『廣瀬直人全句集』

 新型コロナウイルス蔓延のニュースが駆け巡っている。昨日は3月3日。分厚い赤いゆうメール便が届いた。開けると、『廣瀬直人全句集』であった。明るい青で統一された装丁で、厚さ5センチの箱入り豪華版である。発行日は2020年3月1日、直人さんの命日だった。発行者は角川文化振興財団、編集者は井上康明、長田群青、齋藤幸三、高室有子の皆さん、特別協力は廣瀬悦哉氏(ご子息)、あとがきは夫人の町子さん。表紙を開くと、直人氏の温顔の写真と、ご自宅前でのご夫妻のスナップ写真が載っている。筆者も2度ほどご自宅を訪ねたことがあるので、懐かしかった。
 帯には、直人さんの傑作が2句挙げられている。
  正月の雪真清水の中に落つ
  空が一枚桃の花桃の花
 筆者にとって、直人さんは、「山」、「雪」、「雲」、「桃の花」を礼賛する風土作家である。もちろん、そこには「母」や「ひと」が住んでいて、時々顔を出すのである。

 該著は、第一句集『帰路』から第六句集『風の空』(蛇笏賞の対象となった句集であった)までと、『風の空』以降の作品、俳論・随筆(飯田蛇笏論、飯田龍太論、福田甲子雄論など)、さらに、著書解題、初句索引、季語別索引からなっている。全730頁を越える大著である。

廣瀬直人全句集.jpg


 筆者(=栗林)が妻(当時「白露」の同人であった)と廣瀬邸を訪ねたとき、山梨県の一宮町のあたりは桃の花が満開であった。茶の間に招かれお茶を戴きながら直人さんは龍太が言っていたこととして「自分たちの流派の句だけでなく、現代風なのも勉強せねば……」と話して下さったこと、そして庭のご自慢の黒松を見せてくれたことを覚えている。筆者がどちらかというと現代俳句派だと見ての、直人さんのお話であったような気がする。

 大著なので簡単に紹介は出来ないのだが、高室さんが解題に各句集のイチオシの句を抜いて下さっているので、ここではそれを紹介しよう。

第一句集『帰路』、昭和47年。「雲母」の新進として蛇笏・龍太の許で編集に携わり、蛇笏死去(昭和37年)後、「雲母」中堅作家と認知されていった時期である。龍太は序文で「直人さん自身の作品には真竹のいろがある。それも真冬の、みずみずしい直立群生した趣がある」と書いて〈枯谷の真竹の月日満ちてをり〉をあげている。
  輝る雲に果樹園の冬定まりぬ    昭和35年以前
  夕暮は雲に埋まり春祭       昭和41年
  枯草にほのと櫟の月明り      昭和43年
  枯谷の真竹の月日満ちてをり    昭和46年
  秋冷の道いつぱいに蔵の影     同

第二句集『日の鳥』、昭和52年。ほとんどが龍太の選を得ている。指導的役割を求められてきた時期である。あとがきには、「年毎に故郷との接触が多くなり、否応なく身辺土着の風物への関心を強めざるを得なかった」としている。
  正月の雪真清水の中に落つ     昭和47年
  稲稔りゆつくり曇る山の国     同
  火の粒のやうに師走の母がゐる   昭和48年
  元日の泳ぎて暮るる川鼠      昭和50年
  葱伏せてその夜大きな月の暈    昭和51年

第三句集『朝の川』、昭和61年。帯文に「著者は、飯田蛇笏以来のタテ句の精神を継承し、甲斐国原の自然を舞台に、壮年期の述志を俳意たしかに言いとめる。清爽の気のあふれる待望の諷詠集」とある。
  大年の嵯峨清涼寺闇に入る     昭和52年
  どこからも川現るる秋の風     昭和54年
  雨音を野の音として夏座敷     昭和56年
  色惜しみつつ夜明けつつ黒葡萄   昭和58年
  郭公や寝にゆく母が襖閉づ     昭和59年

第四句集『遍照』、平成7年。「雲母」が終刊し、自らが主宰する「白露」を創刊した。大きな節目の期間であった。広瀬直人を廣瀬直人に改めた。
  青梅がぽとりと眠つてばかり母   平成5年
  日脚伸ぶ母を躓かせぬやうに    平成6年
  初秋の欅の村と言ふべかり     「雲母」時代
  秋の夜の延べて四肢ある熊の皮   同
  人ごゑに人蹤ついてゆく春の闇   同

第五句集『矢竹』、平成14年。「産土の山国に住みなして七十年、その豊かな自然と暮らしをみつめいつくしみつづけた歳月をあらためて自問する豊潤・静謐の第五句集」とあり、あとがきには「集名は、生まれ育って現在に至っている〈矢作〉という集落の名に因んで」とある。
  山国にがらんと住みて年用意    平成7年
  葡萄剪る思ひつめたる早さなり   平成8年
  涅槃会の大鯉にして風のごと    平成10年
  てのひらに日照り三日の桃の紅   平成13年
  冬来るぞ冬来るぞとて甲斐の鳶   平成13年

第六句集『風の空』、平成20年。蛇笏賞に輝いた句集。龍太の死、盟友福田甲子雄の死に出会った時期でもある。
  早苗四五本挿すやうに置くやうに  平成14年
    悼 福田甲子雄氏
  ここにまた人立たしめよ春の坂   平成17年
  空が一枚桃の花桃の花       平成19年
    永別―二月二十五日―
  晩春の山があり大きな死あり    同
    偲ぶこころを
  ありありと欅遥けき九月かな    同

『風の空』以後、平成24年まで。解題にはあげられていないので、筆者の独断で10句選ばせて戴いた(数字は掲載頁を示す)。
298  山国の大きな月夜新茶吸ふ     平成20年
309  鳥わつとかぶさる声も初寝覚    平成21年
313  辛夷咲く龍太晴とも言ひつべし   同
       墓参
317  甲子雄日和とて牡丹の緋が挙る   同
343  山ありて山あり余る春祭      平成22年
366  桃の花段差石積み野面積み     平成23年
370  母と来て母の奢りの洗ひ鯉     同
383  一月一日山に鳶雲に鳶       平成24年
383  風呂吹や真つ暗な音山の音     同
386  人ごゑの溜まつて歩く桃の花    同 最後の句

 ほかに、俳論や随筆がある。廣瀬直人研究には欠かすことの出来ぬ書である。

 廣瀬直人は龍太・甲子雄とともに、平成俳壇に足跡を遺した作家である。ここに、筆者が日本現代詩歌文学館の「紀要」に寄稿した「平成俳句を俯瞰して」の龍太・直人・甲子雄に関わる部分を再録しよう。

(引用)
 飯田龍太は立場上このリスト(蛇笏賞受賞者リストのこと、筆者注)にはないが、昭和・平成の俳句史には欠かせない俳人である。多くの名句を詠み、俳壇を牽引し、後輩を育てた。しかしながら、平成四年に俳句を絶っている。したがって、龍太を直接取り上げる代わりに、ここでは、彼が「雲母」を通して育てた二人の平成の(蛇笏賞)俳人に触れておこう。
 福田甲子雄は、龍太に厚く信頼された弟子であった。一誌を持つことはなかったが、主宰でなくて蛇笏賞を授与された数少ない俳人である。甲斐の地にあって、風土を温かく詠む作家であった。
   生誕も死も花冷えの寝間ひとつ   
   稲刈つて鳥入れかはる甲斐の空    
   落鮎のたどり着きたる月の海     
   わが額に師の掌おかるる小春かな
 廣瀬直人も蛇笏・龍太に連なる甲斐の実直な俳人である。平成四年八月、龍太が突然「雲母」終刊を表明したあと、その弟子たちの発表の場として、「白露」を創刊した。会員数も膨大で、俳壇屈指の結社であった。直人の句柄は、有季定型を守り、木綿の肌着のようで、気負いがなく、平明でありつづけた。   
  夕暮は雲に埋まり春祭       
  しみじみと大樹ありけり更衣
  稲稔りゆつくり曇る山の国     
  正月の雪真清水の中に落つ

 飯田蛇笏・龍太の「雲母」の一筋の流れは、平成に入って、廣瀬直人と福田甲子雄の流れとなり、それぞれ「白露」から井上康明の「郭公」と瀧澤和治の「今」へと繋がった。

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