アニミズム論―坂口昌弘著『俳句論史のエッセンス』―追補

 先に坂口昌弘さんの著作『俳句論史のエッセンス』の特にアニミズムの部分を抄録し、このブログにアップした(令和2年5月22日)。それに対し、坂口さんから貴重なコメントを戴いた。月に何本もの俳句論の執筆にお忙しいところを、よくも戴けたものと感謝している。さらに、筆者(=栗林)の理解不足を補ってもらえるコメントまで戴けたのは幸いであった。読者の皆様にも、ご参照に供すべく、以下に掲載致します。


坂口俳論エッセンス.jpg


 まず、筆者がところどころに書き込んだ私見にかかわる氏のコメントである。
私見:アニミストとしてはむしろ虚子が先輩であったと筆者は感じている)。
坂口 同じ意見です。該著の36,37頁に、虚子21歳の時の文章がアニミズム的であることに触れています。虚子が21歳ですでに自然に神性・霊性を感じていたことは殆ど指摘されて来ませんでした。しかし虚子はその後自説をあまり語らなくなっています。客観写生を広めたほうが一般大衆に俳句が広がると考えたのではないでしょうか。

 次に、筆者が引用した中沢新一の論
「宇宙をあまねく動いているもの」これをかりに「霊」と呼び、英語では「スピリット」と呼ぶことにしましょう。このスピリットは宇宙の全域に充満して、動き続けている力の流れです。この「動いているもの」が立ち止まるとき、そこに私たちが「存在」と呼んでいるものが現れます(詳しくは5月22日のブログ参照。)
を取り上げたが、これに対し、
坂口 これには該著の290頁の5行目で示したタオイズムの「気」の考えに近いと、私はコメントしています。312頁の芭蕉の章でも「気」について書いています。中沢さんのいう「霊」が「存在」になるということは、荘子のいう「気」が凝って「物」になる考えと同じです。「霊」も「気」も科学でいう「エネルギー」に近いかと思います。気は目に見えないものですが、気が凝ると物・生物になって、目に見えるものになります。
 目に見えるものの中に目に見えない「霊」「気」「魂」を感じることをアニミズムというケースと、目に見えないものが、凝って生命・物となるケースのアニミズムの両方あることをタイラーは例をあげていますので、中沢説はタイラー説の中に含まれています。
 アニミズムは写生と同じように論じる人の数だけの定義・意味があるので、タイラーの原典に戻りましょうということをいいたかっただけです。アニミズムはタイラーが創唱して多くの例をあげて定義したものだから、タイラーの書を読んで、なにか別の説を唱えたいのであれば、「~イズム」として新しく提示すればよいかと思います。タイラーの例にあげたアニミズムとは異なり「私の思うアニミズムは、これこれ」だと別の意見を勝手に述べると、議論が混乱します。写生論のように俳句論がいつも混乱するのは自分勝手な意見を述べるからかと思います。正岡子規は幽霊の俳句を詠むことを写生だといいます。これも一般的に思われている子規の写生論とは異なる定義かと思います。

 さらに坂口さんから私見に対するコメントを戴いてあります。前後のつながりから、容易に理解できるように、多少字句は変えてあります。

私見:無機物を含む万物に魂や神々を単に「認識」するだけでなくそのレベルを超えて「信仰」というレベルまで高められていなければ、アニミストとは言えないと解釈しました)
坂口 (あなたの)私見なので、ぼくがコメントできませんが、ぼくも理科系で、100%の信仰はないのですが、むしろ否定の否定として考えています。神や霊や魂はあるかないか科学的にはわからないが、文学や宗教で、「ないとはいえない」ということを信じています。科学で100%ないとはいえないから、今もアニミズムの句があるのだと思います。
 科学で自然・宇宙の存在の本質を100%理解できないことが、神や魂の存在を思わせてきたのだと考えています。
 もう一つは「祈り」です。多くの人は何かに祈りますがその祈りの対象に神々や仏像があり、その存在をアニミズムとタイラーはいいます。神社やお寺やお墓で祈るのは、なにか不思議なもの、神や祖霊や魂や仏の存在をどこかで思っているのではないかと考えます。
 三輪山のように山を神と思って拝んだり、太陽の日の出や、七夕の日の星に拝んだりする「祈り」の行為がアニミズムとタイラーは言います。
 高野ムツオさんや渡辺誠一郎さんに東日本大震災での祈りの句がありますが、亡き人の霊を思っている句は本質的にはタイラーのいうアニミズムです。亡き人の霊がないのなら鎮魂の必要がないかと思います。死後に何もないのなら、墓もいらないかと、無神論者はいいます。墓に亡き人の魂を感じるから、墓参りはアニミズムの行為とタイラーはいいます。
 お墓参りをするときには、心の中で、両親や親族の記憶と対話をしています。昔の人の記憶というのも、魂の働きと小林秀雄や山本健吉はいいます。魂や神という物理的存在があるのではなく、墓石の存在が、お参りする人の心の中に、今はない過去の人々の面影を生じさせるというその働きが魂・霊というもののようです。亡き親族・友達を詠む俳句は、そういう意味で、鎮魂のアニミズムと言えます。「影」という言葉も本質は霊だと山本健吉はいいます。
(ふたたび私見:よく分かります。墓に父母の魂が宿っていてくれるかもしれないから拝むのであって、考えてみれば、魂が宿っていなくても、お参りすれば自分の気が休まるから、言ってみれば自分の自己満足のために祈っている、というのが筆者の現状であります。それがアニミストだと言われれば、アニミストになるのは閾値が低すぎるのではないでしょうか? 多くの宗教は殉教者を沢山出しました。あるいは、血の滲むような修行・奉仕・喜捨・努力・犠牲のすえ信者となることが通常でした)

 次に、該著に、インドのバラモン教とヒンドゥー教は、神々を信じ、人と動物には魂を認めるのでアニミズム的ではあるが、植物と無機物には魂を認めないとあり、さらに、アニミズムを否定する人も、神々や霊や魂の俳句を詠む限り、アニミストであると論じています。このことに関して
私見:この点で判断すれば、筆者のアニミズム観はバラモン教やヒンドゥー教系に近いのかもしれない)
さらに、アニミズムを信じない人でも魂の句を詠む人はアニミストである、という坂口さんの記述に対して
私見:この意見は筆者にとっては広すぎると思うのですが・・・。本物のアニミストは魂や神々を木や石にも認めるという態度が信仰のレベルまで達していなければならないと思う。正直言うと自分は、信仰のレベルに達していないので、アニミスト予備軍かも知れない)と私見を書きました。これに対し、坂口さんは

坂口 森羅万象のすべてに魂があることがアニミズムではなく、動物に魂があると思うだけでもアニミズムとタイラーは言います。インド人はほとんどヒンズー教ですがアニミズムと言います。何か一つでも自然の中に、神や魂があると感じればそれがアニミズムの例としてタイラーは紹介しています。
 タイラーによれば、本物のアニミズムも偽物のアニミズムもないかと思います。近代的アニミズムも古代的アニミズムも、兜太的アニミズムも汀子的アニミズムもないかと思います。近代人の理性でなにか、枠や制限や基準を設けると古代人のアニマが捉えられなくなるかと思いますし、定義のちがいで、議論が噴出するかと思います。
 古代人の「信仰」と「認識」の違いの定義はわかりません、タイラーは膨大な例を提出しているだけで、世界各地で、神々や魂を考えていた例を多く集めているだけです。ギリシャ人が蝶を魂と思っていたことは、認識なのか、信仰なのかは近代人にはわからないところがあるかと思います。
 太陽を神とした考えも、アマテラスオオミカミとして、太陽がなければ、生命が存在しないから、その太陽の働きを、偉大な神にしたことも、信仰というよりも合理的な認識のところもあります。科学的に考えれば、動物と植物の生命に共通したものとしてDNAがありますが。古代の人は直観的にDNAのようなものを魂と考えたかもしれません。しかし、DNAが発見されたからといって、では、なぜ、いかにして、DNAのようなものが発生したのか、そのDNAの働きと生物の生命とどういう関係・構造になっているのかは、まだまだわからないことがあります。この世のわからないことを人間は神とか霊魂とか呼んできたのかもしれません。

私見:大きな木や石(無機物)に神を感じるのは、分かるが、人間とフレンドリーな存在であることが前提でありやしないか。たとえば山古志村の地震で巨石が婦人と赤子の車を押しつぶした、あの巨石にも神を認めろ、というのは感情的に難しい。たしかに、多くの神の中には邪悪な神もいるのです、と言われればそこまでではある。山は崩れるし川は暴れるし・・・)。
坂口 風邪も風邪神、地震も火山も恐ろしい「神」、邪悪な神も神の中にあります。何でも神と思ったら、古代からそれを神としてきたようです。八百万の神には何でもあります。伊勢神宮にも荒ぶる神が祀られています。善い神と悪い神があり、善い霊と悪い霊があります。
 科学で理解できない、不思議なもの、神秘的なもの、すべてを神や霊魂の働きにしてしまったのがアニミズムかと思います。物そのものではなく、物の働きを神とも呼んでいます。
 ニュートンもアインシュタインも神を信じていますが、キリスト教の神ではなくて、ニュートンの法則やアインシュタインの法則で、宇宙が成立しているということ自体がなぜなのかわからないから神を考えています。神が法則を作ったというよりも、法則で理解できる宇宙そのものが神だという考えです。アインシュタインは、人間のような姿をしたゴッドや、イエス・キリストを神としたり、処女マリアに子を産ませた聖霊や、また聖書に登場する天使やデビル(悪魔)の存在をアニミズムといっています。存在の根源、生命の根源がわからないものを神や霊魂としているのが宗教でありアニミズムだと思います。
 タイラーはとにかく多くの神と霊魂の例を集めて、アニミズムと呼んだだけで、体系のある哲学ではないので、批判されています。
 タイラーは、童話や詩歌文学に、神々や霊・魂がいまだに語られていることを、アニミズムの「残存」と言っています。人間が誕生して以来、人間は神と魂について考え続けてまだ結論がついていないようです。客観的事実として、芭蕉・子規・虚子・龍太・澄雄・兜太等々多くの有名な俳人が神・霊・魂の句を残していることその事実が、俳句とは不思議な文学と思い、多くの俳句論の一つに取り上げたのです。

 以上、坂口昌弘さんのコメントでした。少し、気が休まりました。

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