伊丹三樹彦さんの人形

 三樹彦さんがこの9月21日に亡くなられた。あと数ケ月で百歳であった。その句業は広く知られているところだが、この12月に東京でも「偲ぶ会」が開かれた。筆者(=栗林)も、三樹彦先生に大変お世話になったので、参加させて戴いた。
 筆者が『昭和・平成を詠んで』と題して、先達の著名俳人を取材し、その作品と人と時代背景を浮き彫りにすべく一書を計画し、上木した。そのお客様のお一人が伊丹三樹彦さんであった(該著には、金原まさ子、金子兜太、小原啄葉や現俳人協会会長の大串章さんや池田澄子さんらが描かれている)。
 三樹彦さんへの取材は、それ以前をも含めて3,4回になっている。都度、南塚口の駅そばのお住まいをお訪ねしたものだった。公子夫人も、始めのころはご健在だった。マンシヨンの3階のお部屋を訪ねると、玄関に大きめの人形が飾ってあった。


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 ご覧のように三樹彦さんそっくりである。
 筆者はこの人形をはっきりと覚えており、三樹彦さんを思うとき、いつも脳裏に浮かぶのであった。東京の「偲ぶ会」でもこの人形にまた会えるのかなあと、すこし期待して出かけた。でも、結構大きい人形なので、東京までは持って来られなかったようで、お会いできなかった。でも、あまりにも懐かしいので、ご挨拶のとき、この人形のことをご長女の伊丹啓子さんにお話しした。すると、この人形を作ってくれた「青群」のメンバーがいるので、と言って、作者を紹介してくれた。なんと、男の方で、鈴木啓造さんとおっしゃる方であった。鈴木さんは、人形作家でもあるらしい。

 その時、啓子さんは、ぽつりと「あの人形は父の柩に入れました。葬儀の日が友引でしたから・・・」と明かして下さった。そばに立っておられた作者の鈴木さんも「それが一番だ」という意味のことを言われた。筆者も、燃えてなくなったのは至極残念だったが、考え方によっては、それが先生への一番の供養だった、と今は思っている。そして、なぜか甘酸っぱい思いに浸っている。

 大峯あきら、金木兜太、伊丹三樹彦と、昭和・平成を詠んでこられた先達が、だんだんと少なくなってきた。

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