小西瞬夏句集『一対』

 小西さんの第二句集『一対』(令和元年12月1日、喜怒哀楽書房刊行)を読む機会を得た。小西さんは平成24年に「海程」に入会し、2年後に「海程」新人賞を貰っている。兜太逝去後の「海原」でも、すぐに「海原」賞を授与されるなど、その極めて豊かな表現力を評価されてきた方である。
 喜怒哀楽書房の機関誌(12月10日発行、107号)によれば、小西さんは俳句にとりこになっておられるらしく、それが「たの苦しい」のだと言っておられる。
 筆者(=栗林)が所属する「遊牧」が同じ兜太系列にある縁で、岡山在住の小西さんとは奈良吟行の際にお目にかかったことがある。そのとき、小西さんの吟行句に素晴らしい資質を感じ、以来、ずっと注目して来た作家である。
 該句集の末尾には、中原省五氏の見事で丁寧な解説が載っている。要約すれば「瞬夏の俳句はもの派と言葉派を瞬夏独自のやり方でアウフヘーベンしたものと言いうる」とある。


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 該句集には著者の自選句が表出されていないので、さっそく筆者(=栗林)の好みによる共鳴句を掲げてみる。

007 いちまいは蝶いちまいは光りかな
009 春大根ま白きことは迂闊なり
013 対といふ危ふき形さくらんぼ
032 悲劇終演寒星のよく光る
033 寒紅をぜんぶぬぐつてからの息
034 辻褄のあはぬをとこの着ぶくれる
040 淋しがるかげろふのふがついてきて
043 やはらかき香とぶつかりぬ朧の夜
047 母の夢にときどき紛れ夜光虫
049 白シャツをくぐりて淋し貝釦
051 さうめんや母はときをり水のやう
054 生き延びて秋の金魚の真顔なる
063 月光に指先濡らす仕事かな
065 松ぼつくり蹴つてかなしき足となる
065 どこかで戦ウインドウにアーミージャケッツ
066 マフラーの少年やはらかく捻ぢれ
071 懺悔室より薄氷のとける音
073 髪梳けばどこかで雪の崩るる音
084 黒揚羽累々ピアノ調律師
106 抜殻として春昼の昇降機
112 てふてふを白き凶器として飼へり
112 水蜜桃剝けばみづうみ漣す
115 もう空を飛ばぬ箒と夏帽子
118 鳥の死のごとく白靴干されをり
119 矢印の大空を刺す登山口
119 桃の種小面の口やや開き
121 前髪を切り満月を軽くせり
122 月光の指やはらかく調律師
125 花野来て渇きしからだ沈めけり
127 凍蝶の舌の伸びゆく疲れかな
128 着せ替へ人形白菜を剥がすやう
140 白蝶哭くゆびうつくしき姉の留守
141 初蝶の白の極まる父の恋
144 緑陰や吾を出てゆく吾の影
160 襤褸市の基督と目が合ひにけり

共鳴句は多数に及んだが、実は、筆者の好みで「もの派」的、つまり、写生的であってリアルな映像が立ち上がるものを優先的に選んだような気がする。これらは、どちらかと言えば、伝統俳句的な範疇に属するものである。
 しかし、彼女の作品の魅力は、中原氏が言う「ことば派」的な作品であって、やや難解な作品群の中にある。それらには、筆者の読解力がついて行けないものがあり、筆者はそれらを誤読したくないがため、避けた傾向がある。もちろん、理知的に読解できなくても、何かを感じさせる作品は、大いに賛成である。「虚」を詠んでも「詩的な虚」であればよろしいのである。瞬夏俳句は、むしろその辺に魅力がある。中原氏のいう「もの派と言葉派のアウフヘーベン」なのであろう。

 少し鑑賞しよう。

066 マフラーの少年やはらかく捻ぢれ
 この句を最初に挙げたのは、彼女の作句工房の一端をのぞきたいからである。普通の作家なら〈少年のマフラーやはらかく捻じれ〉と書く。これでは「もの派」的なまじめな写生句であって、面白くない。「少年」と「マフラー」という言葉を入れ替えた。そこに詩が生まれた。もの写生派から言葉派に移行して「詩」が立った、とも言えそうである。

 ものの写生から脱却する試みは、身体感覚を表出するときに、通常は、わりにたやすく出来るようだ。例えば次の句群である。

121 前髪を切り満月を軽くせり
127 凍蝶の舌の伸びゆく疲れかな
 前髪を切ったとき満月が軽くなったような感じ、凍蝶の舌が伸びるとき(そんなことは「虚」なのだが)作者が感じる疲労感覚、これらの「身体感覚」を詠んだ作品は、もの写生俳句から感覚俳句の世界への移行を可能ならしめ、さらには「想念」優先の世界を詠むことに繋がっていく。

144 緑陰や吾を出てゆく吾の影
「感覚」優先の句の代表である。「緑陰」に入ると自分の影が消えた。それを「影が自分の肉体を離れて行った」と感じ、そう描写した。もちろん写生の味も残っている。
 
040 淋しがるかげろふのふがついてきて
 これは言葉派的な句の代表であろう。かげろふの「ふ」がそう言っている。

 筆者自身が「もの写生派的」な詠み方を好んでいるので、思うのかもしれないが、瞬夏さんのベースはやはり「もの写生」であろう。

032 悲劇終演寒星のよく光る
106 抜殻として春昼の昇降機
118 鳥の死のごとく白靴干されをり
119 矢印の大空を刺す登山口
128 着せ替へ人形白菜を剥がすやう
160 襤褸市の基督と目が合ひにけり

そう言っても、彼女の魅力はやはり境のあいまいな「実と虚」併存の世界であろう。

071 懺悔室より薄氷のとける音
「うすらい」がとけるとき、普通は音を立てない。だが、彼女の「虚」の世界では音が聞こえてくる。「懺悔室」であるが故、なおのこと、ありそうだと思わされる。

 興味を持って読ませて戴きました。有難う御座いました。

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この記事へのコメント

小西瞬夏
2019年12月24日 09:24
栗林さま。さっそくに読んでくださって、丁寧な鑑賞をありがとうございました。解説の中原さんにもお伝えしようと思います。中原さんは岡山が誇る市井の知の巨人。アカデミックな場にはあまりでられませんが、映画、詩、哲学、思想、政治、音楽、俳句、連句、アート、芸術全般に通じた方で、その読書量はすさまじいものです。第一句集に続き、ぜひ中原さんに解説を書いていただきたい、と一年半も待ったかいがありました。栗林さんの作品や評論も、いつもあちこちで拝見し、勉強させていただいています。また、お会いできますことを。よいお年をお迎えください。ありがとうございました。