもみな12文字で書かれた俳句の、おそらく50句くらいがきちんと並べられて入集されており、その美しさに感銘を覚えたことがある。
 今回の『夕月譜』はお二人でそれを徹底された(なお、句集名はお二人のお名前の一字「夕」「月」に因んでいる)。しかも、ある特定の(例えば「月」の)文字を一句に必ず使い、その「月」を太字に印字し、それが規律ある平面図形を成すように、置かれている。そうなるように句を詠まねばならないのだ。上の写真を見られると一目瞭然である。
 藤原さんが言っている「言葉のサーカス」だと。筆者には「活字のアクロバット的鋳型版」のようにも思える。
 正直言って、これに類する試みは、今までになかった訳ではないが(とくに高柳重信の流れの人々にあったように思う)が、ここまで徹底・精緻ではなかった。
 問題は、一頁に美しすぎるほどに収まった俳句群の一句一句の宜しさをどう読み取るかにあろう。ばらばらに解して、一句の独立性を味わうのも大切だが、それでは何か全体としての大切なものを見落としてしまいそうである。
 14頁の句群だが、「しらげしにはねもぐてふのかたみかな(白芥子に羽もぐ蝶の形見哉)」なる芭蕉句を基調に、「雪」「月」「花」を幾何学的なバランスを決めながら詠み込んでいる。
 お二人での共作が故に、4年かかったそうだが、電子メールのない頃だったから、そのご苦労もよく分かるのである。
 近来、驚愕の句集であった。

永野シン句集『桜蘂』

 永野シンさんの第二句集『桜蘂』を読む機会を得た(令和元年12月12日、朔書房刊行)。彼女は佐藤鬼房時代からの「小熊座」人である。序文は現主宰の高野ムツ氏で、「永野シン俳句には、その重い命題から目をそらすことなく、一途に懸命に生きようとする姿が刻まれている。しかも、亡き人と心を通わせながら。本集は、そうしたひたむきな女性の現在時点の紙の道標である」とある。


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 次の15句は、高野ムツオ主宰の選である。

  月光のほかお断りわが栖
  壺焼のぷくぷくあれが初デート
  落葉松の芽吹き金色父の死後
  一気とは恐ろしきこと散る銀杏
  瓦礫よりすみれたんぽぽ苜蓿
  ブータンへ行こう木の葉の舟に乗り
  だんご虫よわれも必死ぞ草を引く
  手を延べてくれそうな樫初日影
  秋茄子煮ても焼いても独りなり
  春疾風この地捨てざる貌ばかり
  桜蘂踏みて越え来し母の齢
  秋の蛇飛行機雲のように消ゆ
  この世しか知らずに生きて秋夕焼
  鏡には映らぬ病冬座敷
  笑わざる如く笑って唐辛子

 筆者(=栗林)の共感の句は次の通り。(*)は主宰選と重なった。

012 麦の芽にいつしか一寸程の影
015 手熨斗して二月の風をたたみけり
016 鍵もたぬ島のくらしや揚雲雀
017 まだ風を生まぬ蘆の芽児捨川
022 葭切や一人になりたい時がある
027 月光のほかお断りわが栖(*)
029 宇宙との交信柚子の乱反射
029 ペン立てのペンの長短小鳥来る
041 北へ北へ貨車を吐きては山眠る
048 避難所の窓全開につばくらめ
049 地震あとの沈黙の闇梅匂う
049 囀りやからくり時計の扉が開かぬ
052 蛇衣を脱ぎて民話の村を出づ
053 気がつけば夫と居るなり麦の秋
056 児を抱きて月の重さと思いけり
059 ブータンへ行こう木の葉の舟に乗り(*)
066 耕して土喜ばす陽の匂い
070 雁や世帯主とはわがことか
090 十薬や伊達の出城の野面石
092 寡黙ではなくて沈黙桃を剥く
097 綿虫やトランクにある父の国
101 ものの芽や山の音とは風の音
116 春疾風この地捨てざる貌ばかり(*)
126 山々の奥も山なり滴れり
145 無駄な燈を消してひとりの終戦日
158 飯舘の春まだ遅しとんびの輪
166 手も足もはずしたき日の大夕焼

 幾つかを鑑賞しよう。

027 月光のほかお断りわが栖(*)
 シンさんのお住まいの状況は承知していないが、この句から察するに、月を愛でるには好都合なおうちなのであろう。いや、家の構造ではなく、建っている場所が、月を見るのに適した静謐な場所なのかもしれない。前がひらけた高台なのであろうか。いやいや、物理的なことでなく、心理的なもの言いに過ぎないのかもしれない。いずれにせよ、「月光のほかは要らない」という宣言は面白い。こんなことを俳句で言った人を知らない。日本の歴史は、太陽よりも月を中心に物事が進んでいた時代がずっと長かった。なにか、いにしえへの憧れにも似た気分を、私に与えてくれた。

059 ブータンへ行こう木の葉の舟に乗り(*)
 いつだったか、ブータン王国の国王夫妻が日本に来られた。それを機に、ブータンが世界一幸せ多い国であることを知り、ファンが増えた。あこがれの地である。筆者も〈ブータンの野の夢ばかり凍蝶は〉という句を詠んだことがある。

116 春疾風この地捨てざる貌ばかり(*)
 東日本大震災のせいであろうか。いや、それ以外の不幸なことであっても、住めば都である。この地を離れようなどと思う人は、近所には誰一人いない。郷土・風土を愛する隣人ばかりである。シンさんのご近所には一目千本の桜の名所があるそうだ。大いに納得。

053 気がつけば夫と居るなり麦の秋
070 雁や世帯主とはわがことか
 ご主人にかかわる句。053は多分、病を得られて久しいご主人との日常のことであろう。時を経てお互いに空気のような存在になっているのだろう。070はそのご主人を亡くされたのちの句。今まで、いろんな書類を出すのに、世帯主とか戸主とかの印をつける必要はなかった。だが、今はいわゆる「世帯主」なんだ、と気が付かされる機会が増えたのである。そのたび、自分の今を認識するのである。

126 山々の奥も山なり滴れり
 この句集の中で、自然詠としては筆者イチオシの一句である。シンさんのお住まいからは蔵王が見えるらしい。この句が蔵王を詠んだものかどうかは分からないが、筆者は勝手にそう決め込んで、滴る山の、たたなずく緑を思っている。気宇壮大な句。

𠮷野秀彦句集『音』

 𠮷野さんの第二句集である(令和元年12月21日、朔出版)。秀彦(しゅうげん)さんは一茶ゆかりの「炎天寺」の住職さんで、「小熊座」同人。帯文には高野ムツオ主宰が「𠮷野秀彦の俳句には、何とも言えない温もりがある」と書いている。


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 高野主宰の選による15句は次の通り。

  隕石の道のり淋し春の夜
  一羽とも二羽とも聞こゆ鴉の子
  羽化をして眠る蟬おり広島忌
  セイロンは涙のかたち夕野分
  新年の息まで吸ってハーモニカ
  地に触れてみな魂魄や春の雪
  明日は無きはらからばかり蛙の子
  我々は根っこなきもの秋出水
  弾薬庫抱く山ありクリスマス
  自転して夜が産まれて春の潮
  霜柱踏めば息する寺領かな
  殺すとは生き残ること冬の鷺
  芽吹くもの汝が名を述べよ大空へ
  石子詰の石の重さや青楓
  冬晴やわが荒魂として尿

 筆者の共感句は次の通り。*印は主宰選と重なったもの。

009 梅早し命はきっと丸いもの
012 被災地の花芽の多き桜かな
038 耳かざり外し大暑の風軽し
040 夜の秋妻は絵本に戻るらし
042 セイロンは涙のかたち夕野分(*)
047 言い訳も笑いもみんな息白し
052 と金にはなれぬ歩ばかり日脚伸ぶ
060 石鎚山の鼓動のごとき紅躑躅
065 我々は根っこなきもの秋出水(*)
071 北風吹くや東京を向く送電線
072 弾薬庫抱く山ありクリスマス(*)
081 水温む水琴窟の音までも
087 身体ごと鳴らす鰐口帰省の子
092 椰子の実のひとつでもあれ冬の浜
100 浄闇の伊勢の海より春の月
111 蟬声の突き刺す中にバスを待つ
115 冷まじや肩甲骨に羽の痕
126 国境は人の書く線鳥帰る
127 春雨や阿弥陀如来の硝子の目
135 蜜吸えば帆布となるや名夏の蝶

幾つかを鑑賞しよう。

042 セイロンは涙のかたち夕野分(*)
 セイロンは、逆三角形のインド亜大陸の南東端の海に浮かぶ島で、現在はスリランカと呼ばれる社会主義国である。紅茶の産地で有名。島のかたちが丸いので、涙粒にも見える。その見立てが気に入って戴いた。「夕野分」なる季語を配したのは、𠮷野さんの独特な感性によるのだろうが、モンスーンによる降雨の多いところであることを考えると、涙と雨の相関からもっと別の季語があったかも知れない。とまれ、下方が丸い島のかたちは、まさに涙である。考え方によっては、インドが零した涙のようにも見て取れる。壮大でかつロマンのある句である。

065 我々は根っこなきもの秋出水(*)
 このところ台風が目立った。広域の洪水が日本の各所で起こった。途上国ならいざ知らず、先進国である日本がまだ治水の面で問題を抱えていることがはっきりした。基礎コンクリートに乗っかっただけの家々はいとも簡単に流された。われわれ人間には根っこがない。人間の営みがつくづく水に弱いことを知らされた。どっしりと根を張った暮らしをしたいものである・・・そうこの句は言っている。

071 北風吹くや東京を向く送電線
 東京一極集中主義への警鐘であろう。原発を含む大規模発電所からの送電線は大量消費地である東京に向かって敷かれている。むかし、原発は安全だと主張し、東京都内立地を主張した電力会社の専門家がいた(のち左遷されたが・・・)。だからこの句は、一種の新社会性俳句である。

072 弾薬庫抱く山ありクリスマス(*)
 この句に初めてであったとき、筆者(=栗林)は、ヨーロッパの古い都市国家を思った。都市を取り囲む城壁の内側に武器庫があって、観光スポットにもなっている(例えばプラハなど)。しかし、「山」とあるので違うかなとも思っていたが、この句の2句あとに、「横須賀」が出て来るので、横須賀基地なのかもしれない。とまれ、「弾薬庫」と平和の象徴である「クリスマス」が同居している今日の様相を詠んだ句で、これも新社会性俳句として味わうことができる。

115 冷まじや肩甲骨に羽の痕
 人間は二足歩行ができるようになって手が自由になり、道具を使ってモノを作り、発展してきた。しかし、羽根は持てなかった。ペガソスのように、四つ足でかつ羽根があったなら、別の歴史が展開されたのであろうが、手が働き過ぎたので、羽根が退化したのかもしれない。その痕が「肩甲骨」である。進化の長い歴史を考えると、羽根を失ったことは「冷まじい」ことなのだという。同感である。そう考えると、この句は獣から人類が進化してきたことを、わずか17音で言い表したと言える。大変な一句である。

俳誌「むじな」から

「むじな」二〇一九を読む機会を得た。東北に所縁のある若者たちが発行している俳誌である(令和元年十一月二十四日発行)。以前から注目していたので、全メンバーの作品をゆっくり読ませて戴き、各十句から一句づつを抽かせていただいた。エールを籠めて下記に掲げる。


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しやぼんの香ふはりと残り雪女     浅川芳直
ただ空へ空へ触れたしひきがえる    有川周志
巣立鳥玉水愛でること覚ゆ      一関なつみ
吸ひさしの煙草に見せてやる木槿    岩瀬花恵
蒋介石まもる衛兵風死せり    うにがわえりも
月天心湖心に戻る魚の影       及川真梨子
少年の足首しろく草の息        工藤 吹
アロハ着たひとがアロハの顔になる   工藤玲音
浮きしづむ園児らの帽大花野    ささきまきこ
着ぐるみにバレンタインのチョコ貰ふ  漣波瑠斗
赤子泣く満月の表面張力        佐藤友望
氷菓すくう君の鎖骨のややへこむ    佐藤 幸
ジョバンニの袖に水洟ぬぐう跡     佐藤里香
天心が夢見し浦の春の空        島貫 悟
ペット大処分セールや風車      菅原はなめ
草の花原付だけど二人乗り       杉山一朗
葡萄からすれば人など皆孤独      須藤 結
冬ともし会釈に揺るる鍵の束      相馬京菜
青信号潤みて夏の夜となりし      高橋 綾
冬夕焼指名手配書見て帰る       谷村行海
王国に繋がっている霜柱        千倉由穂
始祖鳥の化石しずかに熱帯夜     茶摘屋七丸
クレーン車の建てたるような雲の峰   天満森夫
林檎もぎ手の形から習ひけり      戸澤優子
風船は点々となり結婚式       樋野菜々子
時計ごとのはたらきかたの深雪かな   村上 瑛
母親に晩年のある氷水         吉沢美香
   
中には、二句三句と抜き出したい作品があったが、こらえて一句とした。この「むじな」は、ぜひ長続きして欲しいと願っている。

小西瞬夏句集『一対』

 小西さんの第二句集『一対』(令和元年12月1日、喜怒哀楽書房刊行)を読む機会を得た。小西さんは平成24年に「海程」に入会し、2年後に「海程」新人賞を貰っている。兜太逝去後の「海原」でも、すぐに「海原」賞を授与されるなど、その極めて豊かな表現力を評価されてきた方である。
 喜怒哀楽書房の機関誌(12月10日発行、107号)によれば、小西さんは俳句にとりこになっておられるらしく、それが「たの苦しい」のだと言っておられる。
 筆者(=栗林)が所属する「遊牧」が同じ兜太系列にある縁で、岡山在住の小西さんとは奈良吟行の際にお目にかかったことがある。そのとき、小西さんの吟行句に素晴らしい資質を感じ、以来、ずっと注目して来た作家である。
 該句集の末尾には、中原省五氏の見事で丁寧な解説が載っている。要約すれば「瞬夏の俳句はもの派と言葉派を瞬夏独自のやり方でアウフヘーベンしたものと言いうる」とある。


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 該句集には著者の自選句が表出されていないので、さっそく筆者(=栗林)の好みによる共鳴句を掲げてみる。

007 いちまいは蝶いちまいは光りかな
009 春大根ま白きことは迂闊なり
013 対といふ危ふき形さくらんぼ
032 悲劇終演寒星のよく光る
033 寒紅をぜんぶぬぐつてからの息
034 辻褄のあはぬをとこの着ぶくれる
040 淋しがるかげろふのふがついてきて
043 やはらかき香とぶつかりぬ朧の夜
047 母の夢にときどき紛れ夜光虫
049 白シャツをくぐりて淋し貝釦
051 さうめんや母はときをり水のやう
054 生き延びて秋の金魚の真顔なる
063 月光に指先濡らす仕事かな
065 松ぼつくり蹴つてかなしき足となる
065 どこかで戦ウインドウにアーミージャケッツ
066 マフラーの少年やはらかく捻ぢれ
071 懺悔室より薄氷のとける音
073 髪梳けばどこかで雪の崩るる音
084 黒揚羽累々ピアノ調律師
106 抜殻として春昼の昇降機
112 てふてふを白き凶器として飼へり
112 水蜜桃剝けばみづうみ漣す
115 もう空を飛ばぬ箒と夏帽子
118 鳥の死のごとく白靴干されをり
119 矢印の大空を刺す登山口
119 桃の種小面の口やや開き
121 前髪を切り満月を軽くせり
122 月光の指やはらかく調律師
125 花野来て渇きしからだ沈めけり
127 凍蝶の舌の伸びゆく疲れかな
128 着せ替へ人形白菜を剥がすやう
140 白蝶哭くゆびうつくしき姉の留守
141 初蝶の白の極まる父の恋
144 緑陰や吾を出てゆく吾の影
160 襤褸市の基督と目が合ひにけり

共鳴句は多数に及んだが、実は、筆者の好みで「もの派」的、つまり、写生的であってリアルな映像が立ち上がるものを優先的に選んだような気がする。これらは、どちらかと言えば、伝統俳句的な範疇に属するものである。
 しかし、彼女の作品の魅力は、中原氏が言う「ことば派」的な作品であって、やや難解な作品群の中にある。それらには、筆者の読解力がついて行けないものがあり、筆者はそれらを誤読したくないがため、避けた傾向がある。もちろん、理知的に読解できなくても、何かを感じさせる作品は、大いに賛成である。「虚」を詠んでも「詩的な虚」であればよろしいのである。瞬夏俳句は、むしろその辺に魅力がある。中原氏のいう「もの派と言葉派のアウフヘーベン」なのであろう。

 少し鑑賞しよう。

066 マフラーの少年やはらかく捻ぢれ
 この句を最初に挙げたのは、彼女の作句工房の一端をのぞきたいからである。普通の作家なら〈少年のマフラーやはらかく捻じれ〉と書く。これでは「もの派」的なまじめな写生句であって、面白くない。「少年」と「マフラー」という言葉を入れ替えた。そこに詩が生まれた。もの写生派から言葉派に移行して「詩」が立った、とも言えそうである。

 ものの写生から脱却する試みは、身体感覚を表出するときに、通常は、わりにたやすく出来るようだ。例えば次の句群である。

121 前髪を切り満月を軽くせり
127 凍蝶の舌の伸びゆく疲れかな
 前髪を切ったとき満月が軽くなったような感じ、凍蝶の舌が伸びるとき(そんなことは「虚」なのだが)作者が感じる疲労感覚、これらの「身体感覚」を詠んだ作品は、もの写生俳句から感覚俳句の世界への移行を可能ならしめ、さらには「想念」優先の世界を詠むことに繋がっていく。

144 緑陰や吾を出てゆく吾の影
「感覚」優先の句の代表である。「緑陰」に入ると自分の影が消えた。それを「影が自分の肉体を離れて行った」と感じ、そう描写した。もちろん写生の味も残っている。
 
040 淋しがるかげろふのふがついてきて
 これは言葉派的な句の代表であろう。かげろふの「ふ」がそう言っている。

 筆者自身が「もの写生派的」な詠み方を好んでいるので、思うのかもしれないが、瞬夏さんのベースはやはり「もの写生」であろう。

032 悲劇終演寒星のよく光る
106 抜殻として春昼の昇降機
118 鳥の死のごとく白靴干されをり
119 矢印の大空を刺す登山口
128 着せ替へ人形白菜を剥がすやう
160 襤褸市の基督と目が合ひにけり

そう言っても、彼女の魅力はやはり境のあいまいな「実と虚」併存の世界であろう。

071 懺悔室より薄氷のとける音
「うすらい」がとけるとき、普通は音を立てない。だが、彼女の「虚」の世界では音が聞こえてくる。「懺悔室」であるが故、なおのこと、ありそうだと思わされる。

 興味を持って読ませて戴きました。有難う御座いました。

伊丹三樹彦さんの人形

 三樹彦さんがこの9月21日に亡くなられた。あと数ケ月で百歳であった。その句業は広く知られているところだが、この12月に東京でも「偲ぶ会」が開かれた。筆者(=栗林)も、三樹彦先生に大変お世話になったので、参加させて戴いた。
 筆者が『昭和・平成を詠んで』と題して、先達の著名俳人を取材し、その作品と人と時代背景を浮き彫りにすべく一書を計画し、上木した。そのお客様のお一人が伊丹三樹彦さんであった(該著には、金原まさ子、金子兜太、小原啄葉や現俳人協会会長の大串章さんや池田澄子さんらが描かれている)。
 三樹彦さんへの取材は、それ以前をも含めて3,4回になっている。都度、南塚口の駅そばのお住まいをお訪ねしたものだった。公子夫人も、始めのころはご健在だった。マンシヨンの3階のお部屋を訪ねると、玄関に大きめの人形が飾ってあった。


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 ご覧のように三樹彦さんそっくりである。
 筆者はこの人形をはっきりと覚えており、三樹彦さんを思うとき、いつも脳裏に浮かぶのであった。東京の「偲ぶ会」でもこの人形にまた会えるのかなあと、すこし期待して出かけた。でも、結構大きい人形なので、東京までは持って来られなかったようで、お会いできなかった。でも、あまりにも懐かしいので、ご挨拶のとき、この人形のことをご長女の伊丹啓子さんにお話しした。すると、この人形を作ってくれた「青群」のメンバーがいるので、と言って、作者を紹介してくれた。なんと、男の方で、鈴木啓造さんとおっしゃる方であった。鈴木さんは、人形作家でもあるらしい。

 その時、啓子さんは、ぽつりと「あの人形は父の柩に入れました。葬儀の日が友引でしたから・・・」と明かして下さった。そばに立っておられた作者の鈴木さんも「それが一番だ」という意味のことを言われた。筆者も、燃えてなくなったのは至極残念だったが、考え方によっては、それが先生への一番の供養だった、と今は思っている。そして、なぜか甘酸っぱい思いに浸っている。

 大峯あきら、金木兜太、伊丹三樹彦と、昭和・平成を詠んでこられた先達が、だんだんと少なくなってきた。

二ノ宮一雄著『檀一雄の俳句の世界』

 二ノ宮さんから該著を戴いた。氏は飯田龍太の「雲母」に学び、後継誌の「白露」(広瀬直人主宰)ではエッセイ賞を受け、平成22年に「架け橋」を創刊し主宰を務めている。活動は俳句の世界にとどまらず、文芸全般におよび、文学者に多くの知己を持っておられる。

 筆者(=栗林)は、檀一雄の〈落日を拾ひに行かむ海の果〉に惹かれていたのだが、その句碑がポルトガルのサンタ・クルスにあることを知って以来、檀一雄の俳句にさらなる興味を持ったのであった。しかし、その全貌は知らなかった。該著はそれに答えてくれるものと、期待して読ませて戴いた。

 内容は、生い立ちにかかわる部分、特に母の出奔という事件の大きさを語り、句集『モガリ笛』を抄録し、多くの文学上の師・友人への一雄の追悼句・挨拶句の紹介とその背景の記述がある。まさに、筆者の興味に応えてくれた好著であった。


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 檀の100句から、筆者が共鳴した句を掲げておこう(数字は該著の頁を示す)。

004 子を捨てんと思へど海の青さかな
012 母と會うてうれしや窓に梨の花
029 潮騒や磯の小貝の狂ふまで
030 モガリ笛いく夜もがらせ花二逢はん
068 初聲の清らに梅の一二輪
069 楊柳の青さやあるじ棲みかはる
071 雨姫と背中あはせのぬくさかな
072 有明や月を透かして酒をつぐ
072 長汀のどこに狂はん稲光
074 寂しさやひとの行くてふ人の道
074 無慙やな吹雪する夜の親の胸

 檀一雄とその俳句を味わいたくなったら、またきっと開く一書である。

仙入麻紀江句集『弖爾乎波』

 仙入さんが第一句集を出された(令和元年十一月二十二日、文學の森刊行)。藤田あけ烏時代からの「草の花」メンバーで、現在は同結社の名和未知男主宰に師事している。俳歴二十七年の方。
 表題は〈弖爾乎波にときの過ぎゆく春の雪〉に因んだ。俳句を推敲する際、よく「弖爾乎波(てにをは)」に悩む。筆者(=栗林)もそうなので、仙入さんが表題に決めたのもよく分かる。序文は名和主宰が書かれた。


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 自選句は次の10句。

  弖爾乎波にときの過ぎゆく春の雪
  南北に生駒山の伸びて地虫出づ
  恋猫の目を患うて一途なる
  二階より我が名呼ばるる瀧見茶屋
  糒の和紙に入りたる重さかな
  ひとまたぎの水に河骨咲きにけり
  山頭火忌過ぎたり西の鴉やあい
  金剛山の水の通草の熟れにけり
  波郷忌の二年ぶりなる師の背丈
  騙し絵に騙されている春隣

 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通り。(*)は自選と重なったもの。

020 恋猫の目を患うて一途なる(*)
021 恋猫の片一方は知つており
025 水つかふひとへ一片春の雪
026 予報士の念押ししたる忘れ霜
029 しづかなり男ふたりの春焚火
032 かほやさし八女の匠の雛人形
033  妹一家
    この家はみな猫好きの春炬燵
038 上りとは違ふ下りの花盛り
039 母の指す都忘れを長く切る
047 涅槃図に猫のをりけり東福寺
058 人の名の出て来ぬ夫と笹粽
059 夏料理どの窓からも淡海見え
061 年のころは父より上のパナマ帽
062 青梅雨の雨の谷の底まで高野山
964 引き寄せて猫の重さの夏布団
066 独り居の男にもらふ青山椒
077 月涼し山の容に山が見え
086 天守より高きところにビール酌む
090 鴨足草父の生家はわが生家
108 秋麗きりんの首に鳥止まり
115 歯並びに少しの自信栗の飯
126 虫の音の戸毎にちがふ帰り道
133 秋深し猫のことばを聞き分けて
142 冬燈うすき乳房の埴輪なる
149  古賀早百合さんを偲ぶ
    さういへばいつも殿冬帽子
163 猫の背の猫背でありぬ年の内

 実に猫好きの方である。名和主宰の序文にもあるが、猫の句が二十句以上あるようだ。筆者は猫好きではないが(嫌いでもない)、面白みがあるので、自然と猫の句を取ってしまったようだ。

020 恋猫の目を患うて一途なる(*)
 愛猫は目を患っているらしい。それでも恋の季節となると、健気に外出をする。恋は盲目と言うが、目の悪いことなどはお構いなしに「一途」である。恋の成就のためには一切が無視される。つつましさや打算などは全くない。猫のような真剣な恋をしたいものでもある。

038 上りとは違ふ下りの花盛り
126 虫の音の戸毎にちがふ帰り道
 似通った二句を鑑賞しよう。一句目、川下りかあるいは電車の旅かと思ったが、この句の前に「花の山」の句があるので、山を登りながら、あるいは下りながら、花を愛でた際の句であると分かった。たしかに、上るときの花と、下るときの花では、眺める角度や視界の広さが違うし、身体の頑張り方も違う。疲れていても下りの方が身体的には楽であり、趣も宜しいのである。
 二句目。行くときは用事があるので心に蟠りがあったのだが、帰りは気分のままにゆっくりと歩く。目や耳に余裕がある。虫の音の聞こえ方が違ってくるのは、時刻のせいもあろうが、聞く人の気分の方が大事。虫の種類はおそらく同じなのであろうが、鳴いている場所の微妙な違いで、音響効果もかわり、訊いている人の余裕度も違うので、行きとは違って聞こえるのである。その違いが分かるのは、作者の感受の繊細さの賜物である。

149  古賀早百合さんを偲ぶ
    さういへばいつも殿冬帽子
 筆者は、通常は、追悼句は戴かない。対象者(古賀さん)を存じ上げないので、つい遠慮してしまうからである。しかし、この句には普遍性がある。この古賀さんという方は、いつもゆっくりと気配りをしながら、殿を歩いてくる人なのであろう。その人が被っている暖かそうな「冬帽子」が見えてくるようである。

077 月涼し山の容に山が見え
163 猫の背の猫背でありぬ年の内
 当たり前のことを堂々と言ってのけた二句の面白さを戴いた。077からは、月下の墨絵のような山容が美しかったに違いない。163は「年の内」が上手かった。人間は何となく気忙しい気分なのに、猫は悠然と伸びをしたりして・・・。

松本てふこ句集『汗の果実』

 松本さんは辻桃子主宰の「童子」の同人。『新撰21』、『超新撰21』、『俳コレ』などで活躍し、平成三十年には第五回芝不器男俳句新人賞中村和弘奨励賞を受賞している。


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 辻桃子主宰の10句選は次の通り。

  吐くものもなくて桜の木の下に
  だんだんと暮色の味となるビール
  明易のされど書かねばならぬこと
  だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる
  八月十五日正午やトイレ待ち
  銀行のソファやはらか爽波の忌
  たたまれしごとてふてふの死んでをり
  清明のすね毛きらきらさせ君は
  夏風邪のひとの物欲しさうな目よ
  堂々と汚れてゐたる網戸かな

 該句集を通読した印象は、作者は稀有な感性の持ち主で、モノやコトを見て得たユニークな感受を平明な言葉で書いている、という感じである。難解句や境涯句はない。したがっておもくれでなく、明るく軽妙である。昭和五十六年のお生まれと知り、納得である。

 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通り。(*)印は自選と重なったもの。

008 おつぱいを三百並べ卒業式
013 ごみとなるまでしばらくは落椿
016 花は葉にまたねとうまく笑はねば
022 脚細きをとこが吹くよ祭笛
022 だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる(*)
023 牛居らぬ牛舎に向けて扇風機
024 夕立のびたびたびたと降りはじむ
025 台風が来るぞ来るぞとマトリョーシカ
027 臨月の腹はみ出して秋日傘
028 蜻蛉は砂丘に触れぬやうに飛ぶ
036 問ひかける言葉ばかりの賀状書く
047 それにしてもと泰山木の花のこと
049 常夏や機体に太きアラブ文字
055 蜻蛉の翅は映らず池の面
058 秋蟬に時々足をくづしけり
066 アマデウス忌の落ちさうなシャンデリア
081 春風はポリエステルの軽さなり
095 のつぺらばうなんと涼しき貌であり
098 夏風邪のひとの物欲しさうな目よ(*)
123 白靴のはづかしきほどおろしたて
138 山に来て金木犀の香りとは

 幾つかを鑑賞しよう。

022 だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる(*)
 この句集にまとまる前にどこかの雑誌でお目にかかった記憶がある。女性作家であることで、とくに印象が強かった。この一句前に〈022 脚細きをとこが吹くよ祭笛〉という、対象をよく見て書いた一句がある。おなじ「だんじり」の場面かも知れないが、一方で掲句は、山車の天辺の白い半又引き姿の威勢の良い男を詠んだ。筆者にとってはイチオシの句。

098 夏風邪のひとの物欲しさうな目よ(*)
 夏風邪をひいている人の周りで、何か楽しいことがあるのであろう。風邪ゆえに、それに参加できない人の羨ましそうな表情が見えるようである。「夏風邪」の「夏」が効いている。

027 臨月の腹はみ出して秋日傘
 筆者(=栗林)が南アメリカのある国にいたとき、現地の女性が大きなおなかをむき出しにして炎天下を闊歩していたのには驚いた。おなかにはタットゥーがいれてあった。それと比べると、この句はまだまだ日本らしい奥ゆかしさがある。

049 常夏や機体に太きアラブ文字
  すぐに飯島晴子の〈旅客機閉す秋風のアラブ服が最後〉を思い出した。アラビア文字もアラブ服も、見た者をすぐに異国へと誘ってくれる効果がある。筆者がしばらく滞在かしたタイでも、文字が全く読めなかった。ABCのアルファベットにお目にかかると、ほっとしたものである。だから、日本文字を目にすると、ますます安堵感をもらえる。この句は、少し個人的に過ぎたが、いろいろなことを、筆者に思い出させてくれた。多謝。

066 アマデウス忌の落ちさうなシャンデリア
「アマデウス忌」を始めて俳句でお目にかかった。大きなシャンデリアを「落ちそう」と詠んだのも頷ける。宮廷舞踏会の景。松本さんのチャレンジ精神に感銘。

 楽しい句集を有難う御座いました。

山崎十生句集『未知の国』

 山崎さん(「紫」主宰)が句集『未知の国』を上梓された(令和元年十一月二十五日、文學の森刊行)。実に十冊目の句集である。氏は俳壇で大活躍されておられ、著書も数多い。現代俳句協会理事などの要職を務めておられる。
 代表句の一つに〈春の地震などと気取るな原発忌〉があり、人口に膾炙している。

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自選句は次の十句。

  ダージリンティ―毎日が原発忌
  糸偏はおほかた怖し冴返る
  被災地といつまで呼ぶな蘖ゆる
  汗だくになり脈拍を取っている
  衣紋竹だけ吊るされてありし部屋
  瓦礫六年蟹の泡ぷくぷく
  行脚には違ひなきかな流れ星
  どちらでも良いは許せぬ草の花
  原発の恩恵何だったのか煮凝
  十二月八日個室が混んでいる

 筆者の共鳴句は次の通り。(*)印の句が自選句と重なった。

013 免疫のない淋しさよ花吹雪
017 被災地といつまで呼ぶな蘖ゆる(*)
027 春宵や岐路はいくつもあり過ぎる
033 苗字なきことの哀しみ昭和の日
039 ゐない人にも新茶淹れ供へけり
044 光るのは産みの苦しみなる螢
045 東北の螢眠りが足りないか
056 手抜きなどなく全山のしたたれり
060 万緑や赤べこ首を振るばかり
064 海の日と雖も海は休みなし
077 十字架のうしろばかりに星流る
078 言い訳は絶対しない流れ星
094 影が身を離れてゆきし霧の中
106 平然と活断層の霜柱
116 志半ばで止んでしまう雪
125 国愛す故の反骨青鮫忌
126 枯れてまでそよぎたくないけどそよぐ
130 手焙りの刑に処さるること愉し

 いくつかを鑑賞しよう。

017 被災地といつまで呼ぶな蘖ゆる(*)
 自選句と重なった句。三・一一から八年たったが、今でもまだ復興は道半ばである。だから我々一般人は、該地を「被災地」と括った呼び方をする。しかし、当事者の中には、あるいは、第三者の中にも、いつまでも「被災地」という呼び方は如何なものかと思っておられる人々もおられるであろう。いつまでも特別扱いするべきではないと思うし、特別扱いするにしても、復興の度合いにも、それぞれの事情にも、違いがあるであろう。少なくとも、ひっくるめて「被災地」という呼び方は正しくない、と作者は思っているのであろう。同感である。
 それにしても、この上五中七に対して、つかず離れずの「蘖ゆる」という季語を下五に配合した。「蘖」の意味を勘ぐれば、地からエネルギーを吸収し、若葉が元気よく伸びるものの、結果としては、あまり役に立たず、太い幹になることはない、という意味に受け取ってしまう。言いえているような気がするが、作者の意図はどの辺にあるのだろうか。

033 苗字なきことの哀しみ昭和の日
 むかし、武士階級以下の農・工・商の平民には苗字がなかった。だから、苗字帯刀を許されることは、お家を挙げて祝うべき名誉であった。だが、現在、国民はみな苗字を許されている。そこで下五の「昭和の日」がモノを言い始める。「昭和の日」は当然、昭和天皇や皇室全般への思いを起こさせる。そう言えば、皇族には「苗字」がない。これを作者は「哀しみ」と言った。

045 東北の螢眠りが足りないか
 三・一一の被災地の蛍のことであるが、もちろん、熊本や、広島、最近では南房総や千曲川流域……その他の地の蛍も安眠できなかったであろう。「螢」は暗喩として「人」を意味しているのであろう。

125 国愛す故の反骨青鮫忌
 兜太の忌日を「青鮫忌」と命名したのであろう。「アベ政治を許さない」のプラカードは一世を風靡した。子規・虚子にならぶ俳句の巨人を亡くしたものだと、筆者もつくづくの思いに耽っている。