大石悦子句集『百囀』

 大石悦子さんの第六句集(ふらんす堂、令和二年七月二十七日発行)。氏は十六歳で波郷の「鶴」に入会。六十五年以上の俳句歴の中で、角川俳句賞、桂信子賞、俳人協会賞など多くの賞を受けられている。著作も多い。該句集は平成二十四年からの三五七句からなる。

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 著者の自選15句は次の通り。

天地を束ねし結柳かな
一人居る五日となれば糟湯酒
負暄(ふけん)してうまうま老いぬわれながら
硯北といふみどりさすひとところ
オリオンに一献シリウスと一献
鴛鴦の絢爛と流れゆきたる
根のもの厚く切つたる雑煮かな
春の山とは父もゐき母もゐき
擬態して自切して竹節虫(ななふし)枯る
蕪村忌の青楼の黒框かな
画眉鳥(がびてう)を加へ百囀ととのひぬ
観音の華瓶(けびやう)の春の潮位かな
本売つて知性おとろふ滑莧
美濃に見て近江に踏みぬ春の山
百穂の蒲の噴けるは誄のごとし

 これらの自選句を見た瞬間、その語彙の豊富さに圧倒された。理系育ちの筆者(=栗林)にとっては、難解な言葉が多いのはごく当然なことかもしれない。各頁に一つか二つは難しい言葉があった。覚悟を決めて辞書・季語集・パソコンを傍に置き、挑戦を試みた。
 難解といっても、俳句に二種類がある。頻出度のきわめて少ない言葉が多用されている場合の難解さと、言葉は分かるのだが、その言葉が他の言葉にどう働いているかが分からない句、たとえば攝津幸彦の〈階段を濡らして昼が来てゐたり〉のような句の難しさである。大石さんの句の難しさは、前者である。だから、分からない言葉を丁寧に調べると、眼前にパッと明かりがさすように開けてくる。句の深い意味合いが伝わってくるのである。
 このことは、筆者ゆえの感想であり、大石さんに近い俳句の世界の人々には、古い時代の文化に造詣が深く、関西に特有な土地勘をお持ちであるがゆえに、いともたやすいことなのであろう。とにかく、心して一句一句を読み始めた。
 共感した作品に加え、難解な言葉を探って楽しんだ作品は次のように多数に及んだ。(*)印は自選句と重なったもの。

007 天地を束ねし結柳かな(*)
010 霰酒与しやすきと見られしや
013 負暄(ふけん)してうまうま老いぬわれながら(*)
018 森を出よ五月の蝶となるために
026 安寝(やすい)せむ梟に眼を呉れてやり
029 正月や酒の呉春をはべらせて
032 恋歌の反故に雛を納めけり
033 野宮(ののみや)の春のしぐれにあひにけり
033 花ふぶく仕舞をさらふ子が二人
039 硯北といふみどりさすひとところ(*)
042 乙訓の竹酔日も暮れにけり
043 風干の鰺の助六睨みかな
052 みづうみの風にふくらむ別れ蚊帳
054 茸干す筵の端を重ね敷き
061 あらたまのあらひたてなる海の星
067 夜桜や花の魑魅に逢はむとて
073 母の名を告れば菱の実掴み呉れ
076 あかあかと秋のくちなはさびしいか
078 息長鳥(しながどり)浮かび出でたる千歳橋
079 与らむ離宮の大根配なら
086 狐火を手玉にとつて老いむかな
104 秋の夜の臨書は八一万葉歌
105 黒松に風の出できし良夜かな
106 あをによし奈良に名の木の散る日かな
109 雪の夜の鼠鳴(ねずなき)したる絵蝋燭
120 画眉鳥(がびてう)を加へ百囀ととのひぬ(*)
120 観音の華瓶(けびやう)の春の潮位かな(*)
136 燦々と空ゆく落葉松落葉かな
150 春興や懐紙にうけて鯛の鯛
154 緑さす無着像にも世親にも
157 三島手の自服よろしき夜の秋
158 盆道の刈株(かりばね)にほふ丹波かな
168 乙訓の寒養生の藪行きぬ
180  森賀まりさんに初孫生まる
    裕明もぢいぢとなりぬ蒲の絮
182 百穂の蒲の噴けるは誄のごとし(*)
189 裂織に緋の顕つ佐渡は雪ならむ

 幾つかを鑑賞し、筆者にとって難しかった点を、隠さずに吐露しよう。

007 天地を束ねし結柳かな(*)
 句集『百囀(ひゃくてん)』の冒頭の句。初点前の床の間に飾られる「むすびやなぎ」。それが「天地を束ねる」という表現で、新年の寿ぎの心情がおごそかに辺りをつつんでいる様が表出されている。句集の初句にふさわしい一句。

013 負暄(ふけん)してうまうま老いぬわれながら(*)
「負暄」とは「日向ぼこ」のこと、と注釈が書かれている。意味が分かって気に入った句である。では〈日向ぼこうまうま老いぬわれながら〉でもいいのかと思うのだが、そうではない。「暄」という字には日ざしがあまねく行き渡る時間の経過がうかがえる。「負暄」は生半可な「日向ぼこ」ではないことを示している。

039 硯北といふみどりさすひとところ(*)
 この句もしかり。「机下」と同じように、手紙のあて名の下に書く敬称語「硯北」は、南に向いている文机の硯のこちら側、つまり北に座った状態を表し、したがって「みどりさすひとところ」が浮き彫りになってくる仕掛けである。

120 画眉鳥(がびてう)を加へ百囀ととのひぬ(*)
「画眉鳥」は鳴き声が良いことで知られている鳥。外来種でいろいろな鳥の鳴声を持っている。手前ごとで恐縮だが、かつて〈囀の一つは迦陵頻伽かな〉という句を作ったことがあるので、この句のモチーフはよく分かる。

120 観音の華瓶(けびやう)の春の潮位かな(*)
「華瓶」はインターネットのお世話になった。浄土真宗を由来とする仏具で、金銅・真鍮製の壺。水を入れ、樒または青木を挿し、香水(こうずい)として使う。左右対称に置くため、二つ一組みで用意するのが一般的。故人ではなく、ご本尊を敬うために供えるもの……とある。ここに「春の潮位」を持ってきた飛躍をどう見るか、読み取る力を試されているような気がした。

182 百穂の蒲の噴けるは誄のごとし(*)
 実は、これには少し悩んでいる。「百穂」の解釈なのだが、単純に「蒲の穂」が沢山ある景を想像すればよいのか、それとも、画家で歌人でもあった平福百穂(ひらふくひゃくすい)のことなのかが、筆者には判断できないのである。同じ悩みが実は〈029 正月や酒の呉春をはべらせて〉にもある。「呉春」という銘酒がある。でもその酒だけに限って読むか、それとも江戸中期の京都の絵師松村呉春を想うべきか……大石さんの句には、どんどんといにしえの背景に向かって展開していく作品が多いので、どこまで深く読むかが読者の愉しみでもあり、難しさでもある。

042 乙訓の竹酔日も暮れにけり
168 乙訓の寒養生の藪行きぬ
 この二句もそうである。「おとくにのちくすいにち」(旧暦五月十三日のこと)の背景には「かぐや姫」の由来が隠れているし、168では牡丹で有名な「乙訓寺」が舞台なのであろう。とにかく、大石さんは語彙が広く、固有名詞もふんだんにお使いになる。「富士山」以外固有名詞は使わなかった高屋窓秋の対極にある。 

 筆者同様、露出度の少ない季語や言葉になれていない読者が、もしおられれば、筆者が理解した大石句の難解語をいくつか挙げて、その奥意に迫ってみようとした過程を書いておこうと思う。上級の俳人の方々には、お読みになる必要はないと思うが……分かってみればなんということはないのだが、句意が深まり背景が開けてくるから楽しくなる。誤りがあるかも知れないが、その場合はご寛恕を。

010 霰酒与しやすきと見られしや
「霰酒」は奈良の名物。味醂に麹または霰餅を入れて熟成させた酒。冬の季語。奈良には何度も行っているが、いままで縁がなかった。残念。今度探してみよう。この句集にはけっこう酒の句が多い。大石さんはお酒をたしなむ方らしい。

026 蹤いて来る犬遠ざけて蟬氷
「蟬氷」は蝉の羽根のように薄い氷。冬の季語。似ているが、薄氷(うすらい)は春の季語。

039 あやめ草結びて夕占(ゆうげ)いたさむか
「夕占」は、夕方街角に立って人に話を聞くことで、吉兆の占いをすること。万葉集に出てくるらしい。

052 みづうみの風にふくらむ別れ蚊帳
「別れ蚊帳」は秋になっても吊ってある蚊帳。

073 椎柴染(しひしばぞめ)の母が年忌の着尺とす
「椎柴染」は喪服を意味するらしい。古歌に出てくる。

074 芒野の風尖り来る能褒野(のぼの)かな
「能褒野」は三重県亀山の古墳や神社のあるところ。日本武尊を祀ってある。

078 息長鳥(しながどり)浮かび出でたる千歳橋
「息長鳥」は「かいつむり」のこと。これも〈かいつむり浮かび出でたる千歳橋〉では、作者にとっては、ダメなのである。息が続く限り長く潜っていたのだから……。千歳橋は京都市左京区の修学院にある橋のようだ。

079 与らむ離宮の大根配なら
 いろいろな寺社で大根を炊いて参詣者に振舞う行事があるようだ。京都の鳴滝、三千院などがインターネットで出てくる。「離宮」が筆者には分からなかったが、八瀬離宮なのかと思ったりしている……。

088 桃咲ける一郡を貫き桃花水
「桃花水」とは、桃の花が咲く頃、春雨や雪解け水で川が増水することがあるが、その現象をいう。

098 白蛾落ち典具帖紙(てんぐでふし)の透きにけり
「典具帖紙」は土佐の上質和紙で、透けている。高知を仁淀川から四万十川にかけて旅したとき、地場産業としての和紙製造が盛んであることを認識した

109 雪の夜の鼠鳴(ねずなき)したる絵蝋燭
「鼠鳴」は、広辞苑には「遊女が客を呼び入れようとするときに出す声」とある。

150 春興や懐紙にうけて鯛の鯛
「鯛の鯛」は鯛の骨の一部で鯛の形をしている部分。縁起物扱いされているとも。「春興」は春の興趣という意味と、俳諧で新年の会席で詠まれた三物(発句・脇句・第三句)とある。前者だけの意味なのだろうか? 

154 緑さす無着像にも世親にも
 インドの高僧の「無着・世親」兄弟。奈良の興福寺北円堂に像がある。ご開帳のときでないと観れないようだ。これも「霰酒」同様、見損なっている。次回はぜひ。

157 三島手の自服よろしき夜の秋
「三島手」は朝鮮の有名な陶磁器。「自服」は薄茶を自分で点てて戴くこと、とある。

158 盆道の刈株(かりばね)にほふ丹波かな
「盆道」はお盆に墓から村までの草を刈り、きれいにした道。「刈株」はその切株。

 もちろん、該句集には難しい句だけでなく、写生句も平明な句もある。

061 あらたまのあらひたてなる海の星
136 燦々と空ゆく落葉松落葉かな
 この二句は写生的な句で、061では「あらひたてなる」に惹かれた。136は、筆者の原風景でもある。北海道の広い畑の端に植わっている防風林は殆どが落葉松である。晩秋ともなると金色にいろづく。一陣の風が吹くと、無数の金色の針が奔って行く。この日はたまたま北キツネに出会った日でもあった。

180  森賀まりさんに初孫生まる
    裕明もぢいぢとなりぬ蒲の絮
 筆者は田中裕明のファンでもある。裕明論を書くため、森賀さんに伺いたかったことがあって、お宅に電話をした際、女のお子さんが応対してくれた(平成二十一年)。そのお子さんが家庭を持たれお子さんをお持ちかと思うと、この句がとても微笑ましく思えるのである。もちろんそれは裕明の人柄を想うからでもある。

 お陰様で随分と勉強になりました。多謝であります。