青木亮人氏の栗林浩句集『うさぎの話』評

 青木氏は、近現代俳句研究者で、かつ新進の評論家である(俳人協会の評論賞受賞者)。毎月どこかの俳句総合誌に寄稿されている。最近の著書に『近代俳句の諸相』(2018年8月30日、創風社出版)などがある。愛媛大学准教授でもある。
 その青木さんに筆者の第一句集『うさぎの話』(令和元年6月15日、角川文化振興財団刊行)の評をお願いし、俳句結社「街」(今井聖主宰、令和元年10月号)に寄稿戴いた。その評を抄録し、このブログに掲載させて戴く。


句集うさぎの話.jpg


(抄録)
 (冒頭、青木氏は、10代のころロックバンドやカメラに凝ったが、ものにならず、近現代俳句研究者に収まってからも、俳句評論の面白さに魅了され、俳句の実作に時間を割く余裕がなかった、と書いている。それを受けて)旺盛に評論を執筆する栗林氏が句集を上梓し、それも「俳句評論を書くため、多くの句会に出席し、学習させて戴いている」というのだから憧れる他ない。
  傘立てと杖立てのある花の寺
  海へ向け布団と老人干してある
  屋上の金網越しの桜かな

 日常の一コマを非日常の劇的な瞬間へ強引に変貌させるのではなく、季感を添えて素直に整え、それ以上の捻じれや感慨を無理に籠めようせず、日常のひとときとして言い留める。大仰に歌わず、あえて些事にこだわるのでもない、日常の中の小さなユーモアがさっぱりと示されており……(中略)。
  眼鏡拭く夏うぐひすに耳傾け
  砂時計返へし夜長のダージリン
  うららかや耳掻く時は後ろ足

 家族や友人、またさまざまな人間関係の中での自身の姿というよりも独りで過ごす静かな佇まい、しかもその中での淡い諧謔味漂う風情を探ろうとするかに感じられる。(中略)つまり「私」そのものを読者に知らせるのが目的でなく、「私」の居る周囲や視界に入ったものが淡く不思議でユーモラスであるひとときをフェアな姿勢で看取し、季感や措辞、定型に負担をかけずに写生しようとするのが氏の特徴といえる。
  目と耳を置いて消えたる雪うさぎ
  冷気立つずらり尾鰭のなき鮪
  時計売場の時計の揃ふ十二月

 季感の助けを借りつつ、これら違和感に近い現場の雰囲気を平易に詠もうとする方向性がさらに強まると、次のような磁場が発生し始める。
  影ばかりおつうが鶴でゐるあひだ
  雛も人も納めるときは仰向けに
  湖凍る音だと言ひて灯り消す

 これらの傾向は本句集のいくつかの作風の中でも異質な、暗がりを帯びた断面として世界が立ち上がるかに感じられる。無論、それは句集内における複数の方向性の一つであり、むしろ多様な詠みぶりを試みた営為が句集に感じられること自体、氏が句作を通じて俳句と向き合い、その機微を実感しようとした証左といえよう。そこに氏の俳句に対する誠実さがあり、私はそういった氏の姿勢に憧れる。
  昔からバナナ曲がつてゐて平和                 (抄録終り)

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