中村猛虎句集『紅の挽歌』

 俳人にしては勇ましい名前を持った方の第一句集である(俳句アトラス、令和二年五月九日刊行)。氏は姫路の俳句の会「亜流里」の代表。跋文は「海光」代表で俳句アトラスの林誠司氏。林氏が始めた句会で、初心のはずの中村氏が常勝であったとか。天賦の才がおありだったとか……。

中村猛虎.jpg


  自選十二句は次の通り。

   葬りし人の布団を今日も敷く
   遺骨より白き骨壺冬の星
   少年の何処を切っても草いきれ
   この空の蒼さはどうだ原爆忌
   手鏡を通り抜けたる螢の火
   蛇衣を脱ぐ戦争へ行ってくる
   たましいを集めて春の深海魚
   三月十一日に繋がっている黒電話
   缶蹴りの鬼のままにて卒業す
   水撒けば人の形の終戦日
   心臓の少し壊死して葛湯吹く
   ポケットに妻の骨あり春の虹

 筆者の共感の句は次の通り。(*)印は選が重なったもの。こんなに数多く重なることは滅多にないことである。

013 痙攣の指を零れる秋の砂
017 遺骨より白き骨壺冬の星(*)
017 葬りし人の布団を今日も敷く(*)
018 新涼の死亡診断書に割り印
019 鏡台にウイッグ遺る暮の秋
019 極月や人焼く時の匂いして
025 少年の何処を切っても草いきれ(*)
026 手鏡を通り抜けたる螢の火(*)
028 羅の中より乳房取り出しぬ
030 どこまでが花野どこからが父親
032 右利きの案山子が圧倒的多数
034 斬られ役ずっと見ている秋の空
040 校長の訓示の最中焼芋屋
043 星に触れるために鯨は宙を舞う
044 雪ひとひらひとひら分の水となる
074 原爆忌絵の具混ぜれば黒になる
076 夏雲に押され床屋の客となる
097 夏シャツの少女の胸のチェ・ゲバラ
102 星涼し臓器は左右非対称
103 死にたての君に手向けの西瓜切る
108 桃を剥く背中にたくさんの釦
116 死に場所を探し続ける石鹸玉
130 身の内に活火山あり海鼠切る
131 人間の底に葛湯のようなもの
134 春炬燵脅迫状はカタカナで
143 春は曙女の中の不発弾
148 少年は夏の硝子でできている
158 女から紐の出ていて曼殊沙華

 『紅の挽歌』を戴いたとき、凄い名前の方がどんな句を詠まれるのか、興味津々であった。いつもの習慣で、自選句も、序文(この句集にはないが)も跋文も、あとがきも読まないで、先入観なしに17音のテキストを全部読む。そして驚いた。最初の十数頁の衝撃である。
 最愛の伴侶を若くして失くしておられる。闘病の過程がつぶさに詠まれている。変化する病状に、ある時は期待を膨らませ、ある時は彼女の激痛に心を失う。涙なくしては読めない。
 読んでから考えた。この衝撃的感動はどこから来るのであろうか? まえがきにこうあって、句が続くのだ。

   癌の激痛と闘う妻、医療麻薬でも痛みは治まらない
   「殺して」と口走る妻
   緩和ケアの医師も俺も絶望的に無力だ
   もちろん殺してもやれない
   
   ところが、9月、嘘のように痛みが引き、リハビリ室
   で歩く練習まで始めた
   やっぱり治るんだ(中略)

   だが、容態は急変
   わずか3週間で、動くことができなくなった
   最期は自宅で、と連れ帰った日の明け方、安心し
   たのか、天国に旅立ってしまった
   10月9日午前6時3分、享年55逝く

 並べらえた句はどれもが心を打った。まえがきはかくあるべきと言えるほどの効果を発揮している。筆者(=栗林)はここで、一度前書きを忘れて読み直すことにしてみた。その記憶を完全には払拭できないのだが、前書きがなくとも、俳句の力で迫って来る作品はどれであろうか、と読み返してみた。そして上記の約30句が立ち上がった。中から次の悲しみの6句をあげておこう。

013 痙攣の指を零れる秋の砂
017 遺骨より白き骨壺冬の星(*)
017 葬りし人の布団を今日も敷く(*)
018 新涼の死亡診断書に割り印
019 鏡台にウイッグ遺る暮の秋
019 極月や人焼く時の匂いして

013は、客観写生的な句。「秋の砂」のあはれ。018の「割り印」により立ち上がってくるリアリティ。019の「匂い」の持つ訴える力。前書きがあったせいもあろうが、無くても、一句独立の力が感じられた。

 これは筆者の勝手な論なのだが、俳句ほど写生に不向きな表現形式はない。短すぎるし、季語でもって古典的な香りづけがされるからである。喜びも悲しみも普遍化されてしまうからである。ひょっとすると中村猛虎氏は、この悲しみを、短歌か、詩か、別の表現軽視で書いた方が、独特な作品になったかも知れない、とふと思った。しかし、これは感動のあまりの、筆者の世迷言だったも知れない。

 さて、悲しさを超えて、あとの句を見てみよう。筆者の琴線にふれる句が沢山あるのである。それらは、前書きなしでも、17音のテキストだけで、俳句であるがゆえの、宜しさを伝えてくれるのである。上記の約30句から下記の7句を挙げよう。

028 羅の中より乳房取り出しぬ
030 どこまでが花野どこからが父親
043 星に触れるために鯨は宙を舞う
103 死にたての君に手向けの西瓜切る
108 桃を剥く背中にたくさんの釦
143 春は曙女の中の不発弾
158 女から紐の出ていて曼殊沙華

030は、残された自分は寡夫であると同時に「父親」でもある、という使命感。それとは裏腹な不安感。
028、108、158はエロチシズムを、しかも108と158は直截的でないが故、その奥に怪しげな、しかし、明るい艶を感じさせる。
043は、星に触れなんとして飛び上がる鯨に、ロマンチズムを、
103は、「死にたての」という措辞に籠めた臨場感を、愛惜を以て、
143では、女性性の不可解さを古典的な「春は曙」なる措辞を用いて、韜晦的に表現している。

 作者の多面的な力が発揮された、いかにも刺激的な句集でした。

柏原眠雨句集『花林檎』

 『花林檎』は、柏原眠雨「きたごち」主宰の第五句集(本阿弥書店、令和2年5月1日刊行)である。帯には〈復旧の鉄路に汽笛花林檎〉とあり、この句集の題名ともなった。東日本大震災からの復興の一句である。あとがきに、連衆には「写生」を勧めている、とある。
 氏は、平成28年に『夕雲雀』にて、第五十四回俳人協会賞を授与されており、東北大学名誉教授で哲学者でもあられる。


柏原眠雨句集.jpg


自選十二句は次の通り。

  脱衣婆の片膝立てて春を待つ
  ホチキスの弾籠めてゐる薄暑かな
  香尽きて墓を離るる冬日和
  牛小屋に牛の鼻息成木責
  表紙とれしこども讃美歌染卵
  日和得て海坂藩の松手入
  縁取りの献金袋五旬節
  秋麗を壊して嘉手納基地離陸
  庭に出て石撫で木撫で年新た
  霜柱踏む明珍の墓の前
  復旧の鉄路に汽笛花林檎
  地下街は灯の海十二月八日

 筆者共鳴の句は次の通り。(*)印は自選と重なったものである。

013 山に向き海に向きして麦を踏む
014 朝顔を蒔く主の祈り覚えし子
015 人の住み始めたる町花辛夷
016 清明や知足の鉢に空の青
019 ホチキスの弾籠めてゐる薄暑かな(*)
020 ビール積む貸切りバスのひと座席
022 あめんぼの水輪に雨の水輪の来
026 土手の草半ば刈り終へ一揆村
026 噴水を止めてひと日の仕事終ふ
032 楽天のサヨナラ勝ちの良夜かな
032 烏瓜増やして帰還困難区
037 電柱を犬の嗅ぎゆく十三夜
043 おろしたての石鹸かをる冬至風呂
047 コピー機に忘れ原稿初昔
052 土の色変へつつ田打進みけり
053 学食に下見の母娘大試験
054 韮包む紙面に競馬予想記事
055 人参も犬も赤子も吊し雛
060 墓地抜けてゆく野遊びの五六人
090 畔焼の煙のおよぶ珠算塾
091 風光る川を地下鉄渡りけり
106 草笛の青い山脈跡切れがち
119  北上雑草園
    青邨の靴べら借りて秋惜しむ
124 セーターに編まれて鹿と分かりだす
132 庭に出て石撫で木撫で年新た(*)
133 自転車を通して羽根をつき直す
134 綱曳の人かず減りぬ村は市に
135 塩高く撒く初場所の痩せ力士
138 筆太に書く春闘の妥結額
140 ジャムの瓶洗ひて蝌蚪を持たせけり
141 復旧の鉄路に汽笛花林檎(*)
142 下校児の手に工作の風車
144 補植の足抜いて仕上がる植田かな
147 鳩小屋の庇短し走り梅雨
149 エレベータ水着売場の前で開く
154 沢風の川床(ゆか)吹き抜くる昼餉かな
158  山寺
貸杖の出払つてゐる山の秋
172 俎板を提げてボロ市帰りかな

 一読した印象では、「写生」を勧めている、とあるように、自然と人の交歓を目に見えるように詠っている。大震災にかかわる「帰宅困難区」や「復興」を詠みながら、句集に通底するものは、社会性よりも「写生」に裏打ちされた日常生活の抒情詠であり、ユーモアや宗教心などである。
 いろいろ取り上げたい句は沢山あるが、ここでは「写生」にかかわる議論をしたいと思う。筆者(=栗林)が、いかにも写生が効いていると感銘を受けた5作品を挙げよう。

013 山に向き海に向きして麦を踏む
022 あめんぼの水輪に雨の水輪の来
026 土手の草半ば刈り終へ一揆村
052 土の色変へつつ田打進みけり
144 補植の足抜いて仕上がる植田かな

 もちろんこのほかに沢山あるのだが、この中で特に次の句について述べよう。

026 土手の草半ば刈り終へ一揆村
 高濱虚子の愛弟子で夭逝した人に島村元がいる。彼は「写生」を分かりやすく解説している。少し長くなるが引用しよう。「技巧は詩(俳句)の本体ではない」と述べた後で彼はこう続ける。
  真髄を摑むには「写生」に依り、五官の敏活な働きに依る。初めからうまい表現を探しても駄目である。実例を挙げれば、
   稲妻の下に茂れる草の原
   稲妻や夏草茂る廣野原
 は拙い句である。虚子先生はこんな句は詠まない。次の句はよく観察するということによって得られた技巧なのである。
   稲妻や半ば刈られし草の原
  稲妻と草の原の取り合わせは同じである。だが、「半ば刈られし」の措辞によって断然句が顕って来る。前二句の駄作と比較するまでもない。

  筆者がこの句をイチオシの句として推奨する訳は、実は、上記の理由だけではない。この句が「写生」によって獲得したる技巧としての「半ば刈られし」があるだけでなく、「一揆村」を配することにより、虚子句にはなかった「抒情性」を獲得している、ということがその理由である。氏は写生だけでなく抒情の人なのである。
 
 氏の句に、宗教的な句〈014 朝顔を蒔く主の祈り覚えし子〉やユーモラスな句〈019 ホチキスの弾籠めてゐる薄暑かな(*)〉〈032 楽天のサヨナラ勝ちの良夜かな〉などがあるのも、抒情性の範疇だと、好ましく思い、諾えるのである。

蛇笏賞に思う

 先のブログでもお伝えいたしました通り、第54回蛇笏賞が発表されました。今回は柿本多映さんでしたが、昨年一昨年と、小生が多少の縁を持たせて戴いていた方々が、この蛇笏賞を受けられています。

 第52回蛇笏賞 有馬朗人、友岡子郷
 第53回    大牧 広
 第54回    柿本多映

 実は、いまにして懐かしく思うのは、小生がこれらの方々を取材させて戴き、拙著『昭和・平成を詠んで』(書肆アルス、平成29年9月7日刊行)にまとめたことでした。該著には当時105歳であられた金原まさ子さんはじめ、池田澄子さん、大串章さんを含め18人の先達俳人が取り上げられております。その後、金原さん、金子兜太さん、伊丹三樹彦さん、木田千女さんらがお亡くなりになられ、寂しくなりました。その時のリストを参考までに掲げておきます。また大牧さんが蛇笏賞決定後、授賞式を待たずに亡くなられたことは大変に惜しいことでした。


昭和平成を詠んで.jpg


 昭和・平成を詠んで 登場人物の生年
(年齢順に。年齢は平成28年12月末日現在)

01、金原まさ子      明治44年2月4日生まれ。105歳

02、文挾夫佐恵      大正3年1月23日生まれ。但し、平成26年5月19日逝去、行年100。

03、後藤比奈夫      大正6年4月23日生まれ。99歳。

04、金子兜太       大正8年9月23日生まれ。97歳。

05、伊丹三樹彦      大正9年3月5日生まれ。96歳。

06、小原啄葉       大正10年5月21日生まれ。95歳。

07、勝又星津女      大正12年3月10日生まれ。但し、平成27年10月14日逝去。行年92。

08、木田千女       大正13年2月2日生まれ。92歳

09、橋本美代子      大正14年12月15日生まれ。91歳

10、橋爪鶴麿       昭和2年3月2日生まれ。89歳。

11、依田明倫       昭和3年1月16日生まれ。88歳

12、柿本多映       昭和3年2月10日。88歳。

13、星野 椿       昭和5年2月21日生まれ。86歳。

14、黛 執        昭和5年3月27日生まれ。86歳。

15、有馬朗人       昭和5年9月13日生まれ。86歳。

16、大牧 広       昭和6年4月12日生まれ。85歳

17、友岡子郷       昭和9年9月1日生まれ。82歳。

18、池田澄子       昭和11年3月25日生まれ。80歳。

19、大串 章       昭和12年11月6日生まれ。79歳。

 
 こうして今ふり返りますと、偶然もありましょうが、句業の確かな方々を取り上げてきたものだと、つくづく思います。そして、有馬さん、友岡さん、柿本さんにつづく方々が、上の表に沢山おられるのではなかろうかとすら思っております。

 ここで、小生のブログで取り上げた友岡子郷さん、大牧弘さんの蛇笏賞対象句集についての記事を再録させて戴きます(柿本さんの俳句集成につきましては、この前のブログを参照ください)。


友岡子郷句集『海の音』

友岡子郷海の音.jpg


 友岡子郷さんが句集『海の音』を出された(朔出版、平成29年9月20日)。第11句集である。子郷さんについてはその俳歴をここで紹介するまでもないが、現代俳句協会賞、詩歌文学館賞、みなづき賞などを受けておられ、「青」「ホトトギス」を経て「雲母」に移り、飯田龍太の選を25年間にわたって受けてこられた。帯には〈冬麗の箪笥の中も海の音〉を揚げ、次のように書いている。

  かつて飯田龍太は、友岡子郷をこう評した。
 『子郷さんの作品には、木漏日のような繊さと勁さと、そしてやさしさがある。人知れぬきびしい鍛錬を重ねながら、苦渋のあとを止めな
 いためか。これでは俳句が、おのずから好意を示したくなるのも無理はないと思う』と。

 自選句は次の10句である。

  海の夕陽にも似て桃の浮かびをり
  鈴虫を飼ひ晩節の一つとす
  雄ごころは檣のごと暮れ易し
  手毬唄あとかたもなき生家より
  一月の雲の自浄の白さかな
  龍太句碑笹鳴を待つごとくあり
  真闇経て朝は来るゆりかもめにも
  足音もなく象歩む晩夏かな
  友の訃ははるけき昨日きんぽうげ
  教壇は果てなき道か春の蟬

 筆者(=栗林)は、平成28年3月に子郷さんを明石に訪ね、幼少からの生い立ちと俳歴をつぶさに取材させて戴いた。そのことは拙著『昭和・平成を詠んで―伝えたい俳人の時代と作品』(平成29年9月、書肆アルス刊行)に書かせて戴いた。戦時の悲惨さ、疎開や母との別れ、龍太先生の励まし、阪神淡路大震災、東日本大震災、畏友との永別などなど、お話の内容は重たいものであった。それらの記憶と句集中の一句一句が重なるようである。龍太の評でも分かるように、子郷さんの句は読んでいて快い。快い句というのはある種の哀しさや寂しさが隠れていて、その部分に読者は共振できるからであろう。
 こんな言葉がある。「いい歌を読んでいると快い。その快さのなかには、たまらないような悲しさがあるし、寂しさがある、うれしさは少ない。悲しさとか寂しさというものでの共振は強い」(中西寛子)。

筆者(=栗林)の共鳴・共振句を掲げよう。(*)印は子郷さんの自選と重なったもの。
 
007 病身やすみれはすみれいろに咲き
009 雲に触れむと首のばす春の馬
011 空の奥にも空ありて五月の木
020 かなかなや同い年なる被爆の死
022 鈴虫を飼ひ晩節の一つとす(*)
023 いつまでのふたりか紫苑咲きにけり
025 一輪のごとく鷺立つ秋彼岸
027 陽をはじきつつ石橋に石たたき
028 歩みのろくなりたる象も落葉どき
035 手毬唄あとかたもなき生家より(*)
036 どの波も春の瞬き乳母車
036 浜石のどれもまどかに南吉忌
038 亡き友に風の吹きくるうまごやし
039 あをぞらになほ青足せと石鹸玉
039 野ぼたんに雨ふる孤りごころかな
046 桔梗やひとり欠ければ孤りの家
049 文手渡すやうに寄せくる小春波
054 龍太句碑笹鳴を待つごとくあり(*)
063 揚げ窓に馬の目並ぶ白雨かな
066 足音もなく象歩む晩夏かな(*)
067 竹の物差に母の名夜の秋
071 梨青し早世強ひし世のありし
083 歳ごとに涙もろくて春の雁
084 永き日や船の別れのそのあとも
084 どの家の灯にも人影鰆どき
089 たれかれと別れし絵茣蓙伸べにけり
091  夭折なれば
    母を知らねば美しきいなびかり
092 死に泪せしほど枇杷の花の数
094 冬耕と遠会釈せしのみの日か
103 月明の蓬の風呂を立てにけり
105 鳶の輪のひろやかな日の白子干
108 波一つまた波ひとつ桜貝
111 浜防風ひと日の疲れ夕日にも
126 小屋入れの馬らに小雪また小雪
126 わが齢白山茶花の咲きこぼれ
133 冬麗の箪笥の中も海の音

 子郷さんは83歳を越えられた。お目にかかったときはおみ足が少し弱られていたが、勿論、お元気であった。その時に伺ったことで印象に残っていることの一つは、〈跳箱の突き手」一瞬冬が来る〉についてであった。この句は、教科書にも載り、人口に膾炙していて、代表句だと言われているが、子郷さんは「あの若さでもう代表句だなんて! もう俳句生命がみえたようなもの」などとは思いたくないと考え、不断の努力をされたのであった。「なにしろ若い時に、ふっとできた句でしたから……」と。
 もう一つ印象的だったのは、〈092 死に泪せしほど枇杷の花の数〉であった。「この頃訃報が多いのです」と言っておられた。この句集『海の音』は、老病死がメインのモチーフであるともいえる。つまり、

007 病身やすみれはすみれいろに咲き
022 鈴虫を飼ひ晩節の一つとす(*)
023 いつまでのふたりか紫苑咲きにけり
038 亡き友に風の吹きくるうまごやし
046 桔梗やひとり欠ければ孤りの家
083 歳ごとに涙もろくて春の雁
084 永き日や船の別れのそのあとも
089 たれかれと別れし絵茣蓙伸べにけり
092 死に泪せしほど枇杷の花の数
126 わが齢白山茶花の咲きこぼれ

などである。余計な鑑賞は読者の邪魔になるであろうが、心の奥に沈着したかなしさと静けさを読み取って戴きたい。
写生的な叙景句も、勿論、多くある。しっかりと見る目が効いている。

009 雲に触れむと首のばす春の馬
011 空の奥にも空ありて五月の木
025 一輪のごとく鷺立つ秋彼岸
027 陽をはじきつつ石橋に石たたき
036 どの波も春の瞬き乳母車
049 文手渡すやうに寄せくる小春波
063 揚げ窓に馬の目並ぶ白雨かな
084 どの家の灯にも人影鰆どき
126 小屋入れの馬らに小雪また小雪

中には境涯的な母恋の句もある。

067 竹の物差に母の名夜の秋
091  夭折なれば
    母を知らねば美しきいなびかり

 子郷さんは、爆撃で被害甚大であった神戸の生まれ。父方の祖父を頼って岡山に疎開している。たまに母が来てくれて、繕い物をしたり洗濯したりしてくれた。母の思い出は、歌って聞かせてくれた「歌を忘れたカナリア」の歌だけだったとおっしゃられた。終戦後、神戸に戻ったが、母は結核で隔離入院。見舞いに一回行ったが、窓越しに寝ている寂しそうな母を見たのが最後だった。
 象の句が二句あった。動物園の象は疾走しないから、足音がない。言い得て妙。

028 歩みのろくなりたる象も落葉どき
066 足音もなく象歩む晩夏かな(*)

 最後に師飯田龍太に係る句をあげておこう。

054 師の書斎今は冬日の差すばかり
054 龍太句碑笹鳴を待つごとくあり(*)

「雲母」に憧れて龍太に入門したが、蛇笏時代からの古参の高弟から、「ふにゃふにゃな句を作る新参者」のように扱われた。それを、和田渓という先輩と師龍太が影で励ましてくれた。だから子郷さんは25年ものあいだ、龍太を慕ってついていった。この二句は、龍太没後、山蘆を訪ねた時のもの。ここで言う龍太句碑は、〈水澄みて四方に関ある甲斐の国〉であろう。この前の句集だったろうか、龍太が亡くなってから、師を慕う句を詠んでいる。それは、〈冬雲雀師も通ひたる校舎見ゆ〉であった。
 末永いご健吟を願っている。 

注記 和田獏氏の句も参考に挙げておこう。
 
  竹林の小径の果ての岩襖     和田 獏
  石をもて釣糸を切る秋の風
  氷上の雨の氷塊蕩児のごと
                     〈龍太の『俳句鑑賞読本』より〉



大牧広句集『朝の森』


大牧広朝の森.jpg


 大牧広「港」主宰が、第十句集『朝の森』を出された(ふらんす堂、平成30年11月15日)。帯には「敗戦の年に案山子は立つてゐたか」の一句があり、「戦争体験の一証言者として老境に安んじることなく反骨精神をもって俳諧に生きる著者の渾身の新句集」とある。
 自選句は次の通り。

  鳥雲にヒトはめげずに希望抱く
  夏草と引込線の睦みゐて
  見下しても見下しても蟻穴に入る
  父とつくりし防空壕よ八月よ
  芒山一本づつが傷だらけ
  戦中や兵擲たれゐし芒原
  地下街に売られし芒自暴自棄
  遠くなる老のまなざし白甚平
  軍神の生家朽ちゐて草いきれ
  達観は嘘だと思ふ新生姜
  昭和二十年秋停電と長雨と
  GHQありたる街も冬に入る
  一月のしづけさ山は山のまま
  安吾忌の蒲田駅前戦後のやう
  くろがねの艦をうとみて新茶汲む

 筆者(=栗林)の共鳴句は次の通り。

007 声きつと初音のみなる避難地区
008 としよりを演じてゐぬか花筵
013 かざぐるま泣きたくなれば廻るらし
022 スーパーの隅の草市灯るごと
026 敬老日村はいよいよ意固地となる
034 おぢいさんとは吾のこと大花野
039 藁仕事昭和はやはり奥深い
041 凩や難儀な地図を渡されし
044 着ぶくれてしまへば老の天下なり
047 つくづくと本重かりし白マスク
049 開戦日が来るぞ澁谷の若い人
057 正論が反骨となる冬桜
060 大病院中庭なぜか枯無惨
069 春野菜福島産と聞けば買ふ
078 どの人もすこし不幸や祭笛
080 海はまだ不承不承や海開き
083 人の名をかくも忘れて雲の峰
085 天井のかくも雑なり海の家
092 達観は嘘だと思ふ新生姜(*)
093 戦争の終りし夜のさつまいも
099 山霧や一枚うはての国ばかり
121 一月二日修正液をもう使ふ
126 年玉贈る私が墓に入るまで
127 かと言つて不幸ではなし大マスク
128 雑炊といふ贅沢をしてみたき
174 敗戦の年に案山子は立つてゐたか

 大牧さんと言えば、反骨・反戦・反原発の人である。その社会批判精神は、大牧さんが自らを見つめるこのような沢山の俳句で支えられている。うわべだけの社会批判ではない。年輪を経て、それでも芯に残っている、いや、ますます昂って行く「反迎合精神」なのだ。
 筆者(=栗林)の特に琴線にふれた三句を鑑賞しよう。

057 正論が反骨となる冬桜
 世の中のなあなあ主義に反発し、正論を吐くとそれは反骨となる。流れに棹させば生きずらくなる。正論というものはそういう生きずらいものなのだろう。容易には受け入れられない。ひと括りに反骨というカテゴリーに入れられてしまう。しかし、いつの世でも、それは必要なのである。冬桜は淋しげに咲く。だが、花の時期が、春の桜よりもずっと長いのだそうだ。だから反骨は簡単には散らない。

069 春野菜福島産と聞けば買ふ
 筆者は現役時代、原子力を含むエネルギー関係の仕事に関係していた。詳しいことは省くが、原発は結果として福島だけでなく、全日本、いや全世界に迷惑をかけた。いや、迷惑以上だろう。風評被害という現実に触れれば、人々は見えない放射能汚染に過敏に反応し過ぎているような気がしている。だから、筆者は福島産の野菜や果物を、福島産と分かれば、買うようにしている。大牧さんと同じだ。こういう人が多くなって欲しい。もっとも、大牧さんも筆者も、結構な年寄りだから平気なのかも知れない。

092 達観は嘘だと思ふ新生姜(*)
 この歳になったら、多分かなりのことに恬淡としていられるのではなかろうかと、若い頃は、考えていた。だが、そうではなさそうだ。物理的な体力の衰えは致し方ないとして、精神的な気力は維持したいと願っていて、その気持ちからか、世の中の理不尽な事象に、テレビを見ながら私論を吐いている。

      *********

 なお、拙著『昭和・平成を詠んでー伝えたい俳人の時代と作品』は手持ちの在庫がありません。ご興味おありでしたら、ご面倒でも、出版元「書肆アルス」にお問い合わせくださいますよう(03-6659-8852)。

第54回蛇笏賞決定 柿本多映著『柿本多映俳句集成』

 令和2年4月17日、第54回蛇笏賞が決定し、夕刻発表された。新型コロナウイルス蔓延のため、例年なら3月末に決まるのだが、角川文化振興財団がテレビ会議を開いて、選者=片山由美子・高野ムツオ・高橋睦郎・長谷川櫂のみなさんの合議のもとに決定をみた。授与式は6月26日に東京・飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントで予定されている。
 なお、同賞候補者とその作品は、小川軽舟『朝晩』、鍵和田釉子『火は禱り』、中嶋鬼谷『茫々』、中原道夫『彷徨』と『柿本多映俳句集成』の5件であった。


柿本多映『柿本多映俳句集成』.jpg


 筆者(=栗林)は柿本多映さんには何度も取材をさせて戴いており、該著『柿本多映俳句集成』(深夜叢書社、2019年3月21日)刊行の際も、ブログに書かせて戴いている。もちろん、蛇笏賞の対象として話題になる以前のことでした。少し長いのですが、以下に再掲載致します。なお、その刊行には、下記にあるように、若手の熱心なお手伝いがあったことは特筆されるべきであろう。


『柿本多映俳句集成』

 柿本多映の第一句集『夢谷』から第六句集『仮生』までの全句と、1977年から2011年までの拾遺(1500余句)、年譜、解題、初句索引などを収めた『柿本多映俳句集成』が刊行された(深夜叢書社、平成31年3月21日)。栞には、この「集成」刊行を記念して持たれた、神野紗希、村上鞆彦、関悦史、佐藤文香4氏の座談会の記録が載せられている。この句集の刊行には、関氏、佐藤氏、それに堀下翔氏らの若手の絶大な協力があった、と聞いている。多映先生は結社を率いている訳ではないし、その弟子でもない若者が、この句集刊行に協力したという事実は、とても貴重だと思う。
 筆者(=栗林)は、多映先生に2度ほどロングインタビューをさせて戴き、二つの著作に書かせて戴いた縁があるので、とても懐かしく、この「集成」を読ませて戴いている。
 
 表紙は、仄聞するに、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある高僧の袈裟の図柄であるとのこと。渋い中にも明るさと気品と歴史を感じさせるものがあり、三井寺出自の多映さんにぴったりである。装丁は高林昭太氏とある。帯には、自選と思われる次の7句が抽かれている。

  天体や桜の瘤に咲くさくら
  立春の夢に刃物の林立す
  水平に水平に満月の鯨
  人の世へ君は尾鰭をひるがへし
  末黒野をゆくは忌野清志郎
  おくりびとは美男がよろし鳥雲に
  誰の忌か岬は冬晴であつた

 早速、各句集から、思いつくまま、筆者にとって懐かしい多映作品を掲げて行こう。

第一句集『夢谷★→ゆめだに★』
 昭和59年2月刊行(書肆季節社)。桂信子の序文があり、跋文は橋閒石という贅沢な布陣。桂の序文のエッセンスは、「吹田の毎日教室を赤尾兜子から引き継いだ。そこに柿本多映がいた。能力はすぐ分かった。三井寺に生まれ、父親は管長。夫は京都の裏千家の茶道資料館の館長。「俳句研究」の五十句に応募して佳作」とある。

 立春の夢に刃物の林立す
 鳥曇り少女一人の銃砲店
 兜子はるか身体沖にあるごとし
 真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ
 出入口照らされてゐる桜かな

第一句。立春とはいえ、まだ木々は芽吹いていない。冬木立を連想し、それが刃物の林立であるという。夢だから、何が出てきても良いのだが、心の深層から刃物が出てくるとは容易ではない。幼い頃の三井寺の杜の探検(年譜の幼児期の項を参照されたい)が、記憶の底辺に生きているのである。第三句集のところで述べるが、作家の阿川弘之が驚いた句である。
第二句目。銃砲店に店番が少女一人というのは、いかにも不安感が募る。季語「鳥曇り」とも微妙に合っていよう。
第三句目。師の赤尾兜子はもういない。兜子が漂っているかも知れない沖に、私もいま浮いているような錯覚を覚えていますと、この句は言っている。
第四句目。〈真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ〉。鳥が飛ぶとき骨は見えない。実際には見えないものでも、多映さんにはみえる。飛ぶことが宿命である鳥へのオマージュである。貪欲なまでに「生」を見つめている句である。北辺の俳人寺田京子は、いつも死を見つめながら、
  日の鷹とぶ骨片となるまで飛ぶ    寺田京子
と悲痛な句を詠んだが、一生肺の弱かった京子と、小柄ながらに健康そのもので、気配りが行き届き、いつも活動的な多映さんの句とは、当然ながら違いが大きい。
最後の句〈出入口照らされてゐる桜かな〉は、関西の超党派句会に出したもので、永田耕衣から、「この句出したんはだれや、だれや」って訊かれて「私です」って言ったら、「へえーっ。多映さん、これ書いたはええけど、いま書いてしもたら、あと、えらいこっちゃねえ」と言われた。三井寺の仁王門から、夕闇の桜のトンネルを抜けてきて、薄暗い外灯が一本。しかし、それを知らなくても、桜の苑の入口と出口だけが照らされていて、中は茫洋として不詳……そんな景が、何かのメタファーのように、読者を名状し難い世界に誘う。多映俳句の魅力の一つである。

第二句集『蝶日★→ちょうじつ★』
 第二句集は平成元年9月25日刊行(富士見書房)。題字・帯文は橋閒石。

 病臥して向うが見ゆる青簾
 広島に入りて影濃き日傘かな
 誰か来て石投げ入れよ冬の家    
 回廊の終りは烏揚羽かな
 やはらかく猫に咬まるる寺の裏
 また春や免れがたく菫咲き
 桃吹くや地の穴穴の淋しけれ
 この村に気配の見えぬ祭かな
 美少年かくまふ村の夾竹桃
 抜け穴の中も抜け穴夏館
 生まれ家の柱のとよむ卯月かな
 妙といふ吾が名災えたつ八月よ
 我が母をいぢめて兄は戦争へ   
 杉戸引きてより一面の菊の景
 桃咲いてからだ淋しくなりにけり

第一句目。先に、いつも健康な多映と書いたが、病のときもあったのだろう。臥せっていると、視点の高さがいつもとは違う。平凡な句のようだが、よく見て気がついて書いている。
第三句目。金子兜太の〈霧の村石を投らば父母散らん〉を思わせる。冬の空気が澱んでいる古い大きな家。多映さんの寺かも知れない。誰かが石を投げ入れて、乱してくれないと、全てがフリーズしてしまいそうだ。
第四句目、回廊はあきらかに三井寺の金堂辺りだろう。回廊の終りとは、どこを言うのであろうか。傍目には、回廊には終りがないように思えるのだが……。多映さんには蝶の句が多い。いや、七句目にあるように、穴もテーマである。
第五句目の〈やはらかく猫に咬まるる寺の裏〉や、九句目の〈美少年かくまふ村の夾竹桃〉など、多映さんにはエロスの句もある。これはエロチシズムと違って、タナトス、つまり「生」の本質に迫るものだ、と彼女は主張する。「これはメタファーで書いていますから、橋閒石先生の言う『艶』でしょうねえ。笑いながら『あんたも中々やるねえ』って」。
後から三句目。〈我が母をいぢめて兄は戦争へ〉は、多映俳句にしては直裁的であるが、「いぢめて」の旧かな遣いがうまい。新かなではこの気持は出ない。兄二人が出征した。陸軍だった。「母を悲しませて」は、軍国主義への恨みの表出である。   
あとがきに、多映は蝶を越冬させた、と書いている。蝶に対する思い入れが深い。

第三句集『花石★→かせき★』
 第三句集は、平成7年3月17日、深夜叢書社刊行であった。序文は多映さんの夫の海軍時代の友人で作家の阿川弘之。阿川は、軽い気持で引き受けたが、中味を見て「一転、愕然とした」とある。彼は、取り敢えず、『現代俳句文庫―柿本多映句集』を見せてもらって、その感想からこう書き始めている。
「巻頭三句目、
  立春の夢に刃物の林立す
まずこれが、私(=阿川弘之)の眼を射た。
  泊夫藍★→サフラン★を咲かせすぎたる男かな
〈男〉が誰を意味するのか、咲かせすぎのサフランが何を象徴してゐるのか、よく分らないけれど、一種、名状しがたい凄味があって、こりゃ亭主にあたる我が友(柿本大尉)もたいへんだぞ、並大抵の女流俳人ではないぞと思った」。

ここに『花石』からの共鳴句を掲げよう。

 山中や鐵の匂ひの冬桜
 うたた寝のあとずぶずぶと桃の肉   
 なまかはきならむ夜明の白百合は
 青大将この頃ものごころ付き
 ひるすぎの美童を誘ふかたつむり   
 風景の何処からも雪降り出せり     
 巫女の抜く青葱もっとも青きかな
 野の遊びなどと遥かやふくらはぎ
 一本の柱を倒す祭かな         
 まんぢゆうに何も起こらぬ夏の昼    
 老人に口開けてゐる桜かな
 先生を隠してしまふ大夏野       
 春の道とつぜん人を外しけり
 前の世は飴屋なりけり鳥威
 思ひ出し笑ひや両手に柿提げて    
 生国に辿り着かんと立泳ぎ
 秋やわが右足の磨り減ることよ
 雪虫やらふそく灯しにゆくところ
 穴を掘る音が椿のうしろかな
 地の水は桃にならむと桃の木に

第一句目。冬桜に鉄の匂いを感じるのは、尖鋭な感受性の持ち主である。言われてみるとそうかとも思えるのが不思議。この奇異な感受に、感覚的に納得させられる。
二句目。「うたたね」に配するに「ずぶずぶと桃の肉」はうまい。しかも「ずぶずぶ」という退廃的な質感。多映のどこからこの感覚が生まれて来るのであろうか。
四句目。〈青大将この頃ものごころ付き〉。ものごころ付くのは誰だろう。「青大将」だとすると、凄い句だ。息子の可能性もある。いや、自分かも知れない。とすると、ものごころ付く年頃といえば、少女だ。配合するにしても、もっと叙情的なモノがあろうに、「青大将」だ。多映俳句の骨法は、類想打破である。花鳥諷詠でない、客観写生でもない。予定調和を壊している。そこに惹かれる。
五句目。〈ひるすぎの美童を誘ふかたつむり〉は、第二句集の〈やはらかく猫に咬まるる寺の裏〉や〈美少年かくまふ村の夾竹桃〉に共通するエロスの句。
九句目。〈一本の柱を倒す祭かな〉は単純明快に見えて、それでいて句の背景に拡がるものがある。一本の柱を倒すにしても、永年続いた祭のしきたりや、美しさや、氏子たちの昂奮があるのであろう。       
十句目。〈まんぢゆうに何も起こらぬ夏の昼〉。力を抜いた、奇妙な、人を喰ったような面白い句である。「まんじゅう」は何を指しているのかとか、あまり考えない方が良い。この諧謔性を瞬間に楽しめばよい。飯島晴子がいい句だと言ってくれたそうだ。
〈老人に口開けてゐる桜かな〉は、「てにをは」が上手い。一読可笑しさがこみ上げてくる。咲いている桜を、恰も生き物のように看做して、「口開けてゐる」と書いた。読者は「老人が」の間違いではなかろうかとさえ思ってしまう。       
後から三句目。〈雪虫やらふそく灯しにゆくところ〉。薄暗い時刻になった。作者が蝋燭を点しに行く場面と、眼前に浮遊する雪虫の群れとが見えてくる。だが、ふと、蝋燭を点しに行くのが雪虫なら面白いとも思う。多映の作品なら、そんなシュールもありえよう……はかない命を前に、「いま蝋燭を灯しに行くから待っていてね」という、雪虫に対する祈りの気持ちでもある。
後から二句目の〈穴を掘る音が椿のうしろかな〉は不気味で、意味するところが深そうだ。「穴」は多映さんのモチーフの一つだが、「穴」と「うしろ」でもって奈落に通じるような深層の闇を思わせる。美しい「椿」を背にして「穴」を掘る行為は、子供のころ体験した死者を葬る「穴」を思わせて凄味がある。穴を掘る「音」だけが聞えてくる。
多映さんの詩嚢にはいくつもの原風景が納まっていて、いつもそれが詩の言葉の源泉となっているのだ。桂信子が、この句が良いと言ってくれた、という。

第四句集『白體★→はくたい★』
 第四句集は、平成10年6月20日、花神社刊行。表紙の揮毫は、橋閒石のあと「白燕」を継いだ和田悟朗である。

 海市より戻る途中の舟に遭ふ
 こめかみに螢が棲んでからのこと
 寒卵死後とは知らず食べてゐる
 吊橋の蟻を追ひ越す遊びかな        
 花の梢空気触れあふ音のして
 手を上げて下ろせば我も芒かな
 ふくらはぎ花に見られてゐるやうな
 人形の混みあふ春の病かな         
 天才に少し離れて花見かな
 棒持たぬわが眼の前を蛇よぎる
 骨壷の雅を言ひて冬の人
 純少年ひる白骨となりゐたり       

第一句目。虚の世界の蜃気楼から現実の世界に帰ってくる舟。その舟に、多映さんの舟が出遭うのだ。つまり、彼女は今、虚の世界に向かっているのだ。
第二句目。こめかみに螢が棲んでいる、という感覚は、何とはなしに分る。面白い身体感覚である。そのあと、何が起こったのか。
第三句目。こう書かれると、死後とは、必ずしも卵の死後だとは思えなくなるから不思議である。目くらましにあったような気がする。
六句目。手を上げて、すっと下ろしたら、自分は芒のようになった、という感覚。うまく言うものだ。
九句目。〈天才に少し離れて花見かな〉。兜子に〈数々のものに離れて額の花〉がある。兜子の句は、不特定な物から離れている額の花一点を詠んでいるのだが、多映さんの句は、天才という特異な一点から離れている自分、もしくは不特定多数の人間が離れている、と詠んだ。「に」の遣い方がうまい。
最後の句。「純少年」という清潔感のある措辞でさらっと詠いあげているようでいて、悲しい内容だ。悲しいながら美しいのは「純少年」であるからだろう。無季句。永田耕衣に〈野を穴と思い飛ぶ春純老人〉がある。晩年の耕衣に私淑していた多映さんの胸の裡のどこかに、この耕衣の句が潜んでいたのであろう。感動する詩語を媒介に、刺激しあえる関係を、耕衣も多映さんもお互いに喜んでいたのであろう。力を認め合う俳人同士は、見事なまでに影響し合う。句会や結社の賜物であり、羨ましい限りである。死の間際の耕衣を見舞いに行ったときの多映さんのお話を聞いて、つくづくそう思うのである。

第五句集『粛祭★→しゅくさい★』
 第五句集は思潮社から平成16年9月28日刊行。
「翔臨」の竹中宏氏は、この句集の表題がなんとなく不気味だ、と京都新聞の夕刊に書いている(同年12月11日)。それは、多映さんがこのころ癌の病に臥せっていたことと関係しているのだろうと言い、次のように続ける。
「物質の充足によっては解消しない、いのちのあやうさという事実が、何層ものかさなりをもって、氏の内面を領する。死に、にぎやかな死はありえない。氏はあくまでも氏自身の孤独の場に滞留しつつ、氏自身に見えてくるものをたしかめることによって、いのちのあやうさという事実と、その事実に直面せざるをえない人間のこころの宿命とに向きあおうとする。それが、俳人としての氏の腰のすえどころといえる」
そして、多映さんの俳句の素材に「人・にんげん」が多いという。

 春うれひ骨の触れあふ舞踏かな
 昼顔のひるなまぬるき鍵の穴
 大人から坐り始める桜かな
 蟻の巣に水入れてゆく他人かな
 人が人を拝んでゐたる秋の暮
 白襖倒れてみれば埃かな
 嚔して瓜実顔の通りけり
 こつあげやほとにほねなきすずしさよ
 鬼房と蓮池まではゆくつもり
 ししうどや俗名ばかりうかび来て
 隠沼に空席ひとつあるにはある
 兜子閒石耕衣鬼房敏雄留守
 雪降れり我が生誕のにぎはひに

第三句目。〈大人から坐り始める桜かな〉は、何のこともない桜の宴の様子だろう。子供たちはそこいらをうれしそうに走り回っている。大人たちは、そろそろ酒にしようかと茣蓙の上に坐り始める。写生的ではあるが、見えない雰囲気までが浮き上がってくる。そう書きながら、多映さんの句のこの「桜」は何かの暗喩……たとえば異界の花かも知れないと思ったりする。
四句目。奇妙な句であるが、惹かれる句だ。〈蟻の巣に水入れてゆく他人かな〉。「他人」であって、見知った人でないのが面白い。あるいは子供の時代に戻ったのだろうか。「他人」でもって、意味の上での見事な展開がある。この句も、多映さんの独壇場の句だと思う。
五句目。〈人が人を拝んでゐたる秋の暮〉。最初、この句は強烈な皮肉の句だと思った。拝む対象は神や仏ではなく、生身のヒトなのだ。世俗を揶揄した句だと。多映さんによると、単なるスケッチから得た句だという。老人が向かい合って話しをしている。その様子が互いに合掌しあっているように見える。深読みし過ぎると、多映さんに笑われそうである。
六句目、〈白襖倒れてみれば埃かな〉も、秀逸の句ではなかろうか。何かの暗喩と取っても良いが、襖がずらりと並ぶ三井寺ならではの句とも思える。白襖でなくて、国宝級の絵襖ならさらに面白い。光浄院客殿には水墨の「列仙図」があり、イメージが重なった。
七句目。〈嚔して瓜実顔の通りけり〉は何とも言えない笑いを誘う味のある句である。瓜実顔の人物への親しみが湧く。モデルは橋閒石だった。多映さんの句には、不気味な句もあるが、一方では、こうした俳味のある句もある。
後から六句目。〈こつあげやほとにほねなきすずしさよ〉。多映さんの代表句の一つであろう。亡き人を送ったとき、神仏の造化の不思議さにつくづく思いを致した、という。

第六句集『仮生』
 第六句集は現代俳句協会が刊行(平成25年9月1日)。この句集により、第五回桂信子生を受賞。さらに翌年の蛇笏賞の最終候補となった(受賞者は高野ムツオと深見けん二)。そして、第十三回俳句四季大賞、第二十九回詩歌文学館賞を受けられた。

 筆者の気に入った句が多い。

   八月の身の穴穴に蓋がない
   鶏頭の殺気スペインまでゆくか
   骨として我あり雁の渡るなり
   誰の忌か岬は冬晴であつた
   神様に命日があり日短か
    桂信子逝く
   吾に賜ふ冬青空のあり愛し
   傘寿とは輪ゴムが右から左から
   手鞠つく母のおそろし雪おそろし
   老人を裏返しては梅真白
   目印は小さな靴です鷗さん
   椿より綺麗にひらく落下傘
   てふてふや産んだ覚えはあるけれど
   おくりびとは美男がよろし鳥雲に
   二つ目の穴掘つてゐる朧かな
   春の木に差しだす綺麗なみづぐすり
   ひんがしに米を送りて虔めり

一句目は多映作品に欲出てくる「穴」のモチーフ。
二句目。この跳び方がすこぶる面白い。殺気とはいいながら、何となく情熱的で陽気なのである。「スペイン」という風土のイメージのせいであろうか。
三句目。「骨」も多映さんのモチーフのひとつ。〈真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ〉〈骨壷の雅を言ひて冬の人〉〈純少年ひる白骨となりゐたり〉〈春うれひ骨の触れあふ舞踏かな〉〈骨として我あり雁の渡るなり〉など、人間の本質としての「骨」、避けられない死というものをイメージさせる「骨」を詠んでいて、重い句である。
八句目。〈手鞠つく母のおそろし雪おそろし〉の感覚は、草田男の〈雪女郎おそろし父の恋恐ろし〉に通じる。肉親でありながら、母や父には、子には分からない部分があり、いつもある種の畏敬の念をもっているのであろう。
その次の句〈老人を裏返しては梅真白〉は、ご主人が倒れられた際の句であったと記憶するが、人を即物的に、非情に詠んだものとして、筆者には驚愕の一句であった。
次の二句は東日本大震災の句であるに違いない。
  目印は小さな靴です鷗さん
  ひんがしに米を送りて虔めり
一句目の口語表記は、悲しい現実をやわらかく詠っている。津波に流された行方不明の少女を思っての句であろう。
二句目は、流通網が途絶えた被災地の若い俳人に米を送ったときの句。水もガソリンも米も途絶えたのであった。この記憶は風化させたくない。

 柿本多映さんは、これまでの句業の成果を認められ、平成27年には、現代俳句協会の最高の栄誉である現代俳句大賞を授与された。

冒頭に多映先生を取材したことを書いたが、それは拙著『新俳人探訪』(文學の森、平成26年9月2日、初出は「遊牧」平成24年12月)、および『昭和・平成を詠んで』(書肆アルス、平成29年9月7日、初出は「小熊座」平成28年8月)に収録されている。筆者に手持ちはもうないが、アマゾンで古本が格安に入手できると思うので、ご興味のある方に、お読み頂ければと願っている。

黛執句集『春がきて』

 黛執さんが第八句集を出された(角川文化振興財団、2020年3月27日)。氏は「春野」の名誉主宰で今春九十歳になられる。その寿ぎの意味でもあるようだ。
 筆者(=栗林)は、二度ほど湯河原の氏のご自宅を訪問し、氏の来し方と作品を「小熊座」2017年2・3月号、および『昭和平成を詠んで』(書肆アルス、2017年9月7日)に紹介させて戴いた。それらは、氏の第六句集までをカバーしていた。その後、氏は第七句集『春の村』を、そして今回『春がきて』を上梓された。


黛執第八句集.jpg

 第八句集の句集名は集中の次の一句に因んでいる。

   春がきて日暮が好きになりにけり

 該句集『春がきて』からの自選句は次の12句。

  日暮より先に暮れたる蛙かな
  春の夜を上りつめたる春の月
  後朝とは朧が水にもどるころ
  春がきて日暮が好きになりにけり
  いちにちが遠いよ桐の咲くころは
  月出でて涼しき橋となりにけり
  潮の香の中の縁台将棋かな
  滴りの月浴びてゐる韻きかな
  澄みに澄む山をそびらに父母の墓
  案山子まだ傾ぎ足らぬといふやうに
  一つ灯のやがてずらりと枯野の灯
  星よりも水のきらめく聖夜かな

 筆者(=栗林)の共感の句は次の通りであった。自選と重なったものに(*)印を付しておいた。

008 春は土手より風が湧き子が湧いて
014 雉子鳴いて夕べ明るき仏みち
016 畑土の湯気上げてをり別れ霜
018 曳き売りの声をはるかに暮れかぬる
021 桃咲いておぼこ返りのまた一人
027 いちにちが遠いよ桐の咲くころは(*)
029 羽搏ちては合点のゆかぬ羽抜鶏
030 彷徨うてみたくなりたる白地かな
032 音なべて遠くなりたる日の盛
035 仏壇を青田の風へ開け放つ
041 秋の木となる風音にかこまれて
042 ゐのこづち取り合つてゐる喪服かな
044 案山子まだ傾ぎ足らぬといふやうに(*)
054 さへづりへ向けて宿下駄揃へらる
060 陽炎に捕まつてゐる登校児
061 鷹鳩と化してわらべに追はれゐる
062 またおなじ話にもどる日永かな
065 春の月ぬうつと茅の屋根の上
097  葬送
    にぎやかにあの世へつづく春の道
102 梅雨深しなべて欠けたる墓茶碗
107 一も二もなし新走り頂くに
114 煙出しより煙出てゐる時雨かな
116 当たるでもなき火を立てて冬の耕
123 真ん中に野壺の据わる初景色
125 つくばひに浮かぶ芥も七日かな
127 魚は氷に老いはおぼこに返りけり
128 花見とふさびしき遊びするとせむ
132 散るよりも満つるさびしさ花の村
133 なきがらに緑の風の惜しみなく
134 夏籠のいちにち雨の音の中
143 側溝を鼠の走るクリスマス
146 どの木にも風が棲みつき冬深む
151 春の夜を上りつめたる春の月(*)
155 老人に遠くなりたる春の夢
156 春がきて日暮が好きになりにけり(*)

 黛執さんの話を思い出しながら、黛俳句小論を書いてみよう。
 氏の青春時代は暗かった。学徒動員で飛行機製造会社にやられ、特攻用のベニヤ板の突撃機を作っていたが、栄養失調を医師に同情され、帰された。大学卒業後、会社に勤務したが、すぐに肺を病み帰郷。幸い健康を取り戻したあと、湯河原から箱根にかけての大規模観光開発計画が持ち上がり、これに反対。地元の仲間とともに立ち上がった。あの温厚な黛執さんが、と訝るほどの熱のこもったものであった。この反対運動は住民運動の草分けでもあった。これに成功し、のち、ゆったりとした生活に戻る。イデオロギーを振りかざすタイプではない。しかし、心の奥底には、常に社会を見つめ、右に傾き過ぎるとき、政府にも反対の意思を持っておられたようだ。
 だが、そんな心根は俳句には表れない。氏の師であった五所平之助の教え通り、氏の俳句のモットーは、
  俳句は美しくなければならない。
  俳句は見えなければならない。
  俳句は平明でなければならない。
であった。第一句集から第八句集まで、いささかもブレない。第一句集『春野』と第七句集『春の村』の冒頭の句はそれぞれ次の句であった。

  雨だれといふあかときの春のおと
  風にやや艶出て盆にはいりけり

 さて第八句集である。黛俳句は健在である。どれも、美しく、目に見え、そしてこれが一番の特徴であろうが「平明」である。作者一人だけしか分からないような、いわゆる「難解」な句が多く発表される世にあって、平明を貫き通すことは強い信念が要る。そして氏の作品には「ほのぼの感」がある。景色を詠んでもそこには「人の生活」がある。

014 雉子鳴いて夕べ明るき仏みち
018 曳き売りの声をはるかに暮れかぬる
030 彷徨うてみたくなりたる白地かな
054 さへづりへ向けて宿下駄揃へらる
116 当たるでもなき火を立てて冬の耕

 筆者はある時期から黛俳句の中に諧味のある作品を見い出し、その行く末を楽しみにしていた。第六句集『煤柱』(蛇笏賞候補であった)から上げてみよう。

 肥柄杓立てかけてある野梅かな
 飲食の箸をしづかに広島忌
 今朝秋のするする玉子かけごはん

 黛俳句に「肥柄杓」などという汚いものが出て来るのは珍しかった。「広島忌」のような社会性俳句に繋がる作品も珍しい。「玉子かけごはん」のような俗な面白さも珍しい。この流れは第八句集ではどうなっているのだろうか。抽いてみよう。

029 羽搏ちては合点のゆかぬ羽抜鶏
042 ゐのこづち取り合つてゐる喪服かな
044 案山子まだ傾ぎ足らぬといふやうに
060 陽炎に捕まつてゐる登校児
061 鷹鳩と化してわらべに追はれゐる
062 またおなじ話にもどる日永かな
097  葬送
    にぎやかにあの世へつづく春の道
107 一も二もなし新走り頂くに
123 真ん中に野壺の据わる初景色
125 つくばひに浮かぶ芥も七日かな
127 魚は氷に老いはおぼこに返りけり
143 側溝を鼠の走るクリスマス

 黛俳句の中には、宗匠俳句的なのがあっても然るべきだろうと、筆者はひそかに思っていたのである。宗匠俳句は正岡子規の攻撃を受けて見下げられた存在となってしまったが、筆者は個人的には、そんなことはない、と思っている。「真ん中に野壺がある」なんて、野趣味ぷんぷんである。これらの句を、筆者は大いに楽しませてもらった。

 とはいっても、黛俳句の神髄は、やはり、読む人を魅了してやまない平明な「納得感」であり「美意識」であろう。

016 畑土の湯気上げてをり別れ霜
027 いちにちが遠いよ桐の咲くころは
134 夏籠のいちにち雨の音の中

 ただし、この第八句集でより強く感じさせられたのは、「寂寥感」であった。

021 桃咲いておぼこ返りのまた一人
132 散るよりも満つるさびしさ花の村
155 老人に遠くなりたる春の夢

 そして最近の氏は、胸中の膨大な詩心を篩にかけて多くを捨て去り、場合によっては、あえてはやる心を弛緩させてまでもして、そこに生き残った「像」だけを選び、美しく、目に見えるように、解りやすく、ことばを選んで一句に仕立てる行為を、営々として続けておられ、この第八句集を書かれたように思うのである。それを筆者は次の句に、特に、思うのである。

151 春の夜を上りつめたる春の月(*)
 この句は、いわゆる、俳句の骨法を超越している。「春の夜」「上る」「春の月」という縁の深い言葉が並んでいるから、「緩い」と、ついそう思う。この句は〈一月の川一月の谷の中〉(飯田龍太)や〈空が一枚桃の花桃の花〉(廣瀬直人)のような、強い意思のある句とは違う。つい自然に、自分の口が「春の月」と呟いてしまったような、宜しさがあるのではないか。心をあえて空にした後でも、天心に残っている「春の月」なのである。

小川弘子句集『We are here』

 小川さんは坪内捻典さんの「船団」の人。この句集のほとんどが「船団調」の軽快な作品である。以前は故豊田都峰「京鹿子」主宰と縁があったらしく、そのころの作品も、後ろの方に入集されている。ふらんす堂、2020年3月26日刊行。表紙は、ふらんす堂らしい瀟洒なハーフ・トーン調。跋は坪内さんが、小川邸での句会の様子などを書いている。
 作品を通読すると、口語調で軽快・明快である。カタカナが多く、海外生活の端々が良いアクセントとなって表れている。

小川弘子句集.jpg


 帯に紹介された句は次の10句。

  ボジョレヌーボー中原中也の顔してる
  アステカのタトゥーを腕に稲を干す
  雪の原でんぐり返って西田幾多郎
  亀鳴くや君はロックな公務員
  未踏地だ彼は穀雨に入りゆく
  大阪の見える高台鶯餅
  草引いて無声映画の中にいる
  青石一つ天から落ちて夏の庭
  チャーチルも子規も大食冷し瓜
  We are here We are here 夏鶯

 筆者(=栗林)の共感句は次の通り。(*)印は右と重なったもの。

008 足の裏合わせっこして柿若葉
010 プチトマト転がり落ちて偏頭痛
010 洋行といわれし頃のパナマ帽
012 オーディコロンたっぷり合歓は咲いたかも
014 がぼがぼの黒靴少年巴里祭
015 今の音たしかに蟬の墜ちる音
015 蟬しぐれ手足の長い母子連れ
022 四人目を前向き抱っこ秋日澄む
023 秋彼岸ぞくぞく出てくる寺の猫
024 太刀魚は広島湾から語尾上げて
026 神無月ストーンヘンジはゼロ番地
029 そういえばわが家は平屋山に雪
032 目隠しは襲名手ぬぐい福笑い
035 パンを切るギザギザナイフ春が来た
036 去りながら振り向く猫よ梅真白
037 有次の奥までずずっと冴え返る
046 朝寝してマーマレードの甘いこと
047 春愁や遠くで電話鳴っている
056 鋏よく落ちる日であり春うらら
058 柿若葉竹刀袋のハローキティ
074 短編は突然終わる猫じゃらし
080 子を抱いてはみ出している大根葉
103 亡くなった猫も来ているげんげん田
109 草引いて無声映画の中にいる(*)
111 We are here We are here 夏鶯(*)
119 熱帯夜ルソーの密林うろつくよ
151 まな板を斜めに干して柿若葉

 筆者の好みに合う句が沢山あった。日常生活から滲んでくる題材が豊富で粋なのだ。気づきが軽快でユニークなのだ。配合の妙が至る所で働いているのだ。描写が行き届いているのだ。

109 草引いて無声映画の中にいる(*)
 庭の草取りを終って、しばし茫洋と物思いに耽っている。何とはなしに、むかしの出来事が走馬灯のように浮かび上がってきた。音は聞こえない。ある程度年を取ると、こういうことがままあるのである。筆者も同年齢なのでよく分かる。ことの軽重にかかわらず、脈絡もなく、いろいろなことが思い浮かぶのである。至福のひとときだと思いたい。

111 We are here We are here 夏鶯(*)
 この句集の表題となっている。この句が出来たときの経緯を知って、より好ましく思った。亡きご主人に縁のあった土地を家族と共に訪れた際、夏鶯がしきりに鳴いていた。それに応えるように、皆で「We are here We are here」と叫んだのだそうだ。和訳すれば「ここよここよと夏鶯」で、さあ、上五をなんとしよう? 思いが膨らんだ。

151 まな板を斜めに干して柿若葉
 俳句を始めて間もない頃と思われる作品から一句戴いた。日常の軽めの句である。配合の季語「柿若葉」が上手い。この明るさと清潔さ。「斜めに」の軽妙さ。「船団」とは違うやや古い文体の句から、好きな句を一句選んだ。

 とても楽しい句集でした。

向瀬美音編『国際歳時記―春』

 向瀬美音(むこせみね)さんが表記の歳時記を編集、上梓された(朔出版、2020年3月25日)。今回はとりあえず「春」編だが、「夏」「秋」「冬」も考えておられる。向瀬さんが主宰している「Haiku Column」で季語を紹介したところ、その季語に関わる投句の数が一躍増えたことに力を得て、今回の春編上梓に到ったそうだ。序文は櫂未知子さんが「季語の力」を丁寧にかつ熱を籠めて書かれておられる。
 該著には、春の季語65語の本意が紹介され、それに基づいて、国際俳人が母国語(英語、フランス語、イタリア語でもちろん和訳もある)で詠んだ約700句ほどが集められている。季語とともに例句が載っているのは歳時記の常であるが、幾種類かの外国語で併記された国際的なものが少なかったという点で、該著は貴重な存在であろう。俳句に関心の高い人々が多く住んでいる国々に紹介したい本である。

国際歳時記春.jpg


 いくつかの作品を読んでいて、中から気に入った作品を少しだけ挙げておこう。季語が気に入ったというわけではなくて、作品の訳し方が魅力的であったという点である。国際俳句には季語もさることながら、訳し方一つで、つまり言葉一つで価値が大きく変わるような気がしているのである。

025 リンタング ユルサ マイヤー作(インドネシア)
    cheerful morning a little rooster climbs the cliff cheerful
   麗かや小さき雄鶏きりぎしへ
 筆者(=栗林)は、原句の中の動詞(climbs)が和訳ではなくなっていることを面白く受け取った。

027 向瀬美音作(日本)
    麗かやマーマレードを煮る厨
    peaceful afternoon marmalade in the cauldron
 ここでは原句の動詞(煮る)が英訳では消えている。これにも筆者は賛成である。「厨」をkitchen とせずに cauldron(=大鍋に近い意味)としたのも「煮る」の感覚が表出されている。

027 ミレラ ブライレーン作(ルーマニア)
   a peaceful day― just the rhythmic creak of my rocking chair.
   長閑さや揺り椅子しかときしみをる
 ここでは原句にない動詞が「しかと」という副詞とともに立ち現れている。

109 十河智子作(日本)
    夕雲雀落暉に遊ぶ影として
    Larks in the evening; shadows spending in the sunset
 「遊ぶ影」を shadows spending とする上手さ。動詞の代わりに現在進行形を形容詞的に使ううまさ。

132 向瀬美音作(日本)
    手のひらに転がすピアス花疲れ
    earring rolling in my palm tired of cherry blossoms
「転がす」という他動詞を rolling という自動詞的な進行形の形容詞として用いている。英訳された句の方が、メランコリーさが現れるかも。
 
 以上勝手な感想を書かせてもらったが、許されたい。
 さて、筆者(=栗林)も国際俳句には興味があって、2012年にはカルフォルニアでの「Haiku Pacific Rim」に参加したことがある。有馬朗人さんがゲストとして日本から来て下さった。筆者自身は個人でモントレーやカーメルを旅行していた機会を利用して寄り道したのであった。
 さらに、いっとき、黒田杏子さんの縁で、アメリカの外交官・俳人のアビゲール・フリードマンさんとも縁があった。彼女は日本で在職中に俳句に魅了されたのだったが、その『私の俳句修行』(中野利子訳、岩波書店、2010年11月26日刊行)はとても面白かった。
 筆者はその後、俳句の世界遺産登録にも興味を持っていて、「現代俳句」(2015年11月号)に書いたことがある。そのとき、外国(特に四季のない国)で、季語をどのように考えるべきかよく分からなかったので、各国の人々の好きなように考えて貰って良いのだろうと思うようにしていた。日本の俳人が日本の俳句に推奨あるいは強制するような「季語の本意」を外国人に求めずに、無季でもいいから俳句を楽しんでもらえれば良いと考えていた。
 そもそも筆者が俳句とかかわるようになったのは、新興俳句が縁であったから、比較的自由な季語観を持っていたのである。とはいえ、自分では無季句は作らなかった。ただ単に人様の無季句を否定することはしない。季語がなくても「詩語」があればいいじゃないかと考えていた。これは今でも変わらない。ただし、いまでも完全な無季句は詠まない。

 本著を繙いてみて、久しぶりに英語俳句を面白く感じた(フランス語もイタリア語も理解しないので申し訳ない)。それは、季語だけのせいではない。その訳し方にいたく魅了されたからである。

 なお、上記したアビゲール・フリードマンさんの俳句は殆どが3行書きであった。該著の例句は2行がほとんどである。2行が流行るのであろうか? 下記はアビゲールさんの作品である。

  first dream of the year carefully I polish these jade marbles
  初夢に翡翠の玉を磨き継ぐ
  snow melting under the midday sun bamboo springs back
   雪解けて日輪に竹跳ね返る
 early summer I take off my watch the cool of my wrist
   初夏の時計を外す涼しさよ


  

藤原龍一郎歌集『202X』

 藤原さんが10年ぶりに歌集を上梓された(令和2年3月11日、六花書林。この日付にもなにか意味がありそう)。氏はご承知の通り藤原月彦という名の俳人でもある。
 筆者(=栗林)は短歌には詳しくないので、透徹した評は書けない。だが就中、俳句を下敷きにした氏の短歌を見つけ、楽しく読ませて戴いた。


藤原月彦歌集.jpg


 藤原さんは、1990年、短歌研究新人賞に短歌30句「ラジオ・デイズ」をもって応募、見事、賞を獲得された。同賞は、中井英夫が創設し、中条ふみ子、寺山修司らが発掘された歴史的な賞で最高の登竜門なのであった。氏は38歳であった。
 藤原さんの短歌は、氏が現在「短歌人」の編集者でもあることを知ると、なおのこと現代社会へのメッセージ性をもって迫って来る。筆者(=栗林)にとっての短歌は、素朴な万葉集はあるものの、古今和歌集以来の伝統的・宮中的な、叙景的な、あるいは個人の恋慕・愛惜を美しく描くものと思っていた。だが考えてみれば、現代ではもっと強烈に社会にメッセージを発する詩形なのだと分かる。俳句には社会性俳句というカテゴリーがあって、それが前衛俳句にとってかわられ、それも花鳥風月的伝統俳句に、今は戻ってしまっている。
 藤原さんの短歌は、素人の筆者の感受の枠を超えるものが多いのだが、刺激的語彙をふんだんに使い、政治や文化を痛烈に批判したものが多い。それは藤原さんの強烈なメッセージであり、俳句が短いがために諦めたことを、より長く言える短歌によって実行されている。そのメッセージを読者に深く理解してもらうべく、長い前書きがついている作品が多い。そして、想いは31音の枠をはみ出す勢いなのである。

 さて、集中、他者の俳句をベースにした氏の短歌があったと書いたが、それを紹介しよう。

028 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」台場、横浜カジノ綺羅綺羅
 鶴彬の川柳に基づいている。政府の、あるいは首長のカジノ施設誘致運動への批判と取れる。
048 大政翼賛会日本文学報国会 翼賛のその翼がウザイ
 高浜虚子や水原秋櫻子らの名が連なった俳句部会もあったと記憶している。
093 蝶墜ちてまた蝶墜ちてノイズまたノイズ絶えざる開戦報道
 富沢赤黄男の『天の狼』による。
093 散る桜海青きゆえ海に散り召集令状いずこより来る
 高屋窓秋の『白い夏野』による。
094 憲兵の前にて転び特高の前にて転びああ愛国者
 渡邊白泉『白泉句集』による。
102 向日葵の数限りなく立ち枯れて向日葵畑そのジェノサイド
 赤尾兜子『歳華集』の〈瀕死の白鳥古きアジアの菫など〉による。
102 モニターは百鬼夜行にあらずして最前線へ赴く国防軍
 同、〈軍の影鯛焼きしぐれてゆくごとし〉による。
102 文弱は銃後の街をさまよいぬ恥ずかしながら雨ニモ負ケズ
 同、『玄玄』の〈火を焚くや狼のほろびし話など〉による。
113 下村槐太「死にたれば人きて大根煮き始む」三沢光晴マットに死せり
 「6月13日」の前書きあり。
152 戦争は廊下の奥に立っていて「意志の勝利」もすぐそこにいる

 大変に刺激的な歌集でした。多謝。

青島玄武句集『優しき樹』

 青島さんが句集を出された(令和2年3月8日、文學の森刊行)。氏は磯貝碧蹄館の俳句精神に大いに賛同し、平成15年にその「握手」に参加。師の逝去のあとは無所属。お住まいが熊本なので、福岡での文學の森の句会や、地元の現俳協の句会などで研鑽を積まれた。現在、熊本県現代俳句協会幹事。

青島玄武句集.jpg


 帯文は中村安伸氏が,句集名ともなった冒頭の句〈花は葉に花は優しき樹となりぬ〉をあげて、次のように書いている。

  俳句は藝であり、藝とは演者と観客、作者と読者の間に渡す橋である。「優しき樹」は時分の花を全力で咲かせる。その花を愛でつつ、散ったあとを想いながらも拘泥しない。彼の架ける橋は大きく頑丈であり、しかも優しい。

 跋は、平川綾真智氏が丁寧で高尚でやや専門的な論評を書いている。フランス人の医学博士で、日本の俳句をフランスに紹介したポール=ルイ・クーシューの業績を称え、青島玄武氏は日本のクーシューである、としている。あげられた句は次の3句であった。筆者(=栗林)も気になった句である。

  バス停で弁当開くフランス人
  どれほどの蝶の毒見をせしことか
  鯨幕パイナップルが振る舞はれ

 さて、玄武さんの自選の句は次の10句。

  花は葉に花は優しき樹となりぬ
  出航す夏の山より太き船
  うごかせば体がことば南風
  秋の雨つくづくみんな地底人
  足袋脱いでまだ不自由な国にあり
  肉体の波濤が玉を競りけり
  枯野行くとは青空を歩むこと
  梅の花以外はすべて工事中
  落ちてなほ凧に寄り添ふ風ありぬ
  遥かまで花降りやまぬ行者道

 筆者(=栗林)の感銘句は次の通り。(*)は自選句と重なった。

008 うごかせば体がことば南風(*)
012 形代のもう泣きさうな袖袂
013 アロハシャツたしか大病だつたはず
015 踊る輪と別に踊を教はる輪
032 上見れば開く瞼や梅の花
034 山火なほ寒々とある夕べかな
035 淡雪や折り曲げておく辞書の隅
038 通るたび鶯餅が気にかかる
044 春の雨袖より舞台観るやうに
053 あらかじめ洗はれてをり甘茶仏
064 今時の言葉が茅の輪くぐりけり
071 人殺せさうな器や夏料理
081 冬瓜といふ余所者の置かれあり
085 戸棚より鍋蓋の降る寒さかな
086 義士の日や靴下の穴隠す靴
090 橙の正面定め飾りけり
094 予想より少し大きな嚏かな
096 表札の上にも雪の積もりけり
099 こすつたらぼやけてしまふ冬景色
102 合歓の花ブルーシートのやうな空
104 梅の花以外はすべて工事中(*)
119 風鈴にお国訛りの響きあり
119 百年は首を振る気の扇風機
123 涅槃の絵みんな失恋し給へり
124 鳥曇ずつと休みの骨董屋
126 鰯雲島へと帰る女子高生
133 山越えてまた菜の花となりにけり
144 長崎屋青葉せぬ坂なかりけり

 いつも通り、筆者の選句基準は、平明で、映像が湧き、人間や自己の深層を吐露したような、しかし、なんとなく余裕のあるような作品を選んだようだ。
 実は、玄武さんとは、「握手」に所属していたころ、数年の淡い接点があった。彼が九州から東京まで「握手」の句会に飛んで来るのである。その熱心さに驚いたものである。そのうち、ぜひ阿蘇の野焼きを見たいという仲間が数人で熊本を訪れた。玄武さんの車に乗せてもらって、初めてあの雄大な阿蘇の大観峰や野焼きを見せてもらった。阿蘇のどのあたりが焼かれるかの情報をリアルタイムで仕入れて、彼が火の手が上がる場所まで連れて行ってくれるのである。近づくと、野火の熱線が顔を打ち、鼻と目と喉に締め付けられるような刺激を感じた。それだけでなく、火の手が上がると、小動物が逃げ惑うらしく、それを鵟(ノスリ)が狙って空中を舞うのである。テレビでの野焼きとは全く違う緊迫感のある実経験であった。
 その旅は、阿蘇に一泊、翌日は熊本市に一泊、市内の歴史的なスポットを見学(神風連の変資料館など)、彼の実家の由緒ある料亭での食事を楽しんだものである。
 それからもう一つ。その頃、玄武さんは「能」をも嗜まれていた。彼がシテとなって演ずる舞台を、東京の能舞台を借り切って私たちに披露してくれた。ご母堂も一緒に来られていたことを覚えている。

 個人的な思い出を書いてしまったが、作品を鑑賞しよう。自選と重なった2句に絞ろう。

008 うごかせば体がことば南風(*)
「ことば」とは、ここでは俳句向けの言葉と考えてもいいだろう。身体を動かすことによって「言葉」がリアリテイをもって出て来るということ。「南風」ならさもあらん。
 橋本夢道に有名な句がある。〈動けば、寒い〉ただそれだけの短い句である。一方、高屋窓秋は辞書を傍らに、炬燵に入って動かないで句を詠んだ。〈頭の中で白い夏野となつてゐる〉である。後者は想念の傑作句。前者は、動くことでリアリテイが出るという夢道の一句である。

104 梅の花以外はすべて工事中(*)
 この句には〈102 合歓の花ブルーシートのやうな空〉同様、「熊本地震からの熊本の四季」との前書きがある5句の一つである。何の解説も愛らない。しかし、熊本地震のあとの熊本城だと思えば、句は立つ。筆者(=栗林)はこのような、モノを描いて情を伝えるという昔からの俳句の姿勢を良しとしているので、玄武さんの作品にこのような句を、しかも、自選句を、とても宜しく感じるのである。
 
 久しぶりに玄武さんの俳句を味わいました。有難う御座いました。

「トイ」創刊号

 句誌「トイ」が創刊された。令和2年4月1日、青木空知・池田澄子・樋口由紀子・干場達矢の4人がメンバーである。この場は「おもちゃ箱のようにカラフルな同人誌でありたい」との願いで、三橋敏雄の「俳句は志して至り難い遊び」という困難な遊びを遊び尽すために作った場所です、とある。そして「トイ」は「問い」でもあるという。年3回刊行の予定。


トイ創刊号.jpg


 4人が12句ずつ発表しているので、中から筆者(=栗林)が好きな句を3句ずつ選ばせて戴いた。

青木空知「風に乗る声」より
  風に乗る声こそよけれ霊迎へ
  眠る部屋まで桃の実の匂ひかな
  蘆原を一眼レフと出て来たり

池田澄子「光満つ」より
  あきかぜと声にだしたりする体
  物干すと乾く此の世を唐辛子
  草もみじ言葉は通じないことも

樋口由紀子「蛇の目ミシン」より
  頬紅をたっぷり塗って都まで
  いっぱいのフリルにいっぱいのスリル
  もうすでに餅屋はいない夢の中

干場達矢「正誤表」より
  圏外を此の世の外として夜寒
  冬めきて痛し愛書に指切られ
  父の家の箒の横の花八手

 創刊お目出とう御座います。作品を一読し、けっこう難解なものもあった。攝津幸彦の匂いがするような句もあり、私が勝手に言っている「志高い少数俳人集団」のイメージである。向後の発展を願っています。

青木亮人氏の栗林浩句集『うさぎの話』評

 青木氏は、近現代俳句研究者で、かつ新進の評論家である(俳人協会の評論賞受賞者)。毎月どこかの俳句総合誌に寄稿されている。最近の著書に『近代俳句の諸相』(2018年8月30日、創風社出版)などがある。愛媛大学准教授でもある。
 その青木さんに筆者の第一句集『うさぎの話』(令和元年6月15日、角川文化振興財団刊行)の評をお願いし、俳句結社「街」(今井聖主宰、令和元年10月号)に寄稿戴いた。その評を抄録し、このブログに掲載させて戴く。


句集うさぎの話.jpg


(抄録)
 (冒頭、青木氏は、10代のころロックバンドやカメラに凝ったが、ものにならず、近現代俳句研究者に収まってからも、俳句評論の面白さに魅了され、俳句の実作に時間を割く余裕がなかった、と書いている。それを受けて)旺盛に評論を執筆する栗林氏が句集を上梓し、それも「俳句評論を書くため、多くの句会に出席し、学習させて戴いている」というのだから憧れる他ない。
  傘立てと杖立てのある花の寺
  海へ向け布団と老人干してある
  屋上の金網越しの桜かな

 日常の一コマを非日常の劇的な瞬間へ強引に変貌させるのではなく、季感を添えて素直に整え、それ以上の捻じれや感慨を無理に籠めようせず、日常のひとときとして言い留める。大仰に歌わず、あえて些事にこだわるのでもない、日常の中の小さなユーモアがさっぱりと示されており……(中略)。
  眼鏡拭く夏うぐひすに耳傾け
  砂時計返へし夜長のダージリン
  うららかや耳掻く時は後ろ足

 家族や友人、またさまざまな人間関係の中での自身の姿というよりも独りで過ごす静かな佇まい、しかもその中での淡い諧謔味漂う風情を探ろうとするかに感じられる。(中略)つまり「私」そのものを読者に知らせるのが目的でなく、「私」の居る周囲や視界に入ったものが淡く不思議でユーモラスであるひとときをフェアな姿勢で看取し、季感や措辞、定型に負担をかけずに写生しようとするのが氏の特徴といえる。
  目と耳を置いて消えたる雪うさぎ
  冷気立つずらり尾鰭のなき鮪
  時計売場の時計の揃ふ十二月

 季感の助けを借りつつ、これら違和感に近い現場の雰囲気を平易に詠もうとする方向性がさらに強まると、次のような磁場が発生し始める。
  影ばかりおつうが鶴でゐるあひだ
  雛も人も納めるときは仰向けに
  湖凍る音だと言ひて灯り消す

 これらの傾向は本句集のいくつかの作風の中でも異質な、暗がりを帯びた断面として世界が立ち上がるかに感じられる。無論、それは句集内における複数の方向性の一つであり、むしろ多様な詠みぶりを試みた営為が句集に感じられること自体、氏が句作を通じて俳句と向き合い、その機微を実感しようとした証左といえよう。そこに氏の俳句に対する誠実さがあり、私はそういった氏の姿勢に憧れる。
  昔からバナナ曲がつてゐて平和                 (抄録終り)

『廣瀬直人全句集』

 新型コロナウイルス蔓延のニュースが駆け巡っている。昨日は3月3日。分厚い赤いゆうメール便が届いた。開けると、『廣瀬直人全句集』であった。明るい青で統一された装丁で、厚さ5センチの箱入り豪華版である。発行日は2020年3月1日、直人さんの命日だった。発行者は角川文化振興財団、編集者は井上康明、長田群青、齋藤幸三、高室有子の皆さん、特別協力は廣瀬悦哉氏(ご子息)、あとがきは夫人の町子さん。表紙を開くと、直人氏の温顔の写真と、ご自宅前でのご夫妻のスナップ写真が載っている。筆者も2度ほどご自宅を訪ねたことがあるので、懐かしかった。
 帯には、直人さんの傑作が2句挙げられている。
  正月の雪真清水の中に落つ
  空が一枚桃の花桃の花
 筆者にとって、直人さんは、「山」、「雪」、「雲」、「桃の花」を礼賛する風土作家である。もちろん、そこには「母」や「ひと」が住んでいて、時々顔を出すのである。

 該著は、第一句集『帰路』から第六句集『風の空』(蛇笏賞の対象となった句集であった)までと、『風の空』以降の作品、俳論・随筆(飯田蛇笏論、飯田龍太論、福田甲子雄論など)、さらに、著書解題、初句索引、季語別索引からなっている。全730頁を越える大著である。

廣瀬直人全句集.jpg


 筆者(=栗林)が妻(当時「白露」の同人であった)と廣瀬邸を訪ねたとき、山梨県の一宮町のあたりは桃の花が満開であった。茶の間に招かれお茶を戴きながら直人さんは龍太が言っていたこととして「自分たちの流派の句だけでなく、現代風なのも勉強せねば……」と話して下さったこと、そして庭のご自慢の黒松を見せてくれたことを覚えている。筆者がどちらかというと現代俳句派だと見ての、直人さんのお話であったような気がする。

 大著なので簡単に紹介は出来ないのだが、高室さんが解題に各句集のイチオシの句を抜いて下さっているので、ここではそれを紹介しよう。

第一句集『帰路』、昭和47年。「雲母」の新進として蛇笏・龍太の許で編集に携わり、蛇笏死去(昭和37年)後、「雲母」中堅作家と認知されていった時期である。龍太は序文で「直人さん自身の作品には真竹のいろがある。それも真冬の、みずみずしい直立群生した趣がある」と書いて〈枯谷の真竹の月日満ちてをり〉をあげている。
  輝る雲に果樹園の冬定まりぬ    昭和35年以前
  夕暮は雲に埋まり春祭       昭和41年
  枯草にほのと櫟の月明り      昭和43年
  枯谷の真竹の月日満ちてをり    昭和46年
  秋冷の道いつぱいに蔵の影     同

第二句集『日の鳥』、昭和52年。ほとんどが龍太の選を得ている。指導的役割を求められてきた時期である。あとがきには、「年毎に故郷との接触が多くなり、否応なく身辺土着の風物への関心を強めざるを得なかった」としている。
  正月の雪真清水の中に落つ     昭和47年
  稲稔りゆつくり曇る山の国     同
  火の粒のやうに師走の母がゐる   昭和48年
  元日の泳ぎて暮るる川鼠      昭和50年
  葱伏せてその夜大きな月の暈    昭和51年

第三句集『朝の川』、昭和61年。帯文に「著者は、飯田蛇笏以来のタテ句の精神を継承し、甲斐国原の自然を舞台に、壮年期の述志を俳意たしかに言いとめる。清爽の気のあふれる待望の諷詠集」とある。
  大年の嵯峨清涼寺闇に入る     昭和52年
  どこからも川現るる秋の風     昭和54年
  雨音を野の音として夏座敷     昭和56年
  色惜しみつつ夜明けつつ黒葡萄   昭和58年
  郭公や寝にゆく母が襖閉づ     昭和59年

第四句集『遍照』、平成7年。「雲母」が終刊し、自らが主宰する「白露」を創刊した。大きな節目の期間であった。広瀬直人を廣瀬直人に改めた。
  青梅がぽとりと眠つてばかり母   平成5年
  日脚伸ぶ母を躓かせぬやうに    平成6年
  初秋の欅の村と言ふべかり     「雲母」時代
  秋の夜の延べて四肢ある熊の皮   同
  人ごゑに人蹤ついてゆく春の闇   同

第五句集『矢竹』、平成14年。「産土の山国に住みなして七十年、その豊かな自然と暮らしをみつめいつくしみつづけた歳月をあらためて自問する豊潤・静謐の第五句集」とあり、あとがきには「集名は、生まれ育って現在に至っている〈矢作〉という集落の名に因んで」とある。
  山国にがらんと住みて年用意    平成7年
  葡萄剪る思ひつめたる早さなり   平成8年
  涅槃会の大鯉にして風のごと    平成10年
  てのひらに日照り三日の桃の紅   平成13年
  冬来るぞ冬来るぞとて甲斐の鳶   平成13年

第六句集『風の空』、平成20年。蛇笏賞に輝いた句集。龍太の死、盟友福田甲子雄の死に出会った時期でもある。
  早苗四五本挿すやうに置くやうに  平成14年
    悼 福田甲子雄氏
  ここにまた人立たしめよ春の坂   平成17年
  空が一枚桃の花桃の花       平成19年
    永別―二月二十五日―
  晩春の山があり大きな死あり    同
    偲ぶこころを
  ありありと欅遥けき九月かな    同

『風の空』以後、平成24年まで。解題にはあげられていないので、筆者の独断で10句選ばせて戴いた(数字は掲載頁を示す)。
298  山国の大きな月夜新茶吸ふ     平成20年
309  鳥わつとかぶさる声も初寝覚    平成21年
313  辛夷咲く龍太晴とも言ひつべし   同
       墓参
317  甲子雄日和とて牡丹の緋が挙る   同
343  山ありて山あり余る春祭      平成22年
366  桃の花段差石積み野面積み     平成23年
370  母と来て母の奢りの洗ひ鯉     同
383  一月一日山に鳶雲に鳶       平成24年
383  風呂吹や真つ暗な音山の音     同
386  人ごゑの溜まつて歩く桃の花    同 最後の句

 ほかに、俳論や随筆がある。廣瀬直人研究には欠かすことの出来ぬ書である。

 廣瀬直人は龍太・甲子雄とともに、平成俳壇に足跡を遺した作家である。ここに、筆者が日本現代詩歌文学館の「紀要」に寄稿した「平成俳句を俯瞰して」の龍太・直人・甲子雄に関わる部分を再録しよう。

(引用)
 飯田龍太は立場上このリスト(蛇笏賞受賞者リストのこと、筆者注)にはないが、昭和・平成の俳句史には欠かせない俳人である。多くの名句を詠み、俳壇を牽引し、後輩を育てた。しかしながら、平成四年に俳句を絶っている。したがって、龍太を直接取り上げる代わりに、ここでは、彼が「雲母」を通して育てた二人の平成の(蛇笏賞)俳人に触れておこう。
 福田甲子雄は、龍太に厚く信頼された弟子であった。一誌を持つことはなかったが、主宰でなくて蛇笏賞を授与された数少ない俳人である。甲斐の地にあって、風土を温かく詠む作家であった。
   生誕も死も花冷えの寝間ひとつ   
   稲刈つて鳥入れかはる甲斐の空    
   落鮎のたどり着きたる月の海     
   わが額に師の掌おかるる小春かな
 廣瀬直人も蛇笏・龍太に連なる甲斐の実直な俳人である。平成四年八月、龍太が突然「雲母」終刊を表明したあと、その弟子たちの発表の場として、「白露」を創刊した。会員数も膨大で、俳壇屈指の結社であった。直人の句柄は、有季定型を守り、木綿の肌着のようで、気負いがなく、平明でありつづけた。   
  夕暮は雲に埋まり春祭       
  しみじみと大樹ありけり更衣
  稲稔りゆつくり曇る山の国     
  正月の雪真清水の中に落つ

 飯田蛇笏・龍太の「雲母」の一筋の流れは、平成に入って、廣瀬直人と福田甲子雄の流れとなり、それぞれ「白露」から井上康明の「郭公」と瀧澤和治の「今」へと繋がった。

仲寒蟬氏代表の俳句雑誌「牧」創刊

 季刊俳句雑誌「牧」が創刊された(2020年3月1日、春号)。代表は仲寒蟬さん。発行人は大部哲也、発行所は「牧の会」木村晋介、編集人は池田和人のみなさん。
 この俳誌は、昨年、蛇笏賞の授賞式寸前に亡くなられた大牧広(「港」主宰)さんのお弟子さんの集まり「牧の会」(会長は木村氏)が母体となっている。
 創刊号は、発刊の言葉(木村晋介)、創刊号によせて(櫂未知子)、仲寒蟬への創刊インタビュー、メンバーの作品10句(35人が各1頁を使っている)などからなっている。
 

牧創刊.jpg

 
 筆者(=栗林)は大牧先生には多少のご縁を戴いておりました関係で、該誌をゆっくりと見させて戴いた。お祝いの気持ちを籠めて、以下をブログに挙げさせて戴きます。

 寒蟬さんへのインタビュー記事で興味があったのは、彼の「俳句上達の7ケ条」である。その第一が「何にでも好奇心を持つ」であり、最後は「句会に参加する」である。

 ちょっと変わっているのが裏表紙の返しにある記事「俳句と料理と酒」である。一回目は「たらの芽と春筍」を使った粋な料理の紹介である(フードコーディネーター深江久美子)。感心したのは、そのレシピだけでなく、この料理に合う「日本酒」が特定されていることである。九十九里町の「舞桜」と会津坂下町の「空色天明」とある(木村晋介)。


 メンバーの作品から、筆者(=栗林)の印象に残った句を一つづつ掲げさせて戴き、創刊のお祝いに代えさせて戴きます。

   卒業の後丸二日行方不明        小泉瀬衣子
   何もせぬと言ひつつ婆は冬構      朝倉 由美
   荷風の忌虎屋の羊羹ずつしりと     阿部 れい
   湾出ればハワイ航路や冬うらら     池田 和人
   蘖や海見ゆるまでまつすぐに      石井 府子
   玉子かけ用の玉子や寒明くる      猪子 洋二
   はだか木となりこの街に定着す     大江まり江
   冬深し通夜の最後の女性客       大部 哲也
   喪の家の桜青ざめゐたりけり      鎌田 保子
   借金に行く時父は冬帽子        菊池 修市
   古書街をまつり縫ふごと春日傘     木村 晋介
   茹五加木耳骨で感ず食みごこち     熊谷 由江
   半仙戯靴下二枚重ねゐて        玄葉 志穂
   断層に地球の齢冬枯るる        高坂小太郎 
   筆太の書初め並ぶ仮校舎        小林美恵子
   初蝶とつぶやきし人疑へり       庄子 紅子
   富士柿の皺のリアルを買ひにけり    鈴木 靖彦
   たんぽぽや義民再び一石路       関根 道豊
   快い空腹感や茸の香          髙橋 秋湖
   大いなる師系ありけり春の海      對崎 芙美
   清潔なまま少年を雪囲ひ        能城  檀
   満席授業は遠き日のこと山眠る     野舘真佐志
   そこそこの校歌の山も芽吹きけり    長谷川洋児
   凧糸の風の重さを子にわたす      早川 信之
   長居せぬ母の生家や枇杷の花      日立  早
   網棚よりコート半分ずれてをり     深江久美子
   ショーウインドーまだ愛知らぬ革手袋  福田 洽子
   海苔粗朶の陰ゆらめきて潮満ち来    藤  房子
   寒見舞必ず今度晴れた日に       堀渕 螢庵
   生国は碧き島らし冬の蝶        本田 康子
   冬銀河レールに戻る電車かな      前田千恵子
   美しき嘘にあひたし春の月       溝川 史朗
   近未来灯してポインセチアの夜     安田 直子
   冬苺昔使ひし着信音          山田 まり
   着ぶくれてエレベーターの大鏡     若林ふさ子

 勝手な選句、どうぞご寛恕戴きたく。

 創刊お目出とう御座いました。向後のご発展を期待致しております。

戸恒東人句集『令風』

 該句集は「春月」主宰戸恒東人氏の第十句集である(雙峰書房、令和二年二月二十三日刊行)。氏は、大蔵省造幣局長や俳人協会理事長を歴任し、多くの句集や評論を著し、『誓子―わがこころの帆』では第十四回加藤郁乎賞を受賞している。


戸恒東人第10句集.jpg


自選十五句は次の通り。

  ほほゑみの色をこの世に桜貝
  水無月や青(せい)一髪の相模灘
  ぱきぱきと井桁を組んで苧殻焚く
  水煙の飛天の笛に秋惜しむ
  燭光の洩るる矢倉や冴返る
  草団子買うて渡(わた)舟(し)の客となる
  新しき書架に書を埋め明易し
  白球に縫目の朱色獺祭忌
  石庭の十五の石の淑気かな
  大内山に和む令風春の宵
  からたちの花のあひより湖の碧
  螢籠終の光は誰も見ず
  石舞台古墳潜れば露涼し
  琅玕の輝く山路秋日濃し
  風呂吹を吹いて一歳加へけり

 筆者共感の句は次の通り。(*)は自選と重なった。

008 この国に富士ある幸や冬桜
015 下草のしづかにほぐれ木の芽雨
018 をだまきや引戸の軽き千代紙屋
034 幼子の一人は抱かれ盆踊
049  別所温泉
    落葉時雨信濃に古き石の塔
052 風荒ぶたびに星殖え枯木宿
062 探梅や湯気立ててゐる堆肥箱
065 曳売の目刺の肌に藁の痕
072 リラ冷や藁の敷かれし無蓋貨車
081 蟾蜍筑波のほかの山知らず
087 涼しさや地階に江戸の責め道具
098 白球に縫目の朱糸獺祭忌(*)
099 錆鮎の瀬に抗ひて落ちゆけり
108 渓谷にボンネットバス冬紅葉
112 腰を引く所作に艶あり里神楽
113 帰宅して部屋ごと違ふ寒さかな
125 軍票の裏に椰子の木春の夢
136 乗込鮒一尾は宙に押し出され
141 崖に果つる棚田へ茅花流しかな
144 白髪眉伸びて卯の花腐しかな
147 跨線橋より見送る列車桜桃忌
148 螢籠終の光は誰も見ず(*)
150 傘立に細き蛇の目や濃あぢさゐ
158 地に影を落として迅き秋の雲
164 髪よりも髭伸びやすき子規忌かな
167 髙稲架も泥田に水漬き伊達郡
181 濹東に風強き夜は燗熱く
183 霜枯や飛鳥に謎の石いろいろ
185 風花や田に隣りたる兵の墓

 どれも、しっかりと対象を描くのに、ことばを精選しているように思えた。俳句の正道を行く句集である。選の重なった二句を鑑賞しよう。

098 白球に縫目の朱糸獺祭忌(*)
 硬式野球のボールである。真新しい白球の糸目が美しい。季語「獺祭忌」により、筆者(=栗林)は上野の正岡子規記念球場を思い出した。当時のボールがどんなのだったかは知らないが、野球を楽しんだ子規・・・若くて元気一杯であった。その後のことだが、東大医学部の高野素十や水原秋櫻子らも野球を楽しんだ。古き良き時代を思わせてくれる。

148 螢籠終の光は誰も見ず(*)
 この句から、ふと、橋本多佳子の〈螢籠昏ければ揺り炎えたゝす〉を思い出した。掲句は、この句のような情熱を詠うのではなく、あくまでも冷静沈着に、螢の最期の火を誰も見ていないことを、戸恒さんは詠った。小さな生き物のかなしさを詠ったように思える。

 さらに個人的に感動を戴いた句は、次の句であった。

008 この国に富士ある幸や冬桜
062 探梅や湯気立ててゐる堆肥箱
113 帰宅して部屋ごと違ふ寒さかな
125 軍票の裏に椰子の木春の夢

 これらのほか、該句集には、各地での旅吟、「瑞宝中綬章」綬章の歓びを詠う句、令和となった記念の〈大内山に和む令風春の宵〉などの佳句が、沢山入集されている。

『寺田京子全句集』(と栗林の『続々俳人探訪』)

 むかし「寒雷」に所属していた寺田京子の全句集が刊行された。京子は札幌の人で、若くして亡くなったが、硬質の抒情俳句を詠む人だった。
 該全句集は現代俳句協会が令和元年6月22日に発行、同10月31日には第2刷を発行している。刊行委員会メンバーは、小檜山繁子、加藤瑠璃子、九鬼あきゑ、神田ひろみ、江中真弓、宇多喜代子のみなさん。後記は宇多喜代子さんが、栞は林桂さんが書かれている。
 本著は京子の第一句集『冬の匙』から第四句集『雛の晴』(遺句集)までの全句を収容していて、京子ファンにとっては待望の一書である。第二句集『日の鷹』は、昭和43年の現代俳句協会賞の受賞対象句集となった。


寺田京子全句集.jpg

 筆者(=栗林)は、第2刷をメンバーのおひとりであられた神田さんより寄贈戴いた。たまたま寺田京子の俳人論を書いたことがあるので、ことのほか懐かしく読ませて戴いた。
 そこで、この場を借りて、京子の人と作品を俯瞰した「寺田京子探訪―白いベレーの俳人」を拙著『続々俳人探訪』(平成23年8月4日、文學の森)から部分的に引いて紹介させて戴くこととしたい。

続々俳人探訪.jpg


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   寺田京子探訪―白いベレーの俳人(抜粋)
                           栗林 浩
 札幌の市街地を西へ行くと、円山や藻岩山に至り、緑がふえる。円山は札幌の山手ともいわれ、その近くに旭山記念公園がある。春から秋にかけて、鳥の声や花々が美しく、街を一望する見晴台があり、そこには句碑もある。
  日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ
 寺田京子の代表句である。昭和51年に、胸の病のため54歳で亡くなった。結核が死の病であったことを思えば、掲句は飽くなき生への執念のように切なく聞こえる。この句をはじめて知ったとき、私には佐藤鬼房の〈切株があり愚直の斧があり〉と重なった。定型の美しさを返上し、句跨りを一気に詠いあげることで、こころの底からのひたむきさを言い表している。鷹も斧も自分自身であろう。「とぶ―飛ぶ」のリフレインは「あり―あり」のそれに通じている。

一、寺田京子の一生
 京子についての年譜は簡単なものしか残っていない。以下に述べることは、加藤楸邨の「寒雷」の昭和51年9月号、森澄雄の「杉」の同年8月および9月号、「北方文芸」の同年8月号などによるものだが、分らない部分を木村敏男氏と平井さち子氏に伺って、継ぎはぎしたものである。木村氏は第三代北海道俳句協会会長を務められ、30年間続いた俳句結社「楡」の主宰であられた。平井氏は中村草田男の「萬緑」の前同人会長であられた。両氏とも京子と親しかった人である。(筆者注:おふたりはもう亡くなられていて、京子を直接知る人は少なくなってしまった)。
 寺田京子、本名キョウ。札幌生まれだが、旧満州国の鞍山女学院中退。京子の生年を大正14年1月11日とした資料が殆どであるが、正しくは大正11年である。平井は『さっぽろ文庫(13)―札幌の俳句』に、京子を大正11年生まれと明記しており、私の取材の折にも確認できたので平井説をとる。没年の昭和51年6月22日は間違いない。だとすると巷間51歳で亡くなったとされているが、54歳であったことになる。だが、出自を語ることを嫌ったという京子の心中を忖度すると、そっとしておきたい気もする。京子は、自分自身長生きできるとは思っていなかったので、生年には頓着しなかったのだろう(筆者注:該全句集の略年譜では大正11年生まれとある。また、その初版は43年後の命日の日に拘って刊行されている)。
 少女期から病にあって、20歳代に入ったころはすでに胸部疾患の重症患者として入院していた。医師も半年か1年の命と言っていたらしい。ストマイやパスなど特効薬が出回っていない昭和19年ころのことである。俳句をはじめたのは、療養者同士の回覧句稿によってであり、やがて地元の天野宗軒の「水声」、高橋貞俊の「水輪」、蛇笏賞作家の斉藤玄の「壷」に属してゆく。
  少女期より病みし顔映え冬の匙
 第一句集の題名『冬の匙』はこの句に依っている。
中央の結社としては、加藤楸邨の「寒雷」が復刊した後、昭和25年にこれに参加し、同29年暖響会(結社運営の主体となる同人の会)会員に推薦されている。
 昭和43年、第二句集『日の鷹』で第十五回現代俳句協会賞を受賞。読売俳壇(北海道版)の選者や北海道文学館常任理事などを務める。地元では女性のための「札幌獏の会」や「青くるみの会」などの句座を持って指導していた。
 昭和45年、楸邨の流れを汲む森澄雄が「杉」を立ち上げると、創刊同人としてこれに加わった。

二、京子の俳句鑑賞
「俳句界」の平成21年7月号に加藤楸邨特集がある。楸邨の「寒雷」になぜ優れた俳人が多く輩出したのかを探るものである。須川洋子が……「寒雷」の初期は金子兜太や森澄雄など男の結社の相があったが、その後は、寺田京子や安井さつき・矢部栄子・沖田佐久子ら女性が台頭した。しかしみな夭逝してしまい残念だ……と書き、彼女たちの代表句を掲げている。次の句であった。
  日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ  寺田京子
  うすものに一瞬の若さ鏡伏す    安井さつき
  青桃や今欲しきもの今告げたし   矢部栄子
  不知火もゆる疲れては見る白昼夢  沖田佐久子
 これらの「寒雷」同時代の女流の句は、みな一流ではあろうが、強い意思の表出という点では、京子の句「日の鷹がとぶ」が秀逸であろうと、私は思う。

―――このあと、4つの句集から筆者の好きな句を抽出し、鑑賞を述べている。ここでは、それらの句の一部だけを再録しておこう。―――

(一) 『冬の匙』(昭和22年―31年)
 第一句集『冬の匙』から。京子の20歳後半から30歳前半の作品である。
  セルの下しろたへつけて診せにゆく
  死なざりて飾る雛が散乱す
  冬衣蔵ふつひできめおく死衣裳
  ばら切つてわれの死場所ベッド見ゆる
(二) 『日の鷹』(昭和31年―42年)
 第二句集『日の鷹』は、冒頭に挙げた〈日の鷹がとぶ骨片となるまでとぶ〉に因んでいる。最も人口に膾炙している句である。題簽は楸邨が書いている。
  冬帽買う死なず癒えざりさりげなく
  白菜洗う死とは無縁の顔をして
  セルを着て遺書は一行にて足りる
  ばら剪つてすでに短命にはあらず
 京子は40歳台に入り、健康状態は良かった。それでも、1句目、2句目から「死」の想念が身を離れていないことが分る。己の「病・死」を詠うのだが、いつも客観的に捉えている。
  雪中に焚火しわしわ燃えて生理終る
  ひかりたんぽぽ生まれかわりも女なれ
  手袋合掌させて蔵いし会いたきなり
  春服着てからだの中を汽車過ぎゆく
  夏手袋に芯となる手のしあわせか
(三) 『鷺の巣』(昭和43年―49年)
 第三句集は現代俳句協会賞以降の300句を納めてある。刊行後発送などに精を出した京子は、再び健康を損ねる。刊行半年後には、床に伏せるのである。とまれ、作品としては、健康な時期のものを掲げた。
  花きささげ死者きて寺が動きだす
  しずかさの死者は死者たち氷水
  押入れに寒さびつしり白鳥きて
  銅像の歩きださんとして凍る
  雪ふるや尻尾を吊るしフライパン
  悲の色をあつめ沖あり冬苺
  歩くだけの生きるだけの幅雪を掻く
(四) 『雛の晴』(昭和50年―51年没年まで)
 木村敏男のあとがきがある。それには、〈めちやくちやに晴れし雛の飾られぬ〉から、この句集名をつけた、とある。上質紙1頁に1句収容、173頁のおおらかな句集である。 旭山記念公園の句碑のことは冒頭に書いたが、この句碑建立委員会がこの遺句集の発行者でもあった。句碑もそうだが、俳句の集団だけでなく、北海道の文学者集団が力を合わせて為したものである。俳句の世界だけだと、どうしても流派や師系が禍して、大きな力になりづらい。
  どんど焼きすだまは人の手のかたち
  病枕地吹雪ときに火の音して
 死の床に伏しての作句であると知れば切ない。一句目。「手のかたち」は彼女の手であり、その掌に自分のたましいを乗せているのかも。二句目。余計な解説はよそう。北海道の激しい「地吹雪」に「火の音」を聴くのは余程の感性の持ち主である。

三、「恋」の句―白いベレーの俳人
 平成21年6月のある日、札幌へ行く予定のあった私は、京子のことを少しでも知りたいと思って、木村敏男を訪ねた。千歳空港に降りた途端、ひんやりとした空気が胸に心地良かった。最近では、蝦夷梅雨という言葉があるようだが、私の故郷でもある北海道には梅雨がなかったというのが、私の記憶である。気がついたら、京子の祥月命日の2日前であった。リラは咲き終わり、アカシアが咲き、ポプラの絮が飛んでいた。木村の話を聴いてから、私は北海道文学館へ行ってみた。そこで、京子がむかし入っていた「壷」の俳誌を探した。その中に療養中のある出来事を回想した京子の記事を見つけた(昭和49年5月号)。(京子は、一時は自裁も考えたらしいが、そうしなかったことなどが書かれている。紙幅の都合で、ここでは省略いたします)

 寺田京子の俳句は、およそ華奢な女の作品らしくない。ごつごつしたリズムで、こなれていない俳句表現を遣う。想いが強いと定型を外れるようである。おまけにテーマは、「病涯」であり、「風土」である。風土といってもノスタルジアからはほど遠く、雪と氷の世界である。結婚を諦め、しかし恋を意識する。恋に恋した女の胸のうちを詠む。それは、伝統に縛られない北海道の奔放な女の心の世界から出たものだ。彼女には、その世界は実現しなかったが、実現しなかっただけに哀しく美しい。成就しなかったから壊れることもない。そんな世界を俳句にしたのであった。
    *****
 偶然が味方してくれることがよくある。今回も偶然が偶然を呼んで「寺田京子探訪」となった。私の俳友が「寺田京子が面白いよ」と言って、宇多喜代子さんの論評の写しを呉れた。読んで気が動いたのだが、私が以前お世話になった平井さち子さんが寺田京子の親友であったと聞いて、さらに気が動いた。これが第一の偶然であった。そして、平井さんから聞いた木村敏男さんが私の札幌の友人と知り合いであり、木村さんを紹介してもらえたのも偶然である。しかも木村さんとお合いした日は京子の祥月命日の2日前であった。もうひとつの偶然は、たまたま訪ねた函館文学館で起こった。ショーウインドウに「北方文芸」という私が知らなかった雑誌が一冊飾られており、その表紙に「寺田京子追悼号」とあったのである。俳句関係の資料を漁っていただけでは辿り着けない資料である。しかしそこでは借りて読むことはできない。すぐに車で函館市立図書館へ駆けつけたが、休館日だった。帰京してから国会図書館で読むことができたのである。
 平井さんは私に、NHKラジオで流された「土曜日の手帳」のテープを貸してくれた。これには句会での京子の肉声が入っていたし、没後一年に原田康子・木村敏男両氏が京子の想い出を語ったものも入っていた。平井さんは札幌時代の友人堀カンナさんにも京子の想い出をいろいろ尋ね、確認してくれた。同女の指摘で、6月22日が「京子忌」として『ザ・俳句―十万人歳時記』に載っていることを知った。ある俳人が京子の忌に「梅雨忌」を当てようとした形跡があるが、北海道には梅雨がないので、如何なものかと、私は思っていたのである。

 以上で抄録を終わるが、かなり大急ぎでの抄録であるので、不十分の誹りを免れないであろう。ご興味のある方はぜひ原本に当たって鑑賞して戴きたい。

森潮句集『種子』

 森潮さんは結社「杉」の主宰で、俳壇で超著名な森澄雄の息子さん。子供のころから絵が好きで画家を志していたためか、ことばの世界の父澄雄とは距離を置いていた。東京造形大学卒業後、世界各国を放浪(あとがきにそう書いてある)。ご母堂を突然失って、澄雄との二人だけの生活が始まったころ、澄雄の処女句集『雪礫』を読んだ。その時の衝撃をこう書いている。

  『雪礫』を読んだのがいけなかった。素直に感動してしまったのだ。そして母の残念な死を思えば、父の仕事を続けさせることが、私の使命のように思えたのである。

 筆者(=栗林)は澄雄やそののちの潮さんの「杉」に接点を持っていたわけではないが、俳壇のパーテイなどで、潮さんが澄雄の車椅子を押していたところに何度か出くわしていて、今、その姿を思い起こしている。
 この句集は、その父に同行したと思われる多くの旅吟、自然詠、ご自分の結婚、長男長女の誕生などの日常詠、そして澄雄の死(平成22年)までの作品からなっている。句の調子は、なめらかな静謐さを持っており、けっして声高に悲憤慷慨せず、知に流されず、人生訓を垂れるでもなく、俳句の正道的な佳品がずらりと並んでいる・・・という感じである。
 文學の森、令和2年1月29日刊行。


森潮句集.jpg


 自選句は次の10句。

  げんげ田はわが幼年の色列車過ぐ
  囀や水滴に水あふれしむ
  父母に父母のあり彼岸花
  西に地震ありて見つむる冬木の芽
  婚礼や四方の山々滴りて
  あまたなる死苦の声ありビル微塵
  俳諧も画もみち一筋や蕪村の忌
  子のきげん妻の機嫌や花八つ手
  二人して遠を見てゐる新茶かな
  父を焼く火力絶やさず秋の風

 筆者の共感句は次の通り。(*)印の一句は、自選と重なったもの。

025 口笛に鳥の応へし春の山
030 雨気見ゆる牡丹の白と思ひをり
033 土匂ふ茗荷の花に月明り
035 どこまでも見えて遠くや秋の暮
041 田を打つて人の霞める大和かな
042 飛鳥より明日香の親しすみれ草
054 陽炎に老いし父あり歩きをり
063 うたた寝に泪出でたり日向ぼこ
083 秋あかね名も刻まれず平家墓
111 水入れし棚田明りに桐の花
134 着膨れてペンギンのごと嬰歩む
148 葭切のこゑを一日淡海なり
154 車椅子の父に吾子乗せ初詣
155 春曙目覚めてまぶた閉ぢてをり
161 車椅子の父を押しゆく花野かな
172 まだ見えぬ赤子の瞳緑さす
199 二人して遠を見てゐる新茶かな(*)
221 清秋やいよよ小さくなりし父
226  八月十八日、父澄雄死す
    見えてゐて帰らぬ父や秋の風
230 からつぽの介護のベッド冬日差す

 この句集から受けた印象は、端正で良質な句がいっぱいというものであった。澄雄との俳句日常の集成である。
 中から少し鑑賞しよう。

035 どこまでも見えて遠くや秋の暮
199 二人して遠を見てゐる新茶かな(*)
 遠くが見えていると、人の心はなぜか落ち着く。そして広がる。「秋の暮」といってもまだ暮れていない。空気が澄んでいる。199は父と二人で遠くを見ている。何を話し合っているのかは分からないが、「新茶」から想起できる話題は、ごく普段のしあわせ感のあるようなものであるに違いない。

041 田を打つて人の霞める大和かな
042 飛鳥より明日香の親しすみれ草
「大和」「飛鳥」「明日香」という固有名詞の働きは大きい。二千年の日本の歴史が読者の胸に一挙に湧き上がってくる。「霞」も「すみれ草」もぴったり。つきすぎとは言うまい。あの地は、何度訪れても、いつ訪れても、筆者にとっても、この感覚なのである。

148 葭切のこゑを一日淡海なり
 澄雄と言えば「淡海」である。潮さんお一人だったかもしれないが、この句集にも琵琶湖を詠んだ句が多い。たとえば〈165雪吊りの松にひらける鳰の海〉や〈214湖に年を惜しめと鴨の声〉などがある。「葭切」はあまり上品な声ではない。むしろ、そこにこの句の真実味があるような気がした。

161 車椅子の父を押しゆく花野かな
221 清秋やいよよ小さくなりし父
226  八月十八日、父澄雄死す
    見えてゐて帰らぬ父や秋の風
 澄雄が亡くなるまでの経過が分かる句である。これ以前に、まだご自分の足で歩いておられた頃の句〈054 陽炎に老いし父あり歩きをり〉もある。これらを読むと、この句集は潮氏が父澄雄にささげたもののように思えた。げんに、あとがきには「何よりも亡くなった父母に句集『種子』を捧げる」とあった。 

 貴重な一冊を有難う御座いました。

佐藤日田路句集『不存在証明』

 著者佐藤さんは「亜流亜(あるさと)」(代表は中村猛虎氏、姫路市)と「海光」(代表は林誠司氏)の会員で、このほど林さんの俳句アトラスから第一句集を出された(令和2年2月1日)。俳歴は15年ほどと思われるが、一時「海程」にも参加していた。跋は林氏。


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 自選12句は次の通り。

  青空を動かさぬよう魞を挿す
  サーカスの転校生と桜餅
  名をつけて子は親となる著莪の花
  色鯉の口に暗黒入りにけり
  勉強がきらいな僕と蝸牛
  駄菓子屋は間口一間大西日
  心臓に手足が生えて阿波踊
  穴惑いあなたが尻尾踏んでいる
  芋の露母さん僕は元気です
  懐手笑いどころを間違える
  踵うつくし霜柱踏めばもっと
  肉体は死を運ぶ舟冬の月

「駄菓子屋」のような写生的な句があるが、「芋の露」や最後の句「冬の月」のような季語を配合した句、「サーカスの転校生」のようなノスタルジー豊かな作品などなどが一体となって佐藤俳句の世界を表出している。「阿波踊」など、モノやコトを見ての描写が巧みである。

 筆者の共感句は次の通り。(*)印は自選句と重なったもの。

017 手首より大人びてゆく白日傘
027 うららかや空から梯子降りてくる
028 青空を動かさぬよう魞を挿す(*)
029 春光やみなと小さき竹生島
038 担任はななつ年上初桜
041 三歳の歩幅に合わせ青き踏む
101 逝ったこと忘れ冬瓜盛り分ける
110 城一つくれてやろうか鰯雲
127 心臓に手足が生えて阿波踊(*)
128 月光が固まらぬよう搔き混ぜる
136 雪ばんば震えて止まる洗濯機
137 懐手笑いどころを間違える(*)
142 小春日や仔犬のように褒められる
143 金継ぎのような夫婦でクリスマス

 少し鑑賞しよう。

028 青空を動かさぬよう魞を挿す(*)
029 春光やみなと小さき竹生島
 琵琶湖の景である。「青空を動かさぬよう」で湖面の静けさが見えて来る。佐藤さんは「・・・よう」という喩が上手い。〈128 月光が固まらぬよう搔き混ぜる〉〈142 小春日や仔犬のように褒められる〉〈143 金継ぎのような夫婦でクリスマス〉などである。そして、その喩が機知に富んでいる。
「竹生島」の「みなと」は「港」と言うには如何にも小さかった記憶が、筆者にもある。

127 心臓に手足が生えて阿波踊(*)
 とくに男踊りを想像すると「心臓に手足が生えて」がぴったりな描写である。阿波踊りの句は沢山あるが、この句、喩が珍しく、筆者イチオシの句である。

137 懐手笑いどころを間違える(*)
 少し間が合わなかったときの微苦笑を思わせる。「懐手」という季語の配合も上手い。この句の場面とは違うが、翻訳なしの映画を見ていて、周りの母国語人が一斉に笑った場面で、なぜ面白いのかが分からなくて、戸惑ったことを思い出した。

142 小春日や仔犬のように褒められる
 ここにも「ように」が出て来るが、「子犬のように褒められる」という喩が見事。仔犬の具体的な形容は何もないが、可愛さがよく分かる。

 楽しい句集でした。

岡崎桂子句集『大和ことば』

 岡崎桂子さんは、1981年に結社「沖」に参加し、1986年、今瀬剛一主宰の「対岸」創刊時に入会、現在編集同人であられ、約40年の句歴を持っておられる。該句集は第4句集である(朔出版、2020年1月27日刊行)。俳人協会評議員。


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自選12句は次の通り。

  百千鳥神話の島に目覚めけり
  飛花落花大和ことばのとび散れり
  母郷水戸ぶつきら棒のあたたかし
  転がつて土俵は狭し五月場所
  蓮見舟蓮をへだててすれ違ふ
  晩年の父白蚊帳を好みけり
  平家納経花野に展げたきものを
  こつと叩けばこつと返して榠樝の実
  大潮の放りあげたる今日の月
  三つ星の静かに巡り句碑の空
  凩やつうの如くに身の細り
  翁面雪夜の神となりて舞ふ

 自らが見たモノからの感受、経験したコトからの想念を、句歴40年の確かな言葉で詠っている。この12句に限らず、どの句もしっかりと詠われていて、その力量に頷きながら読ませて戴いた。

 筆者(=栗林)の共感句は次の通り。(*)は自選と重なったもの。

014 緋を散らし金魚田に雨来たりけり
016 涼み舟吾妻橋より橋尽し
024 雪吊の一糸ゆるめば隙だらけ
029 春暁や避難袋に遺影入れ
035 地獄絵の前にごろんと西瓜あり
076 金箔に似てゆらゆらと秋の蝶
077 仏頭の中はからつぽ初時雨
094 会津より来し風花をまぶしめり
104 次の田へ足重くあげ田草取
110 木枯や般若の面は耳を持つ
113 ストーブの火は消したかとほろすけほ
118 汗匂ふ子を抱きあげて象の前
122 手花火の力尽きたるひとしづく
138 母郷水戸ぶつきら棒のあたたかし(*)
155 光集めて春水は海へ出づ
159 あるだけの花つけて待つ夜明けなり
160 にはたづみ引き花びらの重なれり
162 蛍袋の中は安心波の音
166 月昇りけり最善を尽くせし日
167 凩やつうの如くに身の細り(*)

 幾つかを簡単に鑑賞しよう。

014 緋を散らし金魚田に雨来たりけり
 見事な写生句。水深がそう深くはない金魚田に急に雨が来た。赤い金魚があわてて散らばった。その映像が、豊かな色彩を持って、筆者の目にすぐに湧きたってきた。イチオシの句。

104 次の田へ足重くあげ田草取
「田草取」は重労働だと聞く。水が張ってある田圃で、足が深くぬかる。一歩一歩重そうに足をあげ足をおろす。「重くあげ」で上手く描写できた句である。

113 ストーブの火は消したかとほろすけほ
「ほろすけほ」がポイント。自信はないが、梟の形をした小さなマスコットか、ストラップの類ではなかろうか。とにかく筆者は、「ほろすけ」と名付けられている「梟の作り物」に、「火を消したか?」と作者が注意喚起されている様を思った。外出時にストーブの灯を消したか、電気は消したか、鍵は大丈夫かなどなど、いろいろ気になるのが常である。その気分がよく出ている軽い佳句である。

138 母郷水戸ぶつきら棒のあたたかし(*)
 筆者も水戸に一時住んだことがあるので懐かしい。千波沼公園、偕楽園など・・・。人々の言葉はやや「ぶっきら棒」だが、悪気はない。住めば都である。個人的には、大工町にあった(今もあると思うが)山口楼などが、懐かしい。

162 蛍袋の中は安心波の音
 筆者の好みを言って申し訳ないが「安心」は、読むときには、ぜひ「あんじん」と読んでほしい。抹香臭くなって申し訳ありませんが・・・。

166 月昇りけり最善を尽くせし日
 こういう日が一年に2,3回はあって欲しい。「最善」とは何を言うのか全く書かれていない。そこが良い。読者が読者の範囲で考えることを任されているのである。この句もイチオシである。

167 凩やつうの如くに身の細り(*)
 この句を選んだのには、やや個人的な思い入れがある。筆者の句集『うさぎの話』に次の一句がある。「鶴の恩返し」に基づいた句である。
   影ばかりおつうが鶴でゐるあひだ
岡崎さんのこの句は違うのかもしれないが、こう思ったらその考えからなかなか抜け出せない。誤読でしたらご寛恕を。

山崎十生句集『銀幕』

 山崎さんは結社「紫」の主宰。多方面で大活躍の俳人である。該句集は第十一句集(東京四季出版、令和2年2月17日刊行)。この7年間の結社誌「紫」掲載の句のみから選んであるそうだが、9割方が席題による即吟の作品である。ほかに総合誌や新聞などに発表した作品は除外してあるとのことである。


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 自選12句は次の通り。

  泳ぐ真似して風船を追ひ行けり
  陽炎を紡ぎ大平洋となす
  地下鉄の迷路三鬼の忌であった
  滅菌の青色硝子走り梅雨
  淋しくて馬面剥を炙りたり
  身を護るために金魚は尾を振れり
  手を拡げ抱く荒川風青し
  メンデルスゾーンが夜を長くする
  澄む水に曙杉の斃れゐし
  髭剃りはゾーリンゲンや竜の玉
  大雑把こそめでたけれ隙間風
  耳掻きの微妙な角度ペチカ燃ゆ

 筆者の共感の句は次の通り。

008 迷宮の入口ならむ春の雪
014 胎動を促す野火を見てゐたり
026 定規には好きな人の名つばめ来る
034 開帳や登れば下りるしかあらず
041 声のない声上げて行く流し雛
043 まっすぐな路地など嫌ひうららけし
067 無欲とは程遠く香水はあり
079 単純なものほど難解水中花
088 指切りの指うっすらと汗を掻く
090 それとなく扇子の残り香で解る
093 ハンモックどこかで力入りけり
108 別のひとだから特別天の川
116 十六夜の月のひかりで動く塵
122 ゐのこづち付け合ふ恋の初めかな
124 間合とは合間の極み草の花
125 整然と乱れてゐたる雁の鉤
129 足音で解る亡き人十三夜
135 辛さなど微塵も見せず小鳥来る
162 風花を享けるてのひら浄土かな
172 白鳥の滑空山を微塵にす
186 雪吊りの仕上げは髭を撫でること
 
 少し鑑賞しよう。

014 胎動を促す野火を見てゐたり
 阿蘇の野焼きを見たことがあるが、火の様はまさに勇壮であった。火に追われて地を野鼠が走り、それを狙うのすりが空を舞っていた。この景を見た妊婦さんなら、きっと胎動が始まるに違いない。だから、本当なら「野火に胎動始まれり」的な言い方になろうが、男はそこまでは言い切れないので、こうなったのかも。

041 声のない声上げて行く流し雛
「流し雛」が声を出せるなら、いろいろ言いたいことがあったであろう。流れの端を遡ったり、躊躇しながら流されていく様が、そう見える。どんな声なのか、読者の想像に任されている。ついつい、恨みがましい声なのでは、などと心配してしまう。

067 無欲とは程遠く香水はあり
 まさに「香水」を言い当てている。香水には、その発展の歴史からして、いろんな欲が絡まっている。特に男女の間の欲を思わせる。一つ一つの香りにも、香水の名前にも複雑な意味があるようだ。「シャネルの5番」とか「夜間飛行」くらいしか知らないが・・・。

108 別のひとだから特別天の川
 言外に「特別な人だから特別」という意味があろう。関係ないのだが、池田澄子さんの〈屠蘇散や夫は他人なので好き〉という句を思い出した。掲句の季語「天の川」の働きはどのように考えればよいのだろうか。もちろん夜だ。いろいろ想像させられる。

135 辛さなど微塵も見せず小鳥来る
 天災などで荒れた山河を見ながら小鳥が渡ってきた。疲れや哀しさなどは見せずに渡ってきた。筆者などは小鳥にその心情を思いやったことがないので、作者の心遣いに意表を突かれた思いであった。

 楽しい句集を有難う御座いました。

有馬英子句集『火を抱いて』

 有馬さんは「白」俳句会同人で、該著は第二句集。句集名『火を抱いて』に、著者の強烈な意思を感じた。序文などを読むと、有馬さんは障害を持っておられるようで、日常はヘルパーさんの援けがいるようだと分かった。刊行は「白」俳句会、2019年3月31日。


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 自選句の表示がないので、筆者(=栗林)の共感句を、まず、掲げる。好みとしては、社会性を持った作品よりも、作者の身辺から発した抒情句が好きなので、選句が偏ったかも知れない。もう一つ断っておきたいことは、この句集が筆者のところに届いた時期は、この1月であった。発刊からずいぶんと経っていて、通常なら、新刊しかブログには載せないのだが、共感句が多かったので、載せさせていただきたいと思った次第である。

014 山彦を返してくれぬ霧の村
018 水仙を抱えて歩幅伸ばしたり
021 春月の背中のボタン留めにくい
032 人間の数だけ寒い信号待ち
034 鳴きそうな鶯餅をひとつ買う
046 大寒の朝出席に二重丸
048 ブランコを漕いで私にも未来
066 振り向くな山茶花の白どっと散る
069 活けられて菜の花海を見たいと言う
078 初蝶を次のページで捕まえる
079 ぴかぴかのコンプレックス枇杷の種
096 先端が好き人が好き赤とんぼ
108 冬日向横にして置く砂時計
111 躁と鬱リバーシブルの春の服
128 次の世は私が母を産む無月
130 思い出し笑いしながら蛇穴に
147 つめるからみんなおいでよ日向ぼこ
149 子供の日こどものいない静かな日
 
 少し鑑賞しよう。

034 鳴きそうな鶯餅をひとつ買う
 いまにも鳴き始めそうな鶯餅。この直喩が成功した。「ひとつ買う」のつつましさにも好印象を覚える。

078 初蝶を次のページで捕まえる
 そうとは知らずに選んだのだが、2009年の東京都現代俳句協会の大会で一位になった句だそうだ。この未来志向に感銘した。健常者でもなかなかこうは詠めない。筆者イチオシの作品である。

111 躁と鬱リバーシブルの春の服
 誰にでも、時によって鬱と躁がある。そのとき、リバーシブルの上着なら、瞬時に心持を入れ替え出来る。「春の服」がいい。上手い句。

128 次の世は私が母を産む無月
 作者の境遇から察するに、ご母堂様(故人)になみなみならぬご苦労をお掛けしたことであろう。だから、次の世は私が母を産んで慈しみ、育ててあげたいと願うのである。配合された季語「無月」の働きをどう読むかは、結構難しいが、小生の心に響いた句なので挙げさせて戴いた。

147 つめるからみんなおいでよ日向ぼこ
 この向日性が良かった。有馬さんは決して一人ではないのだ。

 有馬さんには、この句集の題名の如く、強烈な意思がある。それが反戦に繋がったものとしては、筆者は選ばなかったものの、
056 銃口にタンポポ一輪挿しておけ
146 冬の夜のベッドの下を潜水艦
151 片蔭を行けば軍靴がついて来る
など話題作がある。むしろこのような作品の方が有馬英子の世界なのかもしれない。