池田澄子さん読売文学賞受賞を祝して

 池田澄子さんが句集『此処』で読売文学賞を授与された(2021年2月1日の新聞による)。小生は個人的に、池田さんがいつ大きな賞を受けられるかを楽しみしていたので、この度はことのほか嬉しく思った。思えば、5年前の昭和27年12月に、池田さんのご自宅で取材をさせて戴いた。その記事は、多くの俳人への取材記事とともに『昭和・平成を詠んで』として、発刊させて戴いた(書肆アルス、03‐6659-8852)。
 お祝いの思いを込めて、ここにその記事の一部を再掲させて戴きます。

昭和・平成を詠んで.jpg


引用

十六、新しい俳句を志す―池田澄子

 池田澄子 昭和十一年三月二十五日生まれ 平成二十八年末現在 八十歳

一、初めて書いたのは詩―父の死
 人気女流のお一人である池田澄子さんが、何かを書きたい衝動に駆られたのは、父の戦病死がきっかけであり、その表現形式は「詩」であった。彼女の俳論集『休むに似たり』(ふらんす堂)にこんな一文がある。

 初めて詩を書いた。詩のつもりのものを書いたのは敗戦の一年前、国民学校二年生のときだった。父が中支で戦病死した報せを受けた日のことを書いたのだが、最後の二行だけ覚えている。
   わたしもかなしかったが
   お母さまはもっとかなしそう
(中略)その日学校から帰ると、母がまるで睨むような顔付きで私を二階へ引っぱっていった。そして階段を上りきった途端、声を殺して嗚咽しながら「お父ちゃまが死んだの。もう帰って来ないのよ」と言った。その時、私に父の姿がはっきり見えた。それはおかしなことに一枚の写真の父の姿であった。ああそうか、こんな風に人の姿が眼前にはっきり現れることがあるんだなあ、それにしても何故この写真なのだろうと思いながら呆然と突っ立っていた。涙は出なかった。母は念を押すように言った、「戦死しても歎いちゃいけないの。名誉なことと思わなくちゃいけないの。だから泣いたのは内緒」。

二、戦場の近眼鏡
――あの頃は、戦死は名誉なことだと思うように教育されていましたが、身内のことは別だと思っていました。でもお母様がそんなに遠慮されていたと知りますと、当局の感情操作の徹底さに恐怖を感じます。
池田 そうなんです。意外な気持ちがしました。母でさえもそう言うんだって……。中支の漢口の陸軍病院で亡くなりました。チフスだったんです。父は軍医でした。以前に東京で開業していたのは産婦人科と内科の病院でした。母方の叔父も医者で、仲良かった二人は一緒に産婦人科・小児科・内科の病院にしようと話していたようです。叔父は繰上げ卒業で、医者になり、間もなくニューギニア戦線へ行き、そのまま帰って来ませんでした。父は北、叔父は南で亡くなったんです。
 先ほどの話での父の写真ですが、どこで撮ったか分からないような小さなものです。他に、構えたような、大きな、まともな写真があったのに、眼前に現れたのは、それじゃないんです。軍服姿じゃないんです。なぜ、そんな記念すべき写真でないものを思い出したのかが不思議です。父はハンサムでした。軍人の格好を嫌って、軍帽なんかも崩して被っていました。およそ軍人らしい人じゃなかった。ヴァイオリンが好きでよく弾いていました。陸軍病院の院長さんが父の遺品と遺骨を別送して下さったのですが、遺骨は届きませんでした。遺品に三冊の日記がありました。遺骨と日記……どちらか一つと言われると、どうでしょうか、日記でよかったのかなあって……。私は父に候文で手紙を書いたことがあるんです。それで父は「良い子に育っているようだね」って、娘にメロメロだったようです。私も、娘が父をこんなに思っているってことを報せたいのですが、もう決して伝わらないんですよ。それっきりね。永遠にね。
――よいお父さんでしたね。こんな句があります。
    敗戦日またも亡父を内輪褒め      『拝復』179
    母またも亡夫自慢を雨の月
  ところで、
    戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ    『自句自解 ベスト100』162
  という句があります。特定の兵士を詠んだのではないんでしょうが……。発想はお父様の眼鏡から……。
池田 はい。私は、詠む対象は出来るだけ一般化・普遍化して、私性を出さないようにしています。基本的には、俳句で私や身内を知って貰おうという気持ちがないからです。ただ、この場合は、父の眼鏡の小さな写真がイメージにありました。この写真がそれです(と言って見せて下さった。眼鏡を掛けた若い兵士のモノクロの顔写真に〈戦場に近眼鏡……〉の句が添えられている)。テレビ番組で俳句のお話をしたときに使った写真です。ただし、この句からは、「こうやって死んで行ったのは日本兵だけじゃない。相手国の兵士もいたであろうし、彼らの父や母、兄弟姉妹も悲しんだのだ」というところまで読み取って戴けると嬉しいです。父の死は、戦死というものの中の一つです。
――なるほど。迂闊でした。私は、近眼鏡は若者のものですから、青年たちに同情を感じていました。少なくとも「老眼鏡」は飛ばないよなって(笑)……不謹慎でした。池田さんに戦争の句が多いのですが、気が付いたのを上げてみます。亡き父上の句も入れてありますが、実に多いですね。

   雪黒しここは亡父の家路であった
   前ヘススメ前へススミテ還ラザル     『自句自解 ベスト100』124
   八月来る私史に正史の交わりし      『池田澄子百句』103
   忘れちゃえ赤紙神風草むす屍       『池田澄子百句』088
   戦場に永病みはなし天の川         『拝復』027
   溜まった汗のつつつつと満州忌           028
   怠るに似て頭を垂れて敗戦日            028
   土用波どこにどうして英霊は            029
   学徒戦歿させしことあり金色銀杏          116
   兵泳ぎ永久に祖国は波の先             179
   ところどころで戦争ときどき秋立ちぬおり夏落葉
   光ってしまう夏潮英霊忘れ潮
   小島在り亡父のごとく在り月下
池田 ええ、師の三橋敏雄にも多いんです。だから作りやすかった。先生と競争していたような気もします。
――二句目の〈前ヘススメ〉の句は無季ですね。ある伝統俳句系の重鎮がこの句を大変褒めておられました。ご自身も戦争体験がおありだったせいか、「いや、有季でも無季でもいい句はいいんだ」って。
池田 それは嬉しいです。でも、そうですよ。これにね、つまり、戦争俳句にね、花を咲かせたって邪魔ですよ。これは『たましいの話』(角川書店)にありますが、三橋先生は句会のあとで、「うん、これは良い。一般に受け入れられるかどうかは分からんが……」と言って下さいました。句集にするときは、先生はもう亡くなられていました。ですから、天上の先生に「評価してくださる方がいますよ」ってお知らせしたいです。このカタカナ表記はほかの句には使っていません。

三、忘れちゃえ論争
――四句目に〈忘れちゃえ赤紙神風草むす屍〉があります。色々議論があったようですが……。
池田 ええ、ある雑誌で取り上げられました、不謹慎だって。忘れられないから、忘れちゃえって書いたのが真意ですが、文字通り「忘れちゃえ」と読まれて批判されました。言われて見れば言葉としては「忘れちゃえ」って書いてありますからねえ。私自身へ言った言葉なんですが……。でも、作者としては、そのようにストレートに読まれて忌避されることがあるかも知れない、ということを想定内に置いておかねばならなかったと、気付きました。そして、それでも発表するかどうかを考えるべきだったです。言葉で勝負する立場ですから、そこまで考えていないとね。結局は、発表していたでしょうが……。
――「満州忌」と言う句があります。〈溜まった汗のつつつつと満州忌〉です。お父様は漢口の前は満州におられたのですか?
池田 ええそうなんです。「滿州忌」は造語です。敗戦によって満州はなくなったのですよね。父ははじめの頃、満州に征っていました。その頃の満州は豊かでして、私たちが住む家も用意されていましたので一緒に行くことも考えたらしいですが、弟も小さかったし、結局は行かず、父の実家の村上(新潟県)に引っ越しました。もし行っていれば、父は亡くなるし、母は弱かったですし、間違いなく私は戦争孤児ですよ。いや、残留孤児かも。あるいは生きて帰れなかったかも。満州は豊かだったと言いますが、いつころからか「怪しくなって来た」と、父の日記の三冊目の後ろの方に書いてありました、もうすぐ前線に行かねばならないって。そして日記は終っています。
――戦争以外、たとえばテロや震災の句は如何ですか?
池田 震災のときは作れなかったですねえ。どう書いても虚しくってねえ。でも、一句だけ〈春寒の灯を消す思ってます思ってます〉がありますが、悔しかった。書けなかったんです。簡単に図式的には書けるんでしょうが、それやってもしょうがないですよね。なさけなく辛かったです。

引用終り

 記事は、このあと
四 新台所俳句・俳句のような俳句
五 恋の句
六 俳句を書く時の態度
七 師のこと
八 作品の変化
などが続き、「池田澄子私論」も付記してある。
 末尾には小生の共感句が次のように羅列されている。

   敗戦日またも亡父を内輪褒め        
   忘れちゃえ赤紙神風草むす屍        
   戦場に永病みはなし天の川         
   土用波どこにどうして英霊は        
   春寒の灯を消す思ってます思ってます    
   ところどころで戦争ときどき秋立ちぬおり夏落葉          
   小島在り 亡父のごとく在り月下             
   じゃんけんで負けて蛍に生まれたの     
   ピーマン切って中を明るくしてあげた              
   屠蘇散や夫は他人なので好き                  
   青嵐神社があったので拝む                   
   太陽は古くて立派鳥の恋                    
   目覚めるといつも私が居て遺憾                  
   前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル                 
   戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ                   
   本当は逢いたし拝復蝉しぐれ           



 池田さんのますますのご健吟を願っております。

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